第7話アイドルに頭を下げられた男
「頭痛てぇ」
敷地内を歩きながら声が漏れる。
「珍しいな
友人のからかいを含んだ言葉に対して俺は言い訳を述べる。
「そんなんじゃねえよ。バイト先の歓迎会でちょっと酒を飲んだんだよ」
飲む量をセーブしてこの苦しみだったのだから、普通に飲んでいたらどれだけの頭痛がしていたのだろう。
実際。昨日の記憶が途中から途切れている。コンビニの手前まで歩いていたのは覚えているのだが、朝起きてみると服を着たままの状態で、家のトイレで突っ伏していた。
吐いてそのまま寝てしまっていたようだ。
「へぇ。お前が酒をねぇ。いつも仕送りしてるから余裕が無いって言ってる癖に」
その声は若干不満そうだった。無理もない。俺は金が無い事を理由に友人からの飲みの誘いを断っているのだ。
「別にお前と飲みたくなかった訳じゃないぞ。歓迎会で奢ってくれるって言うからさ。付き合いだし。断れないだろ?」
仕事上の付き合いだという事をアピールしてみせる。友人は俺のその妙な気遣いがおかしかったのか。
「冗談だって。先を越されてちょっと羨ましくなっただけだからよ。俺達ともそのうち飲もうぜ」
そう言って肩をぽんぽんと叩かれた。
「そんじゃ。俺は次の講義に行くけど。悟は休講だったんだろ?」
「ああ。次の講義は5限の外国語Ⅰだからそれまで空き教室で寝てくるわ」
「ういー。お大事に」
手を振りながら去っていく。俺はそれを見送ると。
「さて、空き教室でも探しますかね」
☆
空き教室に向かっていると掲示板の前で女の子が一人立っていた。
赤縁の眼鏡に帽子。肩口で切りそろえられた栗毛は艶やかで、陽の光を浴びて輝いていた。
一瞬。どこかで見たような気がしたのだが、眼鏡越しでもわかる美貌はそこらの女子では対抗できない。
もしこんな子と出会っていたら忘れる訳がない。だから気のせいに違いない。
俺はそんな少女を一瞥すると、目的地に足を向ける。
いっその事、別棟で行われる外国語の教室で寝る事にした。そうすれば授業に遅刻することも無いだろう。
そんな風に彼女の後ろを通り過ぎると、突然彼女が振り返り目と目がばっちり合った。
「あっ…………」
形の良い唇から声が漏れる。一瞬何かを言いよどむ気配を感じたのだが…………。
「唐山さんじゃないですかぁ~。こんな所で会えるなんて思いませんでしたよぉ」
次の瞬間。彼女は華が咲くような笑顔で俺に話しかけてきた。
☆
「…………えっと。誰だっけ?」
いざ声を掛けられてしまったのだが俺は彼女を思い出せない。何処で会ったのか?
名前を知っている言うことは本当に俺の知り合いなのだろうが…………。
俺は申し訳なさそうな顔で彼女を見ると。罪悪感が顔に出ていたのか、彼女は――。
「えっ? …………知らないんですか?」
そう言って不必要な程に顔を近づけてきた。
「もしかして高校の頃の後輩か?」
あり得るはずも無いのだが、会話を続けなければ正体が判らなそうなので聞いてみる。すると――。
「ええ。そうですよ。実はわたし。在学時から先輩に憧れてて。同じ大学に入れたらなと思って受験したんです」
ふと悪戯を思いついたような顔をすると、熱っぽい視線をおくってくる。その視線に俺は――。
「………………まじかよ」
げんなりとして答えるのだった。
「何ですかその顔。私みたいな可愛い後輩が先輩に会いたくて受験してきたんですよ。喜ぶ所じゃないですかぁ」
「それが本当ならうちの高校の教師の名前を一人挙げてみろ。本当に在籍してたなら知ってるはずだろ?」
これは相当に意地の悪い質問だ。お互いに認識できる教師の名前なんぞ在学していても早々に出せるものではない。
彼女は「えっと……」と呟きながら口元に指をやる。
その仕草は演技めいていて、どう振舞えば自分が魅力的に映るのかよく研究しているように見えた。
「たな…………鈴木先生です」
「今一瞬。俺の反応みて答えを変えなかったか?」
「気のせいですよ」
焦りが伺えるのだが、この際それはどうでもいい。
「まあ。正解だな。数学の鈴木は授業が長いことで有名だったしな」
問題は正解を出されてしまったという点についてだ。だとするとこいつが俺の後輩だという確率が上がってしまう。それは俺にとって非常に不味い事態を招く事になる。
「で、ですよねぇ。私もしょっちゅうそれで授業延長されてたんですよ」
これ幸いとばかりに話を合わせてくる。本当に鈴木の授業に辟易していたかのような苦い顔をしている。
「認めてやるよ。お前が俺の後輩だって事を」
俺は渋々、目の前の人物を高校の後輩だと認める事にした。
「じゃ、じゃあ!」
「それにしても最近の技術って凄いのな」
「へ?」
俺の言っていることが解らないのか、目を丸くする。そんな後輩に俺は告げてやる。
「だってお前。俺が在学していたのって男子校だし。お前も当然男だろ?」
「はぁぁぁあぁぁぁぁぁーーーー!?」
次の瞬間演技ではない大声が俺の耳を直撃した。
☆
「本っ当に信じられないですっ! 私を男と間違えるなんてっ!」
彼女は顔を真っ赤にして怒り出した。確かにこんな可愛い子が男だなんて少しおかしいとは思ったんだ。だが、高校の後輩を偽られたらそう判断するしか無いだろに……。
「んで結局お前は誰なわけ?」
彼女の正体は二つしかない。この世に存在しない可愛らしい男の娘。もしくは、可愛らしい不審者のどちらかだ。
「はぁ。もう少し引っ張ろうかと思ってたけどもういいや」
そういって彼女は眼鏡と帽子を取る。
「これで判りましたか?」
疲れた表情を俺に向けてきたので俺は……。
「いんやさっぱり」
「て、テレビとか見ないんですか?」
「うちテレビ無いし」
「スマホとかは……?」
「おう。最近買ったけど便利だよなこれ。位置情報がリアルタイムで更新されるし、メールとかも送る事が出来るんだぞ」
そういって俺はスマホを取り出す。中古ショップで売っていた数世代前のスマホだがまだまだ十分動く俺の愛用品だ。
彼女は俺の自慢げな表情を冷めた目で見ると。
「…………本当に現代人ですか?」
不憫な人を見るよう目で諭された。失礼な奴だ。
「湯皆ですっ!
そう言えばそんな名前を友人が言っていたような。確かあれは貰った雑誌の表紙を飾っていた…………。ああ。だから見たことがあると思ったのか。
「水着の表紙の子かっ!」
「指差さないでくださいっ! あと普通にセクハラです。訴えますよっ!」
解せぬ。思い出したというのに。俺だって好きで水着の話をしたわけじゃない。最近の少年誌の表紙が過激なのがいけないのだ。
「それで。湯皆は一体何しに来たんだ?」
「私を芸能人だとしってもその態度。こんな反応今まで見た事無いですよ」
それはすまないな。だが、テレビを持たない俺からすると芸能人と言われてもピンと来ないんだ。
確かに凄く可愛いのだが、俺は年下より年上が好きなのだ。母性ある女性に優しく包み込まれるのが夢なんだ。
「ドンマイ」
とにかく落ち込んでいると申し訳ない気分になってくるので俺は彼女の肩をぽんぽんと叩くと励ました。
「誰のせいですかまったく。…………あーもうっ! いいですっ! とっとと来た用事を済ませますからっ!」
そういって真剣な表情を俺に向けると。
「あの時は命を助けてくれでありがとうございました」
深々と頭を下げるのだった。
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