38、大根おろしでペンギンさんをつくるとかわいい
「これを、こう………だ」
「こう?」
「ああ、上手いうまい」
今日という一日は酷いものだった。
ヘイプはなぜ、ああまでわたしを目の敵にするのだろう。ゆっくりと、白菜を一枚、一枚剥がしながら、わたしはため息をつく。
マトがサバクではないと、ヘイプにはバレている。ただ、他の人間にはバレていない筈だ。ヘイプの取り巻きだって、マトがサバクではないのだと、未だに信じきれてはいないらしかった。
「ねぇ………ヘリヤ、マト」
わたしは手を止めて、鏡の中のヘリヤと、鍋の準備をしているマトに声をかけた。普段なら夕食の準備なんてさせてもらえないけれど、今日だけ特別、お料理をしても良いことにしてもらえたのだ。
「マトが本当のサバクじゃないって、知ってる人、ヘイプ以外にもいると思う?」
「居ないだろ、あの女のそれだってただの言いがかりだ」
「そうねぇ、あの子ぉ、『ウケイレ』の妨害とそのことを隠し通せていることにぃ、よっぽど自信があったってことなんでしょうけどぉ」
「………だよね」
バレていないことの安心感と、何でそこまでされないといけないんだという不快感。『ウケイレ』の妨害は犯罪だ。大っぴらに言うことのリスクを感じていないのか。
包丁を手に取ったら、マトには背中から抱え込まれた。
「そんなに気を散らしてたら、手を切るぞ」
「………だって」
だって、とっても憂鬱だ。
『ウケイレ』に失敗したこと。
誰か、たぶん、ヘイプに妨害されていたこと。
ヘイプにはどうやらそこまで嫌われていたらしいこと。
勝手に婚約話がどんどんと進んでいることも。
サク、サクと白菜が切られていく。私の手を包むマトの手は大きくて、少し硬い。背中がほんのり暖かくて安心感がある。
パリキシガの頃に戻って、やり直せたら良かったのか。でも、マトの居ない日常はもう、わたしにとって当たり前のもので、居ない世界とか、想像したくもない。
「ねーぇ、クオラは、どうしたい?」
「どうしたいって………?」
鏡の中で、綺麗な笑顔のヘリヤが頬杖をついていた。
本当なら、この部屋に居てくれた筈の彼女とは鏡越しに話をすることしかできないでいる。
「クオラが望むならぁ、ヘイプに復讐するのもぉ、ヨウシアとの婚約話もぉ、マトが全部なんとか出来ると思うのぉ」
包丁が置かれ、マトは切った白菜をザルに入れた。
めちゃくちゃ整ったその顔をわたしは見上げる。この距離で見ても顔がいい。
「ヘイプの排除は簡単に出来る。ヨウシアとの婚約話は少し難しいな。エスコとの話し合いが必要だし、クオラに他の男をあてがわない限り、あいつは納得しないぞ」
「マトは? あなたでいいじゃない」
「………クオラがさすがにかわいそうだろうが。候補にするならコスフィか、ハルステン、それに………」
エスコって誰だったろう。わたしが黙っているうちに、ヘリヤとマトの間で話はどんどん進んでいく。
「クオラ、旦那候補にぃ、希望はあるぅ?」
「………わたしに、選べるの?」
選択肢があるなんて、最近は思っていなかった。
「それがあなたの願いなら、どうとでもする」
どうしよう。
選択肢がうまれるかもしれないっていうだけで、こんなにうれしい。
「………もし、もしも、わたしが選んでいいな」
ら、と、言いかけたところでインターフォンが鳴った。
「待ってろ」
手早く手を洗ったマトが手を拭きながら玄関に向かう。ふいに現れたペンギンさんがタオルを受け取り、同じ唐突さでふわりと消えた。ヘリヤが手を振って、鏡から姿を消す。
「夕食を作ってたの? 」
来たのは、コスフィだった。コスフィは紐で口を閉じるタイプの、茶色い封筒を手にしている。イーヴァリは着いてきていない。もしかしてヨウシアの護衛に置いてきたのかもしれないし、後から来るのかもしれない。
わたしはエプロンを外しながら、コスフィの後ろにいたマトを見やる。夕食をあれから四人分にすることは可能なのだろうか。
「ええ、クオラ様のお手製です。もう少しで出来上がります。お召し上がりになっていかれますか?」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
マトの背後から、わらわらとペンギンさんたちが現れ、台所に向かっていく。そのうちの一体はわたしの手にあったエプロンを片付けていった。
マト、わたし、コスフィはテーブルにつく。ペンギンさんの一体が、コーヒーを持ってきたのでそれをマトが並べてくれる。
「今日のヘイプの発言に関してなんだけど」
言いながら、コスフィは書類を取り出した。
「前から、ヘイプによる、第一婚約者候補であるクオラに対する侮辱が酷いことに対して、王家から正式に抗議させてもらった。………それでさ、ひとつだけ確認したいんだけど、ヘイプのよく言ってる『クオラはサモチじゃない』発言、ああまで言うのはさすがにおかしいと思うんだ、クオラ、なにか心当たりとか、ない?」
ある。
あるけど、言ってもいいのかな。
コスフィに隠し事はしたくない。したくないけど、マトがサバクではなく、ハイジュなのだということは、言っちゃいけないことだ。
「………誓約してもいい。俺は今、ただのコスフィとしてここにいる。ヨウシアにも、イーヴァリにも言わないし、必要であればクオラに俺は味方する」
………けど、コスフィは賢い。戸惑って固まるわたしに、隠し事があることはきっと確信を持ったはずだ。
もしかして、本当にサバクじゃないと疑われていたりするんじゃないだろうか。わたしはマトに助けを求める視線を送った。
「………過去、クオラ様に無体を働き、処罰を受けたワモチの家庭教師がおりました。その家庭教師がヘリヤ様の血筋の方なのです」
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。よりによってその話を持ち出すなんて。
あのことはハイジュの事を隠すには良いネタかもしれないけど、嫌な過去で、怖い過去だ。マトとヘイプがいてくれるから今はそこまでじゃなくなってきたけど、でも、やっぱり怖い。
「もしかして、………俺とクオラが出会った頃って」
コスフィが口元を覆った。どことなく、青ざめてるのがわかる。家によってはサモチ以外の人間を、家族と見なさないところがあると聞く。それこそ家系図だけでなく、情報の全てが削除されてしまうことがある。なかなか情報を辿れないのは仕方ないことだろう。
「ごめん、いくら幼かったとはいえ、俺、何も気づかなくて。けど、確かにあの頃のクオラはガリガリだった。………ごめん」
「………でも、コスフィは助けてくれたよ」
ぽてぽてと、ペンギンさんがペンギンさんのぬいぐるみを抱き抱えて歩いてきた。むぎゅっとそれをわたしに押し付けてくる。
なんだろう。可愛いの相乗効果が天元突破していないだろうか。ぎゅっとわたしはぬいぐるみを抱き締めた。どうせならペンギンさんを抱き締めたいけれど、今は我慢しろってことらしい。
………そう、家に居ることが苦しくてたまらなかった幼いわたしに、コスフィは逃げ場を与えてくれた。たまに遊んでくれた、それがどれだけ、当時のわたしたち姉妹にとって救いだったことか。
「コスフィは今だって、いつも、わたしを助けてくれてるよ」
ハイジュの事、マトのこと、全部言ってしまいたい。わたしは顔をぬいぐるみにぎゅっと押し付けた。
「わたしね………わたし、ヨウシアと結婚したくない………………勝手に何もかもが決められていくのは嫌なの」
わたしの声はくぐもっていることだろう。コスフィは聞き取れているだろうか。
ヨウシアのことは嫌いじゃない。でも、わたし、たぶん、コスフィのことが好きだ。
「………それは」
「ヘイプがヨウシアとの結婚を望むなら、それでいいんじゃないかな。わたしが好きなのは」
コスフィなんだよ。
いつもわたしを助けてくれて、頭が良くって頼りになって優しい、コスフィなんだよ。
台所からいい匂いが漂ってくる。カチャカチャ、コトコト、料理をする音が聞こえてくる。
コスフィがヨウシアのことを王位につけたくて、そのためになら何でも出来ると考えていて、ヨウシアの望むものを全て与えてあげたいんだろうなってことは、わかってる。
ヨウシアが何故かわたしの事を好きなこともわかってる。
今までは、わたしに選択肢なんてないと考えていた。けど、マトもヘリヤもわたしに選択肢をくれるという。それなら、わたし、誰かを好きだという気持ちを認めたっていいんじゃないかな。
ふう、と長いため息が聞こえた。
「家族のことも、ヨウシアとの婚約話も、クオラにしてみればヘイプに恨まれるのはお門違い、ていうことだよな」
こくり、とわたしはクッションに顔を埋めたままうなずく。
「クオラがヨウシアじゃない誰かを好きだってことは、誰にも言わない。でも、俺としてはクオラにヨウシアの隣にいてあげて欲しいと思ってる」
コスフィが好きだと、声に出さなくて良かった。
コスフィをこれ以上、困らせたくはない。
お互いに気まずくて、ヨウシアは結局、夕食を食べていかなかった。
抗議のせいか、翌日からヘイプはキシガに来なくなって、いままでヘイプの取り巻きさんたちから聞こえてきた、わたしに対する悪口のようなものも無くなった。
気が楽なような、逆に気が重いような、変な感じがする。
「………ヘリヤ、わたし、失恋したんだと思う?」
ヨウシアの態度も、コスフィの態度も以前と変わらない。変わらないけど、本人に伝えられなかったけれど、あれはそういうことなのだろうと頭のどこかが理解してしまっている。
マトを閉め出した寝室で、わたしは泣きながら、ヘリヤに聞いてみる。
「………たぶん、ね」
「だよね………マトも嫌がってるし、このままヨウシアと結婚するしか無いのかなぁ」
「だからぁ、マトになんとかさせれば良いんだってぇ………もう、泣かないでったらぁ」
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