29.祭り当日はこっそり『ウケイレ』に挑戦するワモチもいるんですってね

 時間になったので、わたしは市内の巡回業務を切り上げることにした。祭祀庁で書類にサインしてから帰宅する。今日は祭りのため、バスが市内を走っていないのだけれど、代わりに姉のソディアが車でここまで迎えに来てくれるそうだ。


 やはり祭りのため、今日は祭祀庁の正面は車が入れないようになっているけれど、裏口くらいは車が使えないと祭祀庁の職員全員が困ってしまう。搬入とか、搬出とか、当日にだっていろいろあるのだ。


「祭祀庁に誰かは残るんだよね?」


 祭祀庁に、下働きを主とするワモチはほとんどいない。わたしの知る限りは食堂と、清掃員くらいだろうか。祭りの本部の人間が全員王宮に出てしまっては何かトラブルが起きたときに困るのではないか、とわたしは隣を歩くマトを見上げる。とても顔がいい。歩きに合わせて軽く揺れる、尻尾のような一つに結ばれた髪の太さから考えるに……もういっそ、禿げてしまえばいいのに。


「そうですね、警備庁と祭祀庁から、役職者が時間交代で数人ずつ残るようですよ。クオラ様も将来的には役職者になるでしょうし、そのうちそういった順番が来るのでしょうね」


 外対応の素敵執事風マトはそう言って、柔らかく微笑んだ。……家にいるときのしかめっ面と、外にいるときの、この慇懃爽やかイケメンとの差にはさすがにわたしだって少しくらいは慣れてきている。

 なんで、マトがそんな面倒なことをわざわざするのかは、きっと永遠にわからないような気がするけれども。


 将来、わたしが王子の婚約者や妻になってしまっても、そんな働き方はできるのだろうか。


 裏口に向かう通路は案外広く造られている。きっと、倉庫は祭祀庁の建物の中にもあるからだろう。わたしは新人だからと言うことで、他の職員よりも早く上がらせてもらったので、このあたりに今、人気はない。


 照明は明かりさえつけば良いとばかりに、センスのかけらもない、カバーさえついていないような蛍光灯が等間隔に並ぶものだ。いくつかは切れかかっているのか、端が黒ずんで、点滅しているものすらある。最近の忙しさのせいか、掃除が行き届いてなくて、段ボールの切れはしやガムテープ、綿ゴミのようなものが目につく。そう言えば床は土汚れのようなものや、台車のタイヤだろう黒い線が気になる。


 通路が静かだからだろうか。遠くから、祭りの音楽がやけに耳についた。


 いま、一瞬だけ、電気が暗くなった?


「クオラ様?」


 声をかけられて、見上げた隣にいる人が誰だかわからないような気がした。


 何を考えているんだろう、わたしは。この人……というかこのメージャはマト。マトだよ、なんでわからないの、わたし。


「お疲れですか?」


 心配そうに眉をひそめられた顔が、わたしを見下ろしている。知らない人だ。ううん、マトだ。知らない人、がわたしに触れようとしてくる。それが怖くて、わたしは咄嗟にマトに助けを求めようとした。


 心臓がバクバクしていて、あの音楽はなに、わたしはどこへ向かっているの、この隣にいるのはだれ。違う、わたしは帰るの、帰るところで、この人はマトだ。うん、きっとマトが言うように、慣れない仕事で疲れたんだ、きっと。


「クオラ、どうした」


「わかんない」


 そうだ、『怖い』だ。……でも、何が怖いんだろう、わたし。


 何に怯えているの、わたし。


「歩けますか?」


 そっと背中を支えられる手は安心して良いのか、走って逃げるべきか、諦めて他のことを考えた方がいいのか、わたしにはどうしてもわからなかった。


「顔色が真っ青じゃない!?」


 やっと裏口を出たところで、姉のソディアが駆け寄ってきた。なんだか無性に泣きたくなって、わたしはソディアに抱きついた。


「何があったの」


「……車の中で」


 渋い声でマトがわたしを見送っている。わたしを抱きあげたのはソディアのサバクのサミで、椅子に座らされ、車のドアが閉まってから、わたしはやっと、自分がなんだかおかしかったのだと理解した。でも、何かを言う気にはなれなかったので、わたしは黙ってソディアの肩に頭を乗せて、目を閉じた。


「日中はなんともなかったのですが……。お疲れもあったのでしょう。つい先ほどからいきなり、クオラ様はなにかに怯えられて」


「……今は、落ち着いてるわね」


 車が走り出し、オーディオからはすこし激しめなクラシックのオーケストラの音楽が流れてきている。


 わたしはソディアの隣に座らせられていた。


 窓はカーテンが引かれてしまった上、運転席との間にも仕切りがされているため、どうせ目を開けても全く外は見えなかっただろう。


 ソディアは優しく、わたしの頭を撫でてくれる。


「……もし、具合が悪いのなら、今夜のパーティーは欠席してもいいのよ?」


「今は、悪くないよ。そんなに簡単に休んだら、リエティ様たちにご迷惑をかけちゃうし……」


 本当にわたし、何が怖かったんだろう。


 薄く目を開けて自分の手首をそっと見れば、そこには腕輪がふたつある。サバクとしての腕輪と、マトたちと作った腕輪。


 ヘリヤと目が合ったような気がした。ヘリヤにも、きっと心配をかけてしまったことだろう。


 顔を上げたら、対面になるようにしてある向かいの座席に座るマトが、じっとわたしを見つめていた。マトだけじゃない、サミもだ。


 なんでここまで心配されているんだそう。そこまでわたし、顔色が悪かったのだろうか。


 実家につけば、王宮で開催されるパーティーの準備だ。具体的期には軽食をとり、お風呂に入って、ドレスに着替えることになる。


 夕食自体はパーティーで食べることになっているのだけれど、それでもあらかじめ軽食をとっておくのは、場合によっては何も口にできなくなることがあるからしい。特に、サバクになったばかりのキシガ生徒は食事どころではないとソディアから言われている。山吹色のリボンに薄紫の細リボンをつけた自分がどうなるのか、なんとなく、恐ろしいような気がした。


 けれどまずは、とばかりにわたしは部屋で休むように言われてしまった。


「軽食は着替えながらでも食べられるものを用意させるし、入浴はメイドを使って短時間で済ませられるようにしとくから、クオラ、お願い、三十分だけでも休んで」


 そこまで言われるのなら、そうしたほうがいいのだろう。


 服を脱いで、肌触りのいいシャツを一枚だけ羽織って、実家にいたころのように変わらず完璧に整えられた布団に潜れば、睡魔は簡単にやってきた。


「マト」


 でも、胃の下側が冷えたような、縮こまったような、どうしようもない不快感がわたしを休ませてくれなかった。眠いのに、寝られる気がしない。


「なんだ、添い寝が必要か?」


 部屋は、もう、真っ暗にしている。ベッドが揺れたのは、マトが端に座ったのだろう。手を伸ばしたら、マトは手を繋いでくれて、それでわたしはやっと、安心できたような気がした。


 ヘリヤの鏡は置いてきてしまっている。気配はするけれど、会話はできない。そう言えば、さっき、祭祀庁の通路にいたときははヘリヤのことも思い出せなかった。


「……わたし、なんで、ソディアに心配されたの」


 わたしが顔色を悪くして、具合が悪くなることはもう、ソディアにはお見通しだったのだろう。部屋は休めるように香がが焚かれていたし、調理場に連絡を寄越す様子は見られなかった。


 絡んだ指は、大きくて、暖かい。


「グンダを覚えているか」


「ぐんだせんせい……?」


 その名前を聞いただけで、苦いものがこみ上げてくる。怖くてたまらない。不吉で、怖いものだと逃げ出したくなる。


 それが伝わったのだろう。ベッドが揺れ、布がすれる音がしたと思ったら、わたしは抱きしめられていた。わたしは布団で横になっていたのだから、マトはきっと今は添い寝体勢に違いない。


 暖かくて、いい匂いに包まれて、自分の足が温かくなってきた。


「そのことについては今から術を更にかけて、思い出せないようにするつもりだが、それ関連だとだけ言っておく」


「そっか」


「ああ」


 マトには何度か、記憶を覗かれている。わたしが覚えていないようなことも、マトは見て知っているのだろう。


「俺がいる。それに、ヘリヤもいる」


 低くて、甘い声が耳に滑り込んでくる。ささやかれたせいで、息が耳にかかるのがくすぐったい。


 軽く魔力が吸われ、なにか、術がかけられたのがわかる。ペンギンさんのぬいぐるみくらいの安眠効果はありそうだ。いつの間にか入っていた肩の力をわたしは抜いた。


「クオラ」


 優しい手がわたしの髪をすいている。


「クオラ、そろそろ起きろ」


 低い声。ああ、寝られないと思っていたけれど寝られていたみたいだ。


「クオラ、このままだと俺が寝たままのお前を風呂に入れることになるぞ?」


 暖かい、ぬくぬくお布団さんはフローラル系柔軟剤のかほり……。


 でも、マトの言葉が不穏だ。これはそろそろ起きた方がいいかもしれない。


 目を開けば、眼前五センチ絶対的顔がいいの攻撃力。


 だがしかしペンギンさんほどときめかないっ!!


 ただ。


 なんで、


 そんな暖かい目で見てくるかなぁ……。


 なんだかいたたまれないような気持ちになり、わたしはよっこいせと起き上がることにした。


 燕尾服で横になっていたくせに、マトの服装には全く乱れがない。うらやましい。わたしなんてもう頭ボサボサなのに。


 わたしはのそのそとベッドを降り、浴場へ向かうことにした。幸いなことにだるさや疲れのようなものはない。きっとマトが何か、回復するような術もかけてくれたのだと思う。それか、帰宅してすぐに飲まされた苦みの少しあるお茶のおかげかもしれない。


 浴場で待ち構えていたメイドさんたちに四人がかりで洗われ、拭かれ、塗られ、着替えをされ、メイクに整髪。合間に一口サイズに切ってあるサンドイッチが口に入れられ、ストローつきで差し出されるお茶は、ジャスミンの香りがした。なんだかとってもされるがままのうちに支度は済んでしまった。時計を見れば、ここまで帰宅してから二時間くらい。


 きっと、寝ていたのは二、三十分といったくらいなのだろう。短時間睡眠万歳。


「クオラ!まあ素敵!もしできたら、サミとも踊ってくれる?」


 ほとんどおめかしも完成、というところでソディアがわたしの部屋にやってきた。パシャッと何枚か、写真まで撮られた。見れば、ソディアはまだ着替えていない。


 わたしは王族の控え室に一度向かわなくてはならないので、気持ち早めに家を出なくてはならないのだ。


 向こうでは、メイドさんからマトが何か説明を受けている。メイク道具をあれこれ示しているので、メイク直し担当までマトはしてくれるつもりなのだろう。


「行った車は王宮にそのまま置いていいと許可をとってあるから、具合がまた悪くなったらすぐに帰ってくるんだからね?」


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。しっかり休めたし」


 ハンカチと飴が数粒だけ入ったポーチを手に取り、わたしは玄関前に停まっていた車に乗り込んだ。


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