08 「紅蓮の業火と心の涙」


舜の「紅蓮」が結界ごとユキオンナを焼き尽くそうとする。


ぎゃああああああああ。


 前回の断末魔とは桁違いの迫真の叫び声だ。その声が徐々に太く、低くなっていく。今度はその身体がぶくぶくと太っていく。その姿は太った白蛆に似ていて、その全身はゾウアザラシよりも大きいくらいだ。尾は胴の体節程の太さで、半ばとぐろを巻いている。また、前端は肉厚な白い円盤状で、伸び上がったその前端には顔と見られる部分があり、その中央に口裂が開き、醜い曲線を描く。この口は絶え間なく開閉を繰り返し、その度に舌も歯もない白い口腔があらわになる。浅い鼻孔の上には左右迫った眼窩があるが、眼球らしいものはなく、そこから涙のようにポタポタと血のように赤い小球体がこぼれ落ちる。


おぞましい姿に変えたユキオンナに舜は言い放つ。

「お前の正体は『冷たきもの(Cold One)』。つまり、かのルリム=シャイコースの幼体だ。そりゃ人間に比べればはるかに強力だが今回は相手が悪かったな。大人しく元いた惑星に帰るがいい。」


 ルリム=シャイコースは冷気を司る邪神であり、街に雪を降らすのはどうということもない。

 かつてユキオンナだったものは頭を振り回す。赤い涙を流しているので反省しているかのようにも見える。

「お許しくだされ。代行者様。」


舜が背中を向けた瞬間、ユキオンナから氷の刃が発射された。舜はガラティーンでそれをやすやすと刎ねあげる。

「な⋯⋯ぜだ。」

攻撃を簡単に看破されたことに納得がいかないのか。ユキオンナが呻く。

「お前、カレンを殺した時に氷柱を使ったろ。あの角度は自由落下で刺さる角度じゃねえ。お前が操ったんだ。だから、お前の攻撃はすでに見切っていた。」

 いや、ルリム=シャイコースほどの邪神だったら、すでにその攻撃方法はセラエノ断章フラグメンツに記載済みだ。


「まあいい。カレンを無残にではなく、苦しませずに死なせたお前のに免じて封印してやるよ。

「いやだ⋯⋯。封印はいやだ。」

ユキオンナは氷柱を発射しつづける。人間の作りし鋼板くらいはやすやすとぶち抜くシロモノだが相手が悪い。


舜の背中に6枚の翼が生じる。

「貴様、熾天使セラフなのか……?」

「すまんな。この宇宙の神アザトースよりもちょっと上のモンから委託されていてな。⋯⋯開け漆黒の扉。光と闇と時を司る至高者の使い、我が名、封印の天使ウリエルの名によって命ず。なんじをタルタロスに封印す。」


空に真っ黒な金属製の門が現れ、その扉が開く。その中は漆黒と呼ぶには禍々しすぎる闇がのぞいている。かつて、すべての並行宇宙を管理する「The GOD」に対して、この宇宙の神「アザトース」は弓をひいた。アザトースは敗北し、その「全能性」はあらゆる権能を引き裂かれ、それらはこの宇宙全域に「邪神」としてばらまかれている。それらを集め、再びもとの「アザトース」に戻すこと、そのために動き続けているのがかの「ニャルラトホテプ」なのである。


 舜の6枚の翼は「アザトース」復活のピースを封印するために遣わされた蕃神の代行者たる証なのだ。

ぶううううおおおおおおおうわああああああ。

ユキオンナの身体は野太い断末魔の叫びと共に門へと吸い込まれていった。


 門が消えると、雲も消え、辺りは強い月明りが差していた。ユキオンナの消滅とともに雪の町はただの砂漠のオアシスへと戻って行くことだろう。


地面にはスノークリスタルが、ペンダントの形で残っていた。その魔結晶は月明りを妖しく照り返す。舜はそれを拾いあげ、ナイフで少し削るとそれを舐めた。

「珍しく、甘いな。」

舜は「冷気」と「氷」を使う権能を獲得した。


「そう?結果の方はずいぶんとほろ苦かったのにね。」

ベルのツッコミに舜も苦笑いを浮かべた。

「誰が上手いことを言えと。」


 エドガーが目を覚ますと、そこは夢にまで見たはずの懐かしい我が家であった。でも、妹はもういないのだ。

「カレン、カレン。」

エドガーは泣いた。自分の自由と引き換えに愛する妹の命を失わせてしまった。これは彼が望んだ結末ではなかったのだ。


 生きた妹をその手で再び抱きしめる願いが叶わぬまま、カレンの葬儀が執り行なわれた。立ち会ったのは舜とサラだけだった。同僚の一人すら来ない寂しい葬式だった。


 もっとも、彼女の働いていた工場は水資源が失われた街にあるべきでないものだったのだ。工場は存続の危機、いや閉鎖のための手順を強いられているはずだった。


棺のそばから離れようとしないエドガーに舜が話しかける。

「エドガー、そろそろ火葬場へ行こうか?」

この街では屍食鬼グール避けのために土民に個別の墓は与えられず、遺骨は骨壷に納められてメモリアルセンターと呼ばれる共同納骨堂へと納められるのだ。

「お前、なんで妹をカレンを守ってくれなかったんだ!恋人だったんだろ!?」

 エドガーはいきなり舜の胸ぐらを掴むと殴った。舜はそのまま仰向けで倒れていた。舜も脱力感でいっぱいだったのだ。


「なんとかいえよ!」

エドガーが倒れている舜を引っ張り起こそうとした時、サラが舜をかばうように先にその首にかじりついた。

「しゅん⬇︎」

「どけよ、チビ!」

エドガーはサラをどけようとしたが、サラは舜の首に必死にすがりついて離れようとしない。エドガーはサラが舜の妹であることに気づいた。そう、あのカレンも、無力な女の子だったこの娘と同じように自分を守ってくれようとしてくれていたことに。

「あ、あ、ああ、ああ、ああああああ、あああああああああ、あああああああああああ。カレン!カレン!」

エドガーはもう一度棺にとりすがって号泣した。


「ありがとな、サラ。守ってくれて。」

舜は首にかじりついたまま、恐怖で涙ぐむサラの髪を撫でた。


 カレンの納骨が済むと舜は町を離れることにした。

黙って出て行こうとしたが、意外にもエドガーが見送りに出てきた。エドガーはバツが悪そうに言った。

「サザーランド、昨日は殴ってすまなかった。考えてみればあんた、邪神を倒せるほど強いのにな。」

舜はヘルメットをサラにかぶせながら訪ねる。

「気にするな、とは言いたいが、相当きいたよ。……ところでアンタ、これからどうするよ?」

エドガーはまっすぐ空を見あげた。夕暮れの空に月がうかんでいる。

「ああ。夢に挑戦するよ。すぐにとはいかないが、なるべく早くな。じゃねえと妹に合わせる顔がねえ。」


そうか、と相槌を打ってからもう一つ尋ねた。

「あともう一つ、あんたあの時どっちが演技だったんだ?俺を騙すつもりだったのか、それともユキオンナを騙すつもりだったのか。」

「どっちでもねえよ。正確に言うと妹を守りたかった、ただそれだけなんだ。」

「そうか。」


今度はエドガーが尋ねる。

「あんたはこれからどこへ行くんだい?」

「そうだな、砂漠を超えて、その先は⋯⋯。まあ、やるべきことを一つ一つ片付けていくだけのことだな。」

そういうと舜はヘルメットをかぶり、アヴェンジャーにまたがる。重力ホバーで車体が少し浮き上がった。

「じゃあ元気で。」

「あんたもな。」


「……カレンの分まで。」

 二人が同時に同じセリフを口にした気まずさからか、そのままバイクを走らせた舜も、踵を返したエドガーも振り返る事はなかった。


その日、サイドカーはいやだとだだをこねたサラは夜が明けるまで舜の背中をはなそうとはしなかった。


二人の旅は続く。そう、親の仇を討つまでは。

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