06 「神殿への招待」

 舜は翌日すぐにリッチーと連絡をとる。リッチーはこの街を治める領主からの依頼で、この町周辺で最近頻発する集団怪死事件の謎を追っていたのだという。間違いなくこの像が媒介になっているに違いない。ここは一度、この像の持ち主である魔人の懐に潜り込む必要があるだろう。


そして、その晩も夢引きがあった。

「では、あなたに私がお仕えするに値する方かどうか見せてください。」

舜の願いをディオニュソスは快諾する。

「では、ついて来るが良い。」

 街の広場に巨大な金属製の門が現れる。そこを通り抜けると真っ青な空、そして真っ青な海。そして二つがつながる水平線。そこに白亜の神殿があった。


 神殿の中へと入ると、古代ギリシャ風の衣装をまとった老若男女が話に花を咲かせている。そのほとんどはこの街の住民に違いない。女官たちが音楽をかなで大広間の片隅には飲み物や食べ物が山のように供されていた。その広間から階段が伸び、それは大きな金属製の扉が広がっている。そこを通るとさらなる夢の世界へといけるようだった。むろん、いったきりではなく、階段から降りて戻ってくる人々もおり、みな幸福そうな顔をしていた。その中には病院の職員たちもいた。舜は群衆の中にリッチーを見つけ、合流する。


「おそらく、ここはやつの構築した精神世界でござるな。」

「異世界みたいなものか?」

「そうともいえるが、正確には幻夢境ドリームランドに近かろう。」


幻夢境ドリームランド」とは「意識」世界の集合体である。個人の「現実」が集合し交錯している世界を我々の今生きている「社会」と呼ぶであれば、人の内面にある欲望や希望や願望、それを個人の「理想ゆめ」(と呼ぶと仮定して)が集合し、交錯して一つの世界を作っているのである。言わば、現世に存在する「異世界」とも呼べる存在なのだ。簡単に言うと「ソシャゲ」に近い。


 二人はソフィーの姿も見つけた。ソフィーはまさに「さらなる夢の世界」への階段を昇ろうかどうか迷っていたのだ。舜は彼女の手を取って諫めた。

「ソフィー、これは危険だ。恐らく子供たちの夢をくらって殺したのはこのディオニュソスを名乗る魔人だろう。同じ目にあいたいのか?」

ソフィーは目に涙を浮かべる。


そして意外な人物も階段を下ってきたのだ。ばあやのメリルさんである。メリルさんはNPCの若いイケメン男性たちにかしずかれながら神殿の個室へと消えていく。ソフィーは唖然とした顔で見つめていた。

「三人を同時に相手でござるか。なかなかお盛んであらせられるな。」

皮肉のつもりなのかもしれないが、リッチーの言い方に棘はなかった。


「まあ、夢の中のことだから。メリルさんだって『発散』したいものもあるんじゃない?」

舜の言葉にソフィーが何をと尋ねて来たので慌ててしまう。

「その⋯⋯ストレスとか、ストレスとか⋯⋯⋯ストレスとか?」

まさか「性欲」とは言いづらい。しかし、メリルはかなり慣れた様子だったので、おそらくこの世界では「常連客」なのだろう。


そこにディオニュソスが現れた。

「どうかな?夢は素晴らしいと思わんかね?なんの対価も労力も要せずに好きなことをし、好きなものを食べ、好きな女を抱くことができる。それも、明晰な思考の下でだよ。これこそ真の自由、真の幸福だとは思わんかね?」


「その代価は?あなたに何を支払うのか?」

そう、簡単に言うとソシャゲで快適に過ごすには「課金」が必要なようにこの「ディオニュソス」の世界でも何か支払うべきものがあるはずだ。


「それは君の中にある。そう心の中に。」

その瞬間、舜の脳裏にフラッシュバックのように過去の記憶が流れだす。

「君にとって辛い思い出、悲しい過去、恥ずかしい思い。あるだろう?その記憶さ。それを忘れさせてあげよう。」

なるほど、記憶が対価だったのか。これは極めて危険な囁きだった。人格は過去によって構成される。そこから学び、それを超えていかなければならない。父と母を亡くした記憶は確かに忌まわしいが、それを失くしてしまえば今なぜ自分がここに立っているかさえ不明になる。そう、人生において「要らない」記憶など存在しないのだ。


もし、自らの記憶を操作する術に身を任せるとすれば、この夢の中で快楽のみをただ追求する暮らしへと堕ちていくだけだ。


手に入れられなく悔しい思い。それこそが人類の進歩の原点だ。赤子が父の胸に抱かれ星を見上げる。子は美しく瞬く星を欲しがり、向かって手を伸ばす。しかし、決して掴むことは叶わない。そして悔しくて泣き声をあげる。⋯⋯その悔しい気持ちこそが探究心であり、その気持ちがなくなることは、人類にとっては種としての終焉を意味するだろう。


「麻薬と一緒でござるな。現実からいくら目を背けようと、そこに問題があることには変わりはござらん。」

リッチーの言いように舜も頷く。これは危険すぎる。人は夢に依存してしまい、自分の記憶を切り売りしていく。もはや夢と現実の境目まで曖昧になり、廃人へと堕していく。そう、これこそが「噂の病気」の正体にほかならない。


「あの神像を破壊する。あれは魔神の遺物レリックに相違ござらん。」

舜とリッチーの見解は一致した。


 舜とリッチーがそれぞれ目を醒ますと町は大パニックに陥っていた。大勢の人が死んでいるらしいのだ。みな眠ったまま目をさまさない昏睡状態になり、このままではみな死に至るという。

「祟りだってよ。」

舜の宿直室に入り浸っている小雪が言った。

「あのご利益のある御神体を取り返しに来る人がいるんですって。だから教会を守れ、って大騒ぎよ。」


 人が死んでいるならすでにご利益なんてないじゃないか、と小雪が笑う。こういうクレバーなところがある彼女なら戦力になるかもしれない。大体、ロトによって舜と一緒にチームを外される前は小雪も魔獣相手に戦っていたバリバリの狩人ハンターなのだ。


 ソフィーから家に来てほしいと連絡が入る。舜とサラが彼女の家に行くと、蒼白な顔をして出迎えた。突然、メリルさんが死んだのだという。朝、朝食を用意しているはずの彼女が起きて来なかったのだ。不審に思ったソフィーが彼女の部屋を訪ねると。すでに息をしていなかったのだという。


見たところ彼女の部屋は荒らされた様子もなかった。すぐに治安維持局を呼ぶ。局員たちがメリルの遺体を調べるも不審な点は見つからなかった。そしてソフィーの身分証を確認すると

「恐らく病死で間違いないでしょうな。心からお悔やみ申し上げます、男爵令嬢。のちほど、領主からお悔やみのご挨拶をお届けします。」

それだけで引き上げてしまったのだ。貴族の家の中のことはその家の中で解決しろ、というのが暗黙のルールなのである。

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