08 「イゴールナクの手」

「おい。」

イーサンが帽子を脱ぐと、そこに警備員の目が集まる。

「異教徒はあっちだ。」

そのまま警備員たちはイーサンが指さした地下の外へと飛び出していった。例の権能ちからを使ったようだ。ほっとした様子の舜に再び帽子をかぶったイーサンが急かす。

「ほっとしている間はねえ。さっさと着替えを済ませろ。」

「やり過ごしたんじゃないのかよ?」

イーサンの能力は効果が一時的であり、人間でない存在には効かない場合もあるようだ。


 蠢く肉体たちの中から一人の男がすっくと立ち上がった。均整の取れた美しい身体付きの男である。男は全裸のままこちらへと近づいて来る。

イーサンは男の顔を見て呟いた。

大当りビンゴ。」


「お前たちはどこのネズミだ?」

ドアを乱暴に開けたその男は二人に誰何すいかする。

「俺はイーサン・ピースメイカー、フェレール伯爵閣下の使いだ。あんた、ピエール・フォン・フェレール伯爵公子閣下だろ?親父さんがあんたを探している、変な宗教にはまっているとかなんだかでな。まさか、こんなところにいたとはな。悪いが、一緒に来てもらおうか?」


その言葉に男の顔がたちどころに真っ青になる。

「お、俺は、俺はあんな家には帰らないぞ!」

その瞬間、ピエールの姿が変化する。「イゴーロナクの情人」になったのだ。そして恐るべきスピードで外へと逃げ出した。


「どうする?やつを追うの?」

「いや、地の利の無い俺たちには不利だ。それにあのスピードだ。生身じゃかないっこねえ。」

その返答に舜は同じ結論に至ったとみなす。

「じゃあ、こちらに出向いてもらえるように仕組まないと。」

「そういうことだ。」


 二人はイゴーロナクの手のところへとうごめく肉体をよけながら近づいた。得体のしれない液体まみれの床は不快感を増幅させる。

「悪いが大事なものを預からせてもらうよ。」

イーサンはイゴローナクの手を掴むともちあげる。ずっしりとした重みがあるが5kgぐらいだろう。


 その時、舜は祭壇に捧げられていた小物の中に、フレディが失くしたはずのメガネが置いてあったことに気づいた。舜はそれを拾いあげる。

「なぜこんなところに?」

 その理由はすぐに理解できた。シルヴィアとライラもそこにいたのだ。彼女たちも仮面をつけており、かおこそ確認できなかったが、その肉体は何度も味わい知ったものである。見覚えのあるシルヴィアの美しい臀部の曲線。そしてライラの愛らしい乳房の形、それが男たちの手によっていいように形を変えられている。

くやしさよりおぞましさが先立ち、舜は出口へと足を速めた。


 二人が部屋を出たその時、形振り構わず享楽に耽っていた人々の動きがいきなり止まる。彼らは突然、正気に戻ったかのように辺りを見回した。

「なるほど、この像が快楽の媒介になっているのか。」


 二人はそのまま治安維持局へ出向くとフェレール伯爵公子の探索への協力を要請する。しかし、答えはノーであった。イゴーロナクの崇拝と街の成り立ちに深い関係があることを彼らは知っていたからである。


 しかし、フェレール伯爵の息子が「イゴーロナクの情人」の正体であることを聞くと顔をしかめる。魔神との「ただれた」関係を暴露されれば、領主のアシュキン家も無事では済まない。アシュキン家の安泰こそが自分たちの地位を保証するものだからである。そのため、秘密を口外しない代わりに、彼らから手出し無用の確約を得ることになったのだ。もっとも、イーサンの求めている条件はそれなのだ。

「ただな、こう言う約束は反故にされることが多い。覚えておくといい。」


 その翌日、フレディの葬儀が教会堂でしめやかに執り行われた。質素な式で祭壇には彼の遺影、おそらく若き日のステージ衣装での写真が花とともに飾られていた。


 棺は蓋が開けられ、には死化粧エンバーミングを施されたフレディの遺体が安置されていた。

やがて献花が行われる。棺の側にはシルヴィアとライラが座っていた。サラが持ってきた花を一輪、献花台に手向ける。


そして、舜はそこにフレディのメガネを置いた。

親父さんフレディ、世話になったな。そういえば、あんたが失くした眼鏡が見つかったんだ。約束通りに届けにきたよ。」

そのメガネに気づいた二人の目が見開かれる。

「ディーン、それをどこで?」

シルヴィアがかすれた声で尋ねた。

「とある地下礼拝堂カタコンペでね。二人にもとてもになったね。」

「ディーン、あんた、どこかに行っちゃうの?」


ライラの問いに舜は答えた。

「ああ。治安維持局から『所払い』(追放処分)のお沙汰が出てね。明後日には立とうと思ってる。きっと死んだフレディも二人にはもっと活躍して欲しい、あの世でそう願っていると思うよ。」

そう言ってから舜は二人に顔を近づけると小声で言った。

「⋯⋯例の『手』は俺たちが保管している。ピエールと交換だ。日時と場所はきみたちに任せる。」


 立ち去る舜を二人は絶句したまま見守っていた。手を引かれたサラが何度も振り返る。


反応はその夜にあった。舜とサラの部屋のドアの下に「招待状」が差し込まれていたのだ。メモではなく、堂々とした上質の紙に達筆な文字で描かれていたのだ。場所は先日侵入したスタンリー・アシュキン劇場の地下であった。

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