第9話ひそひそと噂される男

 周囲をひそひそと会話する声が聞こえる。

 更に、多数の視線が俺に突き刺さっているのも感じる。これは気のせいではなく、今日の朝に登校してからずっと付きまとう感覚だった。


「はぁ……」


 溜息を一つ吐くと、俺は教材一式を鞄にしまうと講義室を出る事にする。

 ちなみにこの鞄も湯皆のプレゼントだ。彼女は衣類だけではなく、身の回りのコーディネートも含めてプレゼントをしてくれたのだ。


 流石は業界ナンバーワンアイドルだけある。彼女はためらう俺をよそにバッグから財布と取りだすと黒いカードを使って支払っていた。


 あれが、噂に聞くブラックカードという物らしい。


 だが、そんな彼女には申し訳ないが、他人をコーディネートするセンスが彼女には無かったようだ。


 俺はすれ違いざま女子の集団に振り返られた。そしてまた、ひそひそとこちらを見ながら話している。


 恐らく似合って無いから滑稽な俺を笑っているのだろう。どうやら悪目立ちをしているようで午前中からずっとこういった光景を目にしている。


 時刻は丁度昼。次の講義まで結構な時間が空いてしまうので本来なら食堂でランチを採るのだが…………。


「行きたくないなぁ」


 今の俺がそんな場に行けばどんな目で見られるのかはっきりしている。ここはちょっと面倒だが、校内から出て、街で食事を採ろうかと考えていると――。


 ―ブブブブブッ―


「うおっ!」


 胸ポケットで何かが震えていた。何かと思えばスマホである。

 手にして確認してみると電話が掛かってきているのが判った。相手は湯皆のようだ。


「……も、もしもし? お、おれおれ。俺だけど?」


 驚いて心拍が安定していないのと、電話に出慣れていない為に口調がどもってしまう。


「くすくす。なんですかそれ。オレオレ詐欺ですか? そんな電話の出方、初めて聞きました」


 可笑しそうに笑う湯皆。


「ほっとけ。電話が掛かってきたのが初めてだったんだよ。思ったより揺れたから驚いてただけだ」


「ふーん。私が初めての相手なんですか。それは光栄ですねぇ?」


 何処か機嫌が良さそうな湯皆。何か妙な言い回しが気になる。


「それで。何か用か?」


「実はですね。今から会いたいんですけどお時間ありますか?」


 その質問に俺は構わないと答える。丁度昼時で時間が空いていたし。


「じゃあ、この前のホテルでお願いします。カメラはありませんので」


 そういって電話を切る。俺は溜息を吐くと周囲の目を避けるように移動を開始した。



 ☆




「来たぞ。湯皆」


「わっ。本当に突然現れるんですね」


 俺が声を掛けると、湯皆は慌てて振り返った。

 ここは彼女が借りているビジネスホテルの一室。先日、俺の能力を暴露した時に案内された場所だ。


 なんでも現在、彼女はここに住んでいるらしく、仕事先にもここから通っているらしい。


「それにしてもこうして見せられても信じられないですよ」


 彼女には転移の力を実践して見せている。だからこそこうして気軽に呼ばれて姿を見せられるのだが。


「それより、午後の講義もあるし昼がまだなんだ。要件ってのはなんだ?」


「実はある人に会ってほしくて。ついでなんでホテルのレストランで続きを話ましょう。ランチもその人がお金出しますから」


 そういって湯皆は出ていった。




 ☆


「へぇ………………ふーーむ…………」


 目の前にはタイトスーツに身を包んだ女性が居る。その探るような視線は鋭く、俺を値踏みするように見ている。


「おい。湯皆」


「なんですか。唐山さん」


 しゃべらないその女性をよそに俺は湯皆に話しかけた。


「やっぱりお前が選んだ服って俺に似合って無いんじゃねえのか?」


「は? 何言ってんですか?」


 微妙に声のトーンが落ちて冷たい目で見られる。自分のセンスに絶対の自信を持っているのだろう。怖いんだが……。


「大学内でもいろんな奴に指さされて噂されていたし、今だってあんなだぞ」


 俺の目の前の女性はぶつぶつ言いながら何かを検討している。


「ああ。それは別に蔑まれていたわけでは…………」


「いいかしら二人とも」


「あっはい」


「えっと。唐山君でいいのかしら? 私は日高。湯皆のマネージャーをやっている日高真理よ」


「あっ。唐山悟です。宜しくお願いします」


 何を宜しくするつもりなのか解らないが、ひとまず頷いておく。


 だが、次の瞬間クール系美女と思われていた日高さんは。


「ああぁっ!」


 湯皆の驚いた声があがる。日高さんに手を掴まれたからだ。


「唐山君。あなたうちの事務所からデビューしなさいっ!」


 日高さんは俺にぐっと顔を近づけると興奮気味に言った。


「で、デビューって何のですか? 言っとくけど、俺は湯皆みたいに歌って踊るなんて不可能ですよ」


 ああいうのは幼いころからバレーや音楽などの習い事をして習得していくのだ。演技をしろと言われた場合、演劇経験も無いし、今後も習うつもりもない。


「とりあえずモデルとしてデビューしてもらって雑誌やCMに出演してもらってゆくゆくはメディアに進出もして貰いたいと思ってるわ」


 なるほど。いきなりテレビドラマをやらせたり、歌を歌わせる訳では無いらしい。流石に素人相手に無謀な賭けには出ないようだ。


「あの……一つ聞いてもいいですか?」


「何かしら。私の恋人の有無? それとも湯皆のスリーサイズならグラビア雑誌に公表してるのは嘘っぱちよ。本当はこの子もっとスタイル良いのよね」


「ひっ、日高さんっ!」


 思わぬ裏情報が得られた。俺はその情報をしっかりと記憶すると。


「その事務所ってそこまで男のタレントの人数が足りないんですか?」


「うん? 湯皆。この子は何を言ってるのかしら?」


「さあ? 唐山さんは出会った頃から妙な事を言う人でしたからね。私なんて男の人と間違われましたし」


 俺を見て二人はひそひそと話をしている。大体、湯皆と知り合ってからまだ1週間だろうに。男と間違えたのも悪質な嘘を付かれたからだ。最初から余計な事を言わなければ間違えなかったさ。


「だってそうでしょう? わざわざ俺みたいな一般人をモデルにするなんて、そりゃある程度の身長はあるので着れる幅は広いですが、道を歩けばイケメンなんて結構いるんでそっちを使った方が良いんじゃないですか?」


 俺の主張を聞いて二人はポカーンとすると。


「やだ。この子マジで言ってる?」


「ええ。無理もないです。私がコーディネートする前はこんなでしたから」


 そういって湯皆は一枚の写真をスマホに映し出す。

 俺のバイトの証明書だ。中にははっきりと身分を証明するときに撮影した写真が写っている。


「うそっ。こんな野暮ったい髪で、お洒落の欠片もない恰好をしているのがそうなのっ!? ………………本当に化けるものねぇ」


「ええ。すっごく色々弄りましたからね」


 それはちょっと驚きすぎじゃないだろうか。目に掛かっていた前髪に普段着のシャツとごくありふれた一般人だろう。


「湯皆。あんたスカウトに向いてるわよ」


「じゃあ。アイドルを引退する際にはそっちで宜しくお願いしますね」


 そういって二人は話を進めようとする。俺はたまらず口をはさんだ。


「あの…………俺。そういうのあまりやりたく無いと言うか…………恥ずかしいんですけど」


 お金をもらって人前に立つ。それは華やかな人間にとっては憧れる場所かもしれない。

 だが。生まれてからこれまで、俺は他人に優しくしてもらった記憶がほとんどない。


 育ててくれたシスターや同じ孤児仲間は別だが、何処に行っても孤児院出身という事で冷遇されてきた。だから他人の視線が集まるのは苦手だ。


「えっ? そうなの? てっきり話が通ってると思ったから、雑誌の仕事を取ってきちゃったんだけど?」


「日高さん。今日は会わせるだけって言っておいたじゃないですかっ!」


 湯皆の非難の声が向かう。日高さんもバツが悪そうな顔をしている。


「湯皆から見せられた写真に魅せられてて聞き流してたのよ。だってこんなモデル映えする男の子なのよっ! 着飾って堪能したいじゃないっ!」


「その気持ちはわかりますが、唐山さんにも事情があるんです。無理強いするなら私達帰りますからね」


「わかったわ。私の不始末だし、今回は断っておくわよ…………。唐山君もごめんなさいね」


 意外とあっさりと引き下がる日高さん。断りの電話を入れるべくスマホを取り出しているのだろう。

 そういう態度で来られるとなんだか申し訳なくなってくる。俺は迷いながらも言う。


「あの…………」


「ん。なぁに?」


 電話帳を見ながら難しい顔をしている日高さんに。


「今回限りという事でしたらやってみても良いです。全く興味が無いわけでもないので」


 苦手を克服する為だし。1度きりだし。もしかするとに繋がるかもしれないし。

 様々な思いから俺は何とかそれを口にするのだった。


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