05 「怪しげな男神像ーただし、イケメンである。」
リッチーは気まずそうに切り出す。
「実は拙者は口下手でな。なかなか市井に溶け込んでスムーズにコミュニケーションをとるのが難しいのだ。それで拙者を手伝ってはくれまいか?」
え、いきなり初対面の女性に「お前のためなら死ねる」とか言える人が?という思いが頭をよぎる。
「へ?俺ですか?」
「左様。貴殿なら我が友の友でもあるから気兼ねなく話せるし、しかも子連れでもあるゆえ皆も胸襟を開いて語ってくれるはずだ。」
報酬が出る、となれば断る理由はなかった。とりあえず、その「夢引き」で起こった事故や事件のあらましを地元の治安維持局で調べることにした。しかし、いつものパターン通り、すべて土民のみがかかわる事件のため、ろくに調査もされていなかったのだ。
翌日、舜はサラを連れてソフィーの見舞いに行った。メリルさんは黙って家に上げてくれた。彼女は思ったより元気そうだったが、患者と個人的にかかわる距離感に戸惑いと怖さを感じているようだった。
舜は枕元に座ってソフィーの手を握った。
「ソフィー、提案なんだけど、少し休みを取ればいいんじゃない?根の詰めすぎは毒だよ。その、心にも体にも。なにか気分転換になるようなことをしてみたら。」
そうね、と言って目を閉じ少し考えるとソフィーは言った。
「じゃあ、明日デートしましょう。あなたのバイクで私をドライブに連れて行ってくれないかしら?」
「気持ちいいね。まるで風になったみたい!」
翌日、舜はサラとともにソフィーをアヴェンジャーに乗せてドライブを楽しんだ。まてよ、自動車じゃないからツーリングというべきか。砂浜でも海の上でも自由自在に走れるのが重力制御式バイクの楽しさである。
潮風を満喫し、浜辺でメリルさんのお手製の弁当を食べ、街へ戻る。町なかに教会が見えるとソフィーはそこに立ち寄るように頼んだ。
貴族は基本的に科学者であるため、宗教を奉じる人は少ない。それで科学者が教会に行くのかと舜は違和感を覚えたのだが、それが伝わったのか彼女は笑った。
「別に『神様』を信じているわけじゃないの。生命進化の『自然淘汰説』を信じていないだけよ。私みたいに障碍を持って産まれた人間に生きる価値はない、ってことはないでしょ?病気があっても障碍があっても人間には確かに生きる価値がある、だから私はそういう意味での進化論を信じてはいないわ。」
日頃「邪神」や「魔神」と戦うことさえある舜にとって、「神」の目から見て価値のある人間が果たしているのかどうかの方が疑問であった。人間の価値の違いとは「豚肉」より美味い「牛肉」の違いぐらいしかなかろう、という感じである。ただし、どちらも食われる運命には違いがないのだ。
教会堂には大勢の人々が詰めかけていた。教会堂に入るとそこには彫像が置かれていた。それは象牙細工で作られた美青年の像であった。
「ディオニュソス」と台座には刻んであった。それはギリシャ神話における葡萄酒と豊穣の神である。ローマ神話では「バッカス」として知られているが、そちらの方が通りがいいかもしれない。最近、近所の漁師が網にかかったこの像を引き上げ、それを奉納したそうだ。正体不明の像で誰しもが出自を怪しんだが「イケメン」像であるため、「神像」だと判断されたそうである。
「なんでも『男前』なら許される。いやな世の中でござるな。」
礼拝を終えた三人の後ろからリッチーに声をかけられ舜は飛び上がりそうになった。
「ディーン、ソフィー殿とデートとは……。抜け駆けとは卑怯にござる。武士の風上にもおけぬ。拙者も乗り込むでござる。」
おいおい空気読め!と思ったが有無を言わさぬ雰囲気に引いてしまった。舜は心底げんなりしたのだが、ソフィーも舜を男と認識するに至ったわけではない。
「あとはディナーだけなんですけど。ここは当然、ナイトたるリッチー卿がお支払いいただけるということでよろしいですか?」
「うむ。任せるが良かろう。」
「さあ、サラちゃんいらっしゃい。」
サイドカーに乗るソフィーの膝にサラが陣取る。
「さあ、スポンサー様はこちらへ。」
舜がリッチーを手招きする。
「まさか、拙者が貴殿とニケツでござるか?」
嫌そうな顔をするリッチーであったが舜は首を振る。
「『まさか』ってほかの選択肢はないでしょうよ。」
リッチーは舜と背中合わせに席を取り目をつむる。器用な乗り方だ。そう思った時、リッチーがつぶやいた。
「ディーン。やはりあの像、魔人の依り代でござるな。」
それを伝えたいがためにデートをぶち壊したのか。いや、ぶち壊したついでにそれを伝えたのか、いずれにしてもうまいものをくってやる、腹いっぱいな。怒りが舜の胃酸を分泌させた。
ソフィーの行きつけの貴族向けのレストランでさんざんうまいものをおごらせる。リッチーも酒をのんで上機嫌だった。そしてソフィーを送り届る。メリルさんは新たに登場したリッチーをぎろりとした目でにらんだ。ソフィーは柔らかく微笑んだ。
「二人とも今日は本当にありがとう。すぐに立ち直れないとは思うけど、もう駄目だ、なんて思わないわ。ありがとう。」
「夢か……。」
その晩、さっそくの夢引きである。夢であることがはっきりとわかる夢。それが明晰夢である。
「ベル。」
ベルが姿を見せる。
「どうやら明晰夢だ。現実と区別をつけるために夢の時はずっと顕現するんだ。」
「了解。」
明晰夢の怖いところは意識の混濁である。そして、もう一つの「指示」をベルに与えた。
とりあえず外に出てみる。町が再現されている。しかし、この町に来て、いやこの町を「出歩いて」数日程度の舜の記憶だけでこんなに町が再現できるだろうか。あるいは、魔人の構築した「世界」に呼び出されているのだろうか。
本来、睡眠とは記憶の整理過程である。悲しい現実の記憶、怒り、苦しみ、痛みそうした記憶を和らげるためのものでもある。その過程に生じる現象が夢なのだ。人間の美味なる精神エネルギーの収集の場にはもってこいなのである。
街の中央広場に出ると、そこでは宴会が催されていた。もうすでに夢の「混線」のレベルは超えていた。一つの世界が構築されていたのである。
「我に仕えよ。われを誉め称えよ。われを崇拝せよ。」
そこに現れたのは巨大な、身長は3mほどもある「ディオニュソス」である。
「現実こそが地獄である。現実のために眠るのではなく、良き眠りのために働け。それがわが真理の道である。」
うっとり心地よい声音。女ならほれぼれすることだろう。
ただ、惜しむらくは「まどろんで」いるような幸福な気分に浸れないほど「明晰」な世界であるところである
彼が提供する料理は「記憶」や「想像」に縛られる夢のクオリティを超えていた。もう現実を超えていたのだ。
人々は快哉を叫び、彼への崇拝者になることを誓う。やがて美しい男女のNPCが現れる。男女を問わずそこに群がり享楽を貪りはじめる。
そう、ここは夢の中なのだ。恥も外聞もかなぐり捨てても許される夢の世界なのだ。舜はうんざりした。いや、それ以上に危険を感じたのだ。
「断る。」
舜がにべもなく断り、踵を返すとそこで目が覚めた。
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