36.ペンギンさんのフルコースを要求します
実のウタグの祭祀についてのファイルを開き、最初から最後までざっと目を通していく。どこに何が載っているか、そこからをまずは把握しておきたい。
祭壇に使う木の種類は何で、どこの倉庫のどこに片付けてあるだとか、敷く毛氈はどれを使うだとか、ありがたいことに細かく記載されていた。
「これさえあれば、何もわからない僕たちでも準備ができそうだね」
ぱらり、ぱらりとヨウシアの手でページが繰られていく。ページによっては新しい紙だし、ページによっては黄ばんでいたり、よく手の触れる箇所が黒ずんでいる。どれだけ長く使われているのか、想像がつかない。
「でも、ものすごくメモ書きが多いね。きちんと把握できてないと見にくいかも」
いつ作られたマニュアルなんだろう。このままのほうが使いやすい人も居るのだろうけれど、わたしにとってはなんだか使いにくい気がした。
「マト」
わたしは後ろに立っていた自分のサバクを振り返る。
「このファイル、今すぐ全部コピーを取ってきてくれる?わたしはヨウシア達といっしょにここで待ってるから」
「それがあなたの願いなら」
マトはすぐにファイルを持って倉庫を出ていった。足が長い。
マトが出ていくと同時に、どこからともなくペンギンさんが一体現れた。当然、わたしはそれを抱きあげた。
ペンギンさん……かわいい……むちむち……かわいい……。
マトのことだから、きっとコピー機の限界を超えてくるに決まっている。今のうちにペンギンさん分をたっぷり補充しなければ。
ペンギンさんの固い羽に頬ずりしながら、わたしは取っていたメモをヨウシアと一緒に見る。
「準備の合間にあちこちの祠に捧げ物をあげないといけないんだね。どうする?ここなんかちょっと遠いし、手分けしていく?」
倉庫にあるものを運び出す日、供物を用意する日、祠にお参りする日と、祭祀まで時間に余裕はあるものの、スケジュール管理が必要になってくるだろう。
相変わらず、祭祀庁からの課題という宿題は出されている。そのおかげというか、もちろん普段からわたしはマトに自宅で勉強も見てもらっているのだけれど、それらのおかげでキシガの学力テストはそこまで難しく感じなかった。
結果が伴ってくるかはまた、別の話である。
「最初のことだし、僕はクオラと一緒の時間がもっと欲しいかな」
「………効率も考えたほうがいいと思う」
ヨウシアのまっすぐすぎる言葉と眼差しに、わたしは視線を落とした。ブルーグレーの瞳がじっとこちらを見ているのがわかる。入り口のところにはコスフィとイーヴァリがいるっていうのに。ヴィッレだってそこに居るのに。
気まずいな、とちょっと思いながら、ノートをわたしは開いた。
「とりあえず、イボウごとにやることを振り分けられないかな。第三イボウに反省とそのイボウの計画修正、第四と第五イボウに手配や準備、第六イボウで祠への祈祷って感じはどうかな?」
もしかしたら、祭祀の準備だけじゃなく、他に急用が入ることも考えられる。この計画ならどうだろう、とわたしはヨウシアに同意を求めた。ヨウシアは腕を組んで、少し考えている。
「それでもいいよ。それで、奉納舞の練習はどうする?どのくらいやろう」
「奉納舞?」
考えていなかった。頭の中が真っ白になった。
「………やっぱり、見てなかったんだね。見にくいところにだけど、小さく書いてあったよ。時のウタグの祭祀には奉納舞が必要だって」
「え、うそ、どうしよう」
わたしに踊れる訳がない。そして、わたしがどれだけそういった体を動かすこと全般を苦手としているか、ヨウシアは知ってくれている。ヨウシアも困りきった顔をしていた。
「僕は今年から、王家の一員としての役割もあるから、奉納の舞をやるなら、クオラしかいないんだよね」
わたしは片手を胸の前でぎゅっと握る。もう片手はペンギンさんを抱えていたから、そちらの手でペンギンさんにしがみついた。
舞なんてものがわたしに出来るわけがない。この前のダンスだってマトの補助がなければ散々だった。不安すぎる。きっとみっともなく転ぶか、転ばなくても新しい踊りだろうかと疑われる動きしかできない自信がある。
胃がキュッとなって、涙がにじんできた。
「………どうしよう」
「えっと、できる範囲で僕も練習には付き合うから。それと、僕か他の誰かが奉納舞ができないか、相談してみよう。ね?」
ヨウシアが慰めるように背中を撫でてくれるけれど、一向に不安は消えない。
「ヨウシア、何泣かせてるんだ」
見かねたのか、入り口近くに立っていた筈のコスフィが近くにきてくれた。
「コスフィ、年末と年始の僕の仕事、なんとかならないかな? クオラが奉納舞は無理だって不安になっちゃったんだ」
「クオラに奉納舞は無理そうだな………けどヨウシアの仕事は………」
苦り切った顔のコスフィをわたしはじっと見上げる。助けて欲しい。わたしは運動に関わることが絶望的にダメなのだ。それはもう、壊滅的だ。
「クオラ様、大丈夫ですよ。俺が補助いたします」
ぽん、と強く両肩を叩かれた。
シャボン玉が割れるように、ペンギンさんは消えてしまった。入れ替わるように、マトがわたしの背後に現れる。もしかしたら普通に歩いてきたのかもしれないけれど、わたしは気配を感じられないし、後ろも見ていなかった。
それから、薄い水色のハンカチ(ペンギンさんの刺繍入り)を差し出される。
「当然練習は必要でしょうが、当日は俺が補助致します。ご心配の必要はありませんよ」
ハンカチを受け取ったわたしは、こぼれそうだった涙を押さえた。見上げたマトの、ニッコリ笑う顔がいい。ただし、なにかやたらと迫力のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
「クオラ様。舞が壊滅的に下手くそだから、死んでもやりたくない、などという甘えはいけませんよ」
一瞬だけ引っ込んだ涙がどばっと溢れた瞬間である。
「クオラ!?」
「えっ!?クオラ!?えっ!?」
「クオラさまっ!?」
マトの指導はめちゃくちゃ怖い。マトはけっこう甘やかしてくれることも多いけれど、基本的にめちゃくちゃ厳しいのだ。特に、勉強などの指導方面は。
「もう、コピーは終わったのか」
コスフィも、ヨウシアも、ヴィッレも、わたしがだばっと涙を流したことに戸惑っていた。冷静なのはたぶん、イーヴァリとマトだけだと思う。
「いいえ、イーヴァリ。分体を使って今も印刷中です。もうすぐ終わりますが」
午前中は祭祀の準備、午後はみっちりと舞のお稽古をすることが決定されてしまった。体力はもつだろうか。
「祠への祈祷をお二人でなさるのでしたら、午後くらいは舞の稽古に時間を使わねばクオラ様には足りません。午後はヨウシア様に働いていただき、クオラ様はみっちりと練習していただきましょう」
「………はい」
「練習に真面目に打ち込むのでしたら、夕食には毎回ペンギンさんの食器とカトラリーを使っても構いません」
「ペンギンさんのゼリーも欲しいです」
わたしはじぃっとマトの、黒曜石のような瞳を見つめる。死ぬほど嫌いな運動をさせられるのだ。ペンギンさんとのハッピーラブリー寝かしつけまでを勝ち取りたい。けれど、そこの交渉はあとでもいいだろう。とりあえずは、ペンギンさんの晩餐フルコースだ。ペンギンさんの癒やし的な何かがなければとても乗り切れる気がしない。
「それがあなたの願いなら」
勝利への第一歩だ。わたしはぐっと拳を握った。
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