05 「バーバラ・グリーン。」

舜の定義では、母親なんて産んでくれただけでも十分に母親なんだ。それだけでもう、感謝しても仕切れない、そんな存在なのだ。それなのに、この二人の母親はさらに自分の命と引き換えに自分を生かしてくれた。だからこそ、その娘のサラを舜は愛おしくて仕方がないのだ。舜はすっかり眠り込んでいるサラの髪を撫でた。

「だから俺は命をかけてこの子を守る。子供は搾取の対象じゃない。愛情と時間を捧げる対象なんだ。そして、その価値はある。⋯⋯なんてね。ごめん、若僧が偉そうに言っちゃって。」


「ありがとう。わたしもずっと不安だった。」

バーバラが図らずも授かってしまったお腹の子を堕胎することは「飼い主」の貴族が許さなかった。その理由は「妊婦プレイ」がしたい、というゆがんだ願望からだった。心底胸糞悪いと舜は思った。


サラを身籠り、 身重になったユリアをどれだけテラが大切にして気遣ったか。ユリアを安心させ、元気付けるためにどれほど心を砕いたか、舜は幼心にそれをずっと見ていたのだ。


バーバラは母親になると主人に「授乳プレイ」を要求された。しかし、子供が泣くと当然ながらプレイは中断される。主人はだんだん興が冷めていき、ついにはバーバラに出て行くようにと告げたのだ。娘は「下賤な遺伝子」が混じった子は自分の子ではない、とともに追い出された。少しの手当てが出たが、そんなものはすぐに底をついた。

バーバラは子供を育てながら家事を覚え、仕事を覚えなければならなかった。


不意にバーバラが舜のすぐ隣まで来た。彼女の温もりを感じる。

「私ね。男が嫌いなの。⋯⋯正確には嫌いだった、かな。私はクトゥルフとかいう邪神が復活してこの惑星が滅びても、私がまきこまれて一緒に滅びても全然構わない。でも、娘だけは助けてあげたいの。でも、あなたと出会ってよかった。きっとあなたみたいに女性を道具や玩具じゃなくて、一人の人間として大切にしてくれる人もいるのね。」


彼女の顔が不意に近づく。化粧っ気もそっけもない顔。ただ、まだ20代なので化粧などなくても十分美しい。

「ねえ、私、子持ちのおばさんなんだけど、あなたがフェリシアを取り返してくれて、母親に戻る前に、少しだけ女性になってもいいかしら?道具でも玩具でもない、一人の女になってもいいかな?」


舜はその言葉の意味を悟るとそのまま彼女に口づけをする。深い口づけを交わし、しばらく抱き合う。彼女は起き上がると舜に背を向けて部屋着を脱いだ。窓から差し込む月の光に照らされてその丸みを帯びた肩や背中が青白く照らされる。

大地母神マグナ=マーテル」、そんな言葉が舜の脳裏を過ぎる。舜はサラが寝静まっていることをもう一度確認するとバーバラを抱き寄せた。

「ねえ、今だけ私のこと、『バービー』って呼んでみて。」

「バービー。」

かつて「飼い主」が自分をそう呼んでいた。最初は、あの男も紳士的で優しかったのだ。幼く無力な少女にとって、どこにも行くところも縋るところもなく、あの男の腕の中だけが自分の居場所であった。嘘偽りの安楽の地。もちろんあの男のすべてが悪だったわけではない。そう、自分娘のフェリシアも半分はあの男に由来しているのだ。


 そして、今自分を抱いている少年。彼もそのうちここからいなくなる。すべてが夢だったらいいのに。次目が覚めた時、まださらわれる前の何も知らなかった幼い自分に戻れていたらどんなにかいいだろう。でも、それはだけはかなわない。だから今だけは全てを忘れて、幸せだった思い出に浸ろう。今夜の思い出もきっと、明日から生きていく上での自尊心の糧となるはずだから。


二人はそのまま月光の魔法に誘われるまま、一つの存在となっていった。


舜が目を醒ますとバーバラはすでに起床しており、仕事に向かっていた。

舜は彼女が用意してくれた簡素な朝食をサラとともにとり、自分とサラの身支度を整えるとナイジェルのオフィスに向かう。


「準備室」はスタッフの動きで慌ただしかった。

「おはよう。昨日は二人で燃えたんだろう?」

若干の遅刻の理由を邪推され、舜はぶっきらぼうになんのことだ、とだけ返す。


「いや、その首筋のキスマークの話だよ。」

舜は思わず首に手をやる。ジャックがにやりとした。

「うそだよ。ってかほんとに抱いたのかよ?まあ『童貞卒業』って感じじゃなさそうだしな。」

「当たり前だ。ったく。」


イーサンがめんどくさそうに二人の会話を遮る。

「ジャック、そろそろおふざけはやめにしてくれ。ディーン、きのう、男爵邸の秘密基地の図面が手に入った。今夜、作戦を決行する。」

「まじか?どうやって手に入れたんだ?」

「『エクセレント4』をなめんなよ。うちのスパイは超優秀なんだよ。⋯⋯ベッドの上以外でもな。」


その日の夕方、待ち合わせ場所にアヴェンジャーでやってきた舜にジャックは素っ頓狂な声を上げる。

「おいディーン。まさかこんな現場にサラちゃん連れて行く気か?」

舜の背中からひょっこりと顔を出したサラを見たからだ。ただ、このセリフは幾度となく聞かされてきたものだ。

「しゅん⇨」

サラはリラックスモードである。何しろ、母ユリアがさらわれてからというもの、娘が心配で心配で仕方がない父は舜にサラをおぶらせて狩りに同行させていたのである。なぜそれほど心配だった理由を知ったのは父が死んだ後であった。だからサラは「現場慣れ」しているのだ。


サラは髪をきれいに結い上げて動きやすさを確保している。ジャックは諦めたようにサラの気合の入った髪に触れる。

「ディーン、お女の子の髪を結うの、うまいのな?」

まあな、と生返事したが、これくらい複雑な髪型になると実際にはベルに頼るところが大きい。


そして、今の舜にとってベルの能力「銀糸の織り手」は戦闘には欠かせないし、それゆえベルの憑代になるサラが必要なのだ。


 それで「娘連れ狼」と呼ばれているんだろうが。イーサンはそれほど驚いた様子もない。イーサンはゴツゴツとした手でサラの頭を撫でた。

「なあに、俺が最初に人を殺ったのはこの子くらいの齢だったからな。」

どういう幼少期なんだよ、そうは思ったがさすがに今はつっこむタイミングではない。今回は飛空艇を使って上空からの侵入になる。無論、人間の見張りはいない。


というのもナノマシン技術の進歩によって「光学迷彩」が定着しているからで、カメレオンも真っ青な擬態、まさに透明人間になれるからだ。

そのかわりにヘルハウンドがさらに配備されている。「光学迷彩」で消せるのは、あくまでも姿だけなのだ。消しようのない「侵入者」の臭いに気づいたのかけたたましい吠え声を上げ続ける。


突入時期が今夜になったのは男爵主催のパーティで「拷問ショー」がお披露目されるとの情報が入ったからだ。

「強行突破するのか?」

舜に尋ねられたジャックはにやりと笑った。

「そうだな。こりゃとっ捕まった方がてっとり早いな。舜と俺が捕虜役だ。イーサンとサラちゃんはバックアップよろしく。」

「なんだよ、俺がガキのお守りかよ。」

イーサンが文句を言うと、

「そういうな。拷問されるのは昔から『美少年』と相場が決まってんのよ。ひげ面のお前が悩ましいつらしたって、だあれも興奮なんかしないのさ。」

「ディーンはわかるがお前の方はどうなんだ?」

「いやいやどうして、俺ってまだ10代でもいけるでしょ。」

勝手にしろ、そう言いつつイーサンはプランを引き直す。いいコンビだな。舜はそう思いながらサラをイーサンに預けた。


「ディーン、ジャックの『手癖の悪さ』に気をつけろよ。」

「余計なこと言うない。」

イーサンの忠告にジャックは抗議の声を上げた。

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