28.ペンギンさん工房

 夕方になって、わたしは物置になっている部屋に連れていかれた。


 ふと、違和感に首を傾げる。


 この部屋、こんなに広かった……?


 わたしがこの部屋を覗いたのは、ここに引っ越してきた当日だけだ。あのときも、部屋には箱がたくさん、そして棚が並んでいた。


 積み上がった箱の間、いくつか並んだ棚の向こうにマトが進んでいき、わたしはヘリヤの映る鏡を持って、ついて行く。


 ううん、絶対おかしい。


 どう考えたって、こんなに歩いたら、建物から出て行ってしまうはずだ。なのに、壁はあんなに遠い。


 そして、部屋の中に小部屋ができていた。


 もう、なにがなんだかっていう気分だ。


「空間をどうこうするくらいぃ、高位のメージャならできないとねぇ」


「この部屋は俺の領域だからな」


 深い色の扉には、縄か何かの彫刻が施されている。


 ドアノブは真鍮だろう。とてもセンスの良さがうかがえるデザインだ。


「ここに、工房を作った」


 言いながら、静かに扉が開かれた。


 工房の中は、元々の物置くらいの広さがあった。


 壁にいくつかの棚、棚には実験器具みたいなものが入っている。ただ、素材が何かはわからない。虹色に光る乳鉢とか、虎目石にしか見えない箱とか、ネオンライトにしか見えない棒とか、絶え間なく形を変える謎物体とかだ。


 オーブンに似た、なにかとても大きな箱もある。電子レンジぽく見えるもの、コンロに見えるもの。


 作業机は天板が光を吸い込みそうな黒の、なめらかでひんやりした、やはりおおきなものだった。入ってすぐは何冊かの本が入った棚で、その棚は真ん中が書き物机にもなるデザインだった。


 その部屋と外の物置を、数体のペンギンさん達が出たり入ったりしてなにかを用意している。作業机に並んで座ったペンギンさん達が、銀色のなにかをいじいじしているところなんてもう、いとおしくてたまらない。胸が苦しい。なにこれ、恋……?


 わたしが呼吸のやり方を一生懸命確認していたら、マトには呆れるような顔をされてしまった。そんなんときも顔がいい。本当、なんでわたしのサバクはペンギンさんの形を取ってくれないのだろう。


「クオラ、この形をここに描けるか」


 魔法のインクが入っているだろう、ペンと、なにかよくわからない記号の書かれた紙を差し出された。


「たぶん、できるけど……」


 なんで、マトがやらないの?


 鎖や腕輪はともかく、普通、調合や製作は、契約者の指示のもと、サバクが作るものだ、とわたしはなんとなく思っていたのだけれど。だって、この前のリボンはマトがやってくれたし、キシガの教科書でもそうするように書かれていた気がする。


「こういうのは、人間が主体で作って、メージャは補助に回った方が品質がいいんだ」


「……そうなの?」


「そうなんだよ」


「ぜーんぶサバクにやらせたほうがぁ、人間には都合がいいからねぇ」


 ようわからないけど、と思いながらわたしはペンを受け取る。


「呪文は?」


「それは俺たちがやる」


 普段とは逆だな、と思いつつ、わたしは記号を作業台に直接描いていく。


 そこまで難しい記号ではないけれど、時間がかかりそうだ。


 マトの、落ち着いた、少し低くて甘い声と、ヘリヤの涼やかで、透き通った声で紡がれる詠唱が耳に心地いい。二人の魔力がじわじわと体に流れ込んでくるようで、波間をたゆたうような、そんな、


「あ」


 気がついたら、余計な飾りをたくさん書き込んでしまっていた。これじゃまるで、プヌマルバヤ前の子供のお絵かきだ。


 あわてて消そうとしたわたしの手を、マトの大きな手が止めた。ヘリヤの伸びやかな詠唱はまだ続いている。


「いいんだ。間違ってない」


 マトに手を握られたまま、わたしはその先を見守る。


 ペンギンさん達が差し出した素材は銀色の鎖、緑色の粉、黒と紫の石、青色の液体、赤い液体。それらをマトは、わたしが描いた記号の上に並べていく。


 強くわたしの魔力が引き出された、と、記号が強い光を放つ。


 できあがったのは、ペンギンさんのシルエットのチャームがついた、かわいいブレスレットでした。


「やだ……ペンギンさんとわたしとヘリヤによる愛の共同作業……」


「……っはっははは、あっははは」


 わたしは、足下にいたペンギンさんにはしっと抱きついた。


「そのペンギンさんは俺の分体だ」


「マトとペンギンさんは違うもん」


 むちむち、かわいい。ああ、ペンギンさんはこんなにもかわいい。


 ちなみに、ずっと笑っているのがヘリヤだ。


「それがあれば、この部屋の外でもヘリヤとつながりを持てるようになる」


 わたしはペンギンさんにしがみついたまま、ブレスレットを目の前に掲げた。銀色の輝き、ペンギンさんのシルエットに、ヘリヤのアメジストのような瞳が一瞬だけ、映る。


「気配を他人に悟られる訳にはいかないから、声のやりとりはできない。あくまでヘリヤの気配をうっすらと感じられるだけだ。……それでも、クオラにとってはかなり不安が消えるんじゃないか?」


 マトがひざまずいて、わたしの手首にブレスレットをつけてくれた。


 ブレスレットについた、紫色の小さな石からはヘリヤの魔力が、黒い石からはマトの魔力が感じられた。ペンギンさんのチャームは小さいから、ヘリヤの顔が映ることはないだろう。でも、二人が可能な限りはわたしに寄り添ってくれようとしているのがわかる。部屋を一歩出れば、こうやってペンギンさんを抱きしめていることも、ヘリヤにいてもらうこともできないのだから。


「うん。ありがとう」


「明日からは、ヘリヤを引っ張る鎖を少しずつ作っていくぞ」


「うん」


 夜にはヨウシアとコスフィ、エクェィリが顔を見に来てくれた。


 寝るときにはまた、ヘリヤが子守歌を歌ってくれたのだけれど、翌日の舞の稽古のときに、ヘリヤが歌ってくれていた歌と音調がそっくりで、わたしはとても驚いた。


 あんなに、怖かった音楽なのに。


 そうして、祭りの当日になった。


 舞の奉納があるから、ヤニカは忙しい。ヨウシアも、王子として忙しいようだ。


 わたしは、警備庁のホルガーと市内の見回りをする担当になった。トラブルがあれば、本部に連絡して人を呼ぶことになるのだから、わたしにでも問題なくできる仕事だ。


『祭祀庁祭実行委員』と書いてある腕章をつけて、市内をぐるぐる歩いた。


 どこに行っても人、人、人。


 何回かトラブルには遭遇したけれど、本部に応援を呼ぶ前に話を聞いているだけで解決するような、例えば荷物の置き場所について、お互いが言い過ぎていただけ、みたいなものがほとんどだった。


 きっと、薄紫のリボンのおかげというものもあるのだろうとは思っている。


「祭り、生まれて初めて来たんだって?」


 ホルガーに聞かれて、わたしは笑顔を向ける。


「そうなんです。いつも体調を崩してしまって。今年はマトが早く治してくれたので、来られました」


 街中が鮮やかに飾り立てられている。音楽を奏でながら、人々に引かれていく大きな車たち。車の屋根では威勢のよいかけ声をかけた女性が、提灯を片手に踊っている。装飾的な杖をもった男性達が、女性に合わせて踊りながらかけ声をかけている。


 なんて、にぎやかな祭りなんだろう。誰もが笑顔だ。


 夜になると、サモチはみんな城に行ってしまうから、ワモチが警備を担当するらしいのだけれど、その頃にはワナシもワモチも着飾り、歌い、踊って挙げ句お酒も入るから、今より更に賑やかになるそうだ、とさっき差し入れとして、リンゴ飴をくれた女性が教えてくれる。


「花火の上がる頃には、祭りの勢いで恋人同士になろうとする若者達が噴水広場に集まるんだよ」


「ああ、あの広場ですか」


「今日、花火の下でキスをした恋人達は、ニクネア様のご加護で永遠に幸せでいられるらしいらしいよ」


 女性はそう言って、歯を見せるように笑っていた。もしかして、わたしとホルガーの年齢が近いから、おかしな勘違いをされたような気がする。


「ホルガーさん、ヤニカさんにエスコートは申し込めたんですか?」


「……ヘタレと言ってくれて構わない……」


 明らかに肩を落としたホルガーに、焦ってしまう。


「えっと……一曲くらいなら、踊りましょうか?」


 マトに視線で促されたのでそう言えば、ホルガーにはうつむいたまま頷かれ、ホルガーのサバクであるカウコにはとても感謝された。


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