32.祭りの花火の下で、ペンギンさん
「じゃあ、そろそろヨウシアを助けてやろうかな。エクェィリ、手伝ってよ。ホルガー、クオラをよろしく」
「うん」
「わかった」
そう言って、コスフィとエクェィリは腕を組むと
、ダンスの輪のほうに向かっていった。
「こちらです」
わたしとホルガーはマトに誘導され、テラスへ向かう。テラスにもテーブルと椅子が設置されていて、あちこちに人がいた。
顔を寄せあい、談笑する少女たちが見ているのは遊戯台でカードをやり取りする青年だろうか。その向こうにはタバコを片手に、油断ならない視線を交わす紳士たち。羽根と宝石の飾られた扇子を広げた夫人がいれば、綺麗な色のお酒が入ったグラスを片手に、身を寄せ会うのは恋人か婚約者か。
それでも広間よりはいくらか落ち着いた空気の漂うテラスを横切り、階段を降りれば、夜の庭園だ。
窓から漏れる光だけでなく、木々の足元や街灯のようにしてところどころに光る照明の効果だろう。広間よりも、テラスよりも、この広い庭園は不思議な空間に紛れ込んでしまった気分にさせる。
例えるなら、『ウケイレ』の時に見た、あの宝石の国だろうか。
あのときに見た異世界は、キラキラ輝いて美しかった。今見える夜の庭園はわずかに薄暗く、かなりモノトーンよりな配色をしているけれど、日常とかけ離れた、心をふわふわとさせる、非日常の空気があの世界と似ているような気がする。
なんとなく目をやった薄暗がりのベンチには、ここにも寄り添う恋人たちの姿があって、口付けを交わす瞬間を見てしまったわたしは、あわてて目を逸らした。
それにしても、とにかく人が多い。
ここいら一帯、全てのベンチが埋まっているし、ちょうどよい場所を見つけられなかったのか、芝生に直接腰を下ろしている二人組を見たときには、驚きすぎて口元を押さえてしまったほどだ。遠くから流れてくる音楽、かすかに聞こえる人の声、美しい庭園の夜の影に、月と雲に、明るすぎない照明。確かにロマンチックな夜ではあるのだけれども、ドレスは汚れてしまったりしないのだろうか。
歩きながら、わたしは横目でホルガーを見上げる。大変失礼かもしれないけれど、マトがいてくれて良かったなと、本当に失礼過ぎることを考えてしまう。
マトの先導で庭園の奥にわたしたちは歩いていく。わたしの休憩室が使えれば良かったのだけれど、あの部屋はエクェィリが立ち入れないエリアにある。
高い生け垣と、低い植え込み、花壇に噴水、薔薇のアーチと工夫を凝らしてある庭園は、迷路のようでもあった。
「あの……前からお慕いしておりました。わたしと付き合っていただけませんか?」
ふと、生け垣の向こうから、そんな声が聞こえた。……確かに、今夜は美しい。告白するにはもってこいの夜に違いない。
がんばれ、と見知らぬ女性を心の中だけで応援しながら、わたしはさっさとその場を通りすぎようとした。
「すまない。俺は幼なじみと婚約しているんだ」
……あれ?
どこかで聞いたことのある声だ、と思ったところで、ホルガーが足を止めた。
何事か、という表情のマトが振り返ってこちらを見ている。
わからない、とわたしは首を傾げてから、ホルガーの視線を辿ってみる。
生け垣の切れ目に、大きく目を見開いた、わたしの教育係であり、直属の上司にもなるヤニカが見えた。どうやらヤニカも、今、聞こえた告白現場に偶然居合わせてしまったらしい。
ヤニカのすぐ近くに、『うわー』を絵に描いたような表情のエメリ、カロリーナ、ラウラがいる。一緒に行動することが多い四人だから、今夜もそうしていたのだろう。
ヤニカが見ている先は、こちらからは生け垣の影になっていてわからないけれど、もしかして、あの声って、
「あっ」
パタパタと、誰かが走り去っていった。
『あ』と言った後で、はぁ、とため息をついた足音も、ゆっくり立ち去っていく。この感じだと、告白イベントをしていた二人は、こんなにも近くにここまで人がいることには気付いて居なかったに違いない。
でも、男性が誰だったか、わたしはわかってしまった。あの声は、職場で面倒見のよいお兄さん代表、ハルステンのものだった。それか、一応可能性でしかないけれど、ものすごくよく似た声の持ち主がどこかにいるのだろう。
ヤニカの膝にサバクである白猫が飛び乗り、エメリ、カロリーナ、ラウラはその場を離れていく。残されたヤニカは顔を覆ってうつむき、ベンチに座っていた。
わたしはホルガーを見上げる。
真剣な眼差しで、ヤニカを見ていた。
ホルガーがヤニカを好きなのは、もともとけっこうバレバレだ。でなければこのパーティーに誘おうだなんて計画、知るわけがない。その計画については失敗しているのだけれど。
でも、ヤニカがハルステンを好きだとか、ハルステンには婚約者がいただとか、そういう話、少なくともわたしは知らなかった。
「……ごめん、」
スッとホルガーは、組んでいたわたしの腕を外した。代わりとばかりに、わたしはマトに肩を抱かれる。
もしかしなくてもこれは、ホルガーも、ヤニカも、告白する前に振られてしまったような形になるのだろうか。
……二人が上手くいくかは知らないけれど、というかこの状況で上手くいくだなんて全く思えないけれど、こんな夜なら、何かが起きてもいいと、ヤニカのほうに向かう背中にわたしは願ってしまう。
「……マトは、ヤニカさんがハルステンさんを好きって、知ってた?」
お邪魔にならないよう、少し離れてから、わたしはマトに尋ねてみた。もちろん、音が外に聞こえないように結界を調整してもらっている。
「いえ。私も存じ上げませんでした」
どこで、誰が見ているかわからないからだろう。音が漏れないとはいえ、マトの執事モードは崩れない。
わたしは歩きながら、マトを横目で見上げる。薄明かりの下、顔がいい。
ハルステンには実は婚約者がいたように、恋愛に興味なんて無さそうだったヤニカがどうやらハルステンに恋心を抱いていたように、ヤニカが自分なんて見向きもしないだろうと知ってなお、哀しむ想い人に寄り添おうとしているホルガーのように、この綺麗な顔をした男も、いつかは誰かに恋をするのだろう。もしかしたら、もう既に誰かと恋仲なのかもしれない。
たぶん、その相手は綺麗な綺麗な、それはもう美しかったり可愛らしいメージャだ。わたしには紹介してくれないのだろうか。そう思ったら、もやっとした。
「……わたしも、いつか、誰かを好きになれるのかな」
「どうでしょうね」
「やっぱり?」
「ええ、クオラ様はどうも、そういった方面には頑ななようですから」
きっと、ほとんどの女性の心のをとかしてしまいそうな、甘い、甘い黒曜石の瞳がわたしを見下ろし、細められるのを今度はじっと見上げてみた。
けれど、
「けれど、クオラ様も、ヨウシア様のことは、お嫌いではないでしょう?」
マトの、形のよい唇は、そう続ける。
わたしはマトの整った顔から視線を外す。誰もいない小さな休憩所があった。きっとそこが目的地なのだろう。
わたしの心の欠片をどれだけかき集めたって、わたしには結局、恋というものがよくわからない。
ヨウシアのことは好きだと思う。
同じくらいにコスフィが好きだし、同じくらいにエクェィリと、シュプレが好きだ。マトのこともわたしは好ましいと思っているし、ヘリヤのことも大好きだ。
けれど、
わたしはまだ本当は、誰も、何も選んでいない筈なのだ。
そして、わたしは選べるようで、きっと何も選べない立場にある。
そこに心が行き着いたら、やっぱり、恋心なんて永遠にわからなくてもいいような気がした。
「恋とか、まだ、わからないよ」
「そうですか?」
休憩所……ガゼボといったろうか。屋根の下、座れるようになっているところに、わたしは誘導される。
正直、こんな薄暗いところ、一人で歩いたら転ぶ自信しかない。わたしはエスコートしてもらわなければ、移動もままならないのだ。
手品のようにしてテーブルが現れ、茶器が優雅な手つきで並べられていく。ここではマトが働き者だ。
「ねぇ」
マトが手を止めた。はらり、と一本に結んだ髪がら肩から滑る。その背中越しに、宮殿が見える。虫が鳴いていた。
「マトは、わたしに恋を教えることって、できる?」
ちょっと、どきどきした。
こんなこと、普段のわたしなら絶対に言わない。でも、さっきちょっともやっとしたし、なんというか、ここに来るまでイチャイチャするカップルを見すぎた。その、あれだ。わたしは空気に酔ってしまっているのだ。
茶器を並べていたマトはわたしの前に来ると片足を立てるようにして、屈んだ。屈みながら、わたしの右手を取り、
「……っ」
わたしを強い眼差しで見つめながら、口付けをしてきた。手の甲だけど。手の甲だけど。驚きすぎて喉から変な音が出た。
「それが、あなたの願いなら」
当たってる!まだ唇当たってる!なに、これ、なんなの、これ。座っていて良かった。立っていたら、へなへなと座り込んでしまったに違いない。そのくらい、なんかこう、マトってもともと顔がいいし、声もいいし、スタイルもいいとは思ってたけどこう、ううん、こんなだった!?
ヘリヤ、ヘリヤ、助けて!
チャリ、とわたしの手首でブレスレットが揺れた。わたしは泥沼からズボッと足を抜いたような感覚だ。
「ごめんなさい、冗談です……」
「おふざけも大概にしてくださいね」
「はい」
わたしはもう、ハンカチを取り出して、顔を覆うしかない。呆れたようなマトの口調にものすごくホッとした。
ヤバいくらいにどきどきした。今もまだ、耳が熱い。そうか、これが常時展開されるのが恋なのかもしれない。
……だとしたら、余計、恋とかしなくてもいいかな。だって、ものすごくどきどきしたもの、怖いくらいに。
何回も深呼吸をして、やっとわたしはハンカチから顔を解放できた。出してもらった飲み物は、氷が入ってよく冷えたアップルティーだった。
「落ち着いたのなら、せっかくですし一曲、俺と踊っておきましょうか」
「マトと踊るってことは」
「ええ、サポート無しです」
にっこり微笑む顔はとても良いけれど、ものすごく嫌だと言ってしまいたい。
だって、わたしに踊れる訳がない。
さっきまでは、マトに術でサポートしてもらっていた。だから人前でもなんとかなっていたのに、マトと踊っていたら、術でのサポートはきっと、受けられない。
「ほら」
ぐいっと引っ張られて、わたしはしぶしぶ飲みかけのアイスアップルティーをテーブルに置く。
「音楽、ここまではほとんど聴こえないよ?」
「そのようですね」
「……なんか、くっつきすぎてない?」
「そうですか?」
体の前面をぴったりとつけるのは、ダンス姿勢としてはどうなのだろう……?
一応、ささやかかな抵抗として文句を言ってみたものの、マトのハミングを伴奏にして、ダンスが始まってしまう。わたしはわたわたと振り回されているだけだけれど、体が密着している分、いつもよりまともに動けている気がする。
踊れるのって、もしかしてちょっと楽しいのかもしれない、というのが半分、ちょっとくっつきすぎじゃない!?というのが半分で、わたしはまたもや混乱している。
マトの体温が伝わってくる。香水とは違う良い香りに、耳元に届く低い甘い声。肩ごしに見えるのはうっとりするような夜の庭園だ。ロマンチックではある。うん、とてもロマンチックだ。さっきの手の甲口づけ事件を思い出してしまって、更に混乱は加速する。
その時ひゅるる、とか細い音が遠くでした。
その音に、背中がぞわっとなる。
ぱぁん、と夜空を明るくなった。飛び散る赤い色、キラリと輝く銀色。
途端、自分の体が完全に固まったのがわかる。マトにぎゅっと強く抱き締められた。
怖い。息がうまくできなくて、わたしは一生懸命口を開くけれど、まだ苦しい。
「クオラ」
涙が出てきた。怖い。怖くてたまらない。全身が震えている。耳の奥で、女の人の笑い声が聞こえた気がする。
「大丈夫だ。クオラ、わかるか、俺がここにいる。ヘリヤもいる。だから大丈夫だ。クオラ、」
あの時も、花火が上がっていた。目が、チカチカする。
舞の音楽に、祭りの音楽。そして、暗い場所に寝転んだわたしと、空に上がった花火。
「クオラ!」
「……まと、」
助けて。
あれは、祭りの日だったんだ。
あの音楽が聞こえていて、花火が空にたくさん光っていた夜だった。地面が冷たくて、そして痛かった。
わたしはマトにしがみつく。
「俺がいる。大丈夫だ、俺が守るから、クオラにはもう、俺がいるから」
息が、吸えない。たくさん息を吸っているのに、酸素が足りない。もっと大きく息を吸おうとして、頭の奥が痛くなる。助けてほしい。
口が塞がれた。魔力が吸い上げられ、それと同時に暖かな魔力が流れ込んでくる。目が塞がれ、耳も塞がれている。
わたしは、いつの間にガゼボに座らさせられているのだろう。マトに耳を塞がれ、胸に顔を押し当てられ、花火はもう見えない。なんだかとても疲れている。
「落ち着いたか」
「……うん」
「そろそろ、ヨウシア達が来る。大丈夫か」
「……たぶん」
マトの腕から解放されると、ひどく心配そうな顔が近くにあった。
手首を見れば、ヘリヤのブレスレットがある。きっと今頃、ヘリヤも心配しているかもしれない。すぐにでも家に帰って、ヘリヤと話をしたかった。
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