27.ペンギンさんと子守歌
目が覚めたってことはわたし、寝てたのか。
ぼんやりと、寝室の天井を眺めながら、まだ眠気の残る頭でそんなことを思う。
けれど、帰宅した記憶はないのだ。これは一体どういうことなのだろう。
枕さんとお布団さんを堪能すべく、もぞもぞと寝返りをうったら、ペンギンさんと目が合った。
「アー」
やだ……かわいい。
ペンギンさんはわたしの枕元に立って、ずっとわたしを見下ろしていたのだろう。とてもかわいい。
「起きたのか」
「クオラ、大丈夫ぅ?」
カチャリ、とドアが開く音がした。ヘリヤの映る鏡を持ったマトが部屋に入ってくる。部屋が薄暗かったせいで、リビングから光が差し込んでくるのが眩しくて、わたしは目を細めた。ペンギンさんはよたよたと少しだけ移動してから、マトを見上げている。かわいい。なんてかわいいのだろう。添い寝してほしい。
マトが、わたしのベッドに座ってきた。ベッドが少し揺れる。ヘリヤの映る鏡はサイドボードに置かれた。
「顔色は悪くないな。……けどまだ、熱がある」
マトの手が、わたしの額に触れ、それから頬に触れてくる。大きくて、ちょっと固くて、少し冷たくて、とても甘やかされている気持ちになった。
「今、何時?」
なんだか喉がかすれて声が出しにくい。……と思ったら、マトの隣に、ストローの入ったコップをトレイに載せたペンギンさんがいた。
「六時前だ。……飲めそうか?」
「のみたい」
マトに手伝ってもらって起き上がる。ずいぶんひどいめまいがした。それでも水分を求めたわたしは差し出されたストローに口をつける。この飲み物はなんだろう?甘くて、さっぱりしていて、よく冷やされている。とても飲みやすい。
自分がぐにゃぐにゃしているみたいで、どうにも体に力があんまり入らない。ゆっくりと飲み物を飲みながら、わたしはしばらく支えてくれるマトに寄りかかっていた。
髪を撫でられるのがとても、気持ち良かった。
「それ飲み終わったら、また寝たほうがいいかもねぇ」
ヘリヤの声に、わたしはうなずく。
まぶたが重い。マトに取り上げられたコップをなんとなく目で追ってしまったけれど、もっと飲み物が欲しいわけではない。コップが空だったので飲み物はいつの間にか飲みきっていたようだ。
「寝かせるぞ」
「……うん」
枕はとても心地よいけれど、なんだか物足りないような気がしてきた。でも、とにかく、わたしはとても眠いのだ。このままペンギンさんは添い寝してくれないだろうか。
「今から、記憶を覗かせてもらうぞ」
記憶なら前にも覗かれたような気がするけれど、また必要になったのだろうか。
マトの顔がとても近い。毛穴……毛穴はどこなんだろう。眉毛の一本一本がくっきり見える。まつげ、長いなぁ……。顔がいいってすごいなぁ……。
柔らかなものが唇に触れる。いい匂いがした。パサ、と音がしたのはマトの髪が布団に落ちたからだろう。
わたしの体から魔力が吸い上げられていくのがわかる。けれど、今回わたしに恐怖はない。
なんだか……なんだか、温かいものが流れ込んでくるのだ。それは口から入ってお腹に下り、手足まで広がる甘い感覚だ。とても幸せで、うっとりとするその感覚にわたしは身を任せた。
唇が離れてしまうのがとても寂しくて、わたしは力の入らない手でマトを捕まえようとした。でも、もう、本当に眠い。睡魔とやらが本当にいるのなら、わたしは睡魔に完全に捕まってしまっている。
黒曜石の瞳が間近でわたしを見下ろしていた。焦点がなかなか合わせられなくて、宝石のような瞳はキラキラというよりはトロリとした吸い込まれそうな輝きで。
「あの女は、もういない。何があっても、俺かヘリヤがお前を守る。だから、もう、クオラは過去の影を怖がるな」
ああ、これは、記憶の深いところを覗かれただけではなく、紙根契約が行われていたんだ、とやっと理解しながらわたしは意識を手放した。
次に目が覚めたのは、たぶん早朝だ。枕さんは良い仕事をしている。特に今日は、お布団さんがとってもぬくぬくで、なんだか寄りかかるのにちょうどいい、固めのクッションまで仕込まれている。
……え?
「……」
「ん……」
え、マトの寝言、すごい色っぽい。
………………え……?
頭の中は大混乱。
なんで、わたし、マトの腕枕で寝ているんだろう……?
ちょっと待って欲しい。
……ええと、えっと……下手に動いたらマトを起こしちゃう?……ううん、マトには起きてもらって出てってもらうほうがいいの?
まさか……!?
わたしはなるべくマトを動かさないよう、そっと布団の中を覗き込んだ。
わたしはパジャマ、マトはいつものお仕事着な燕尾服、着衣にそれらしい乱れはなし。ほっと胸を撫で下ろした。や、だって、相手はマトだけどさ。でもわからないじゃない。
「……なんだ、起きたのか」
眠そうな声が頭に降ってきたので、わたしは固まってしまう。
マトが動いたのが、くっついている胸とか腹部から伝わってきて、どうしたらいいのかわからない。
「……なんだ、まだ四時か……まだ寝てろ」
そのまま抱き抱えられたことで、わたしはマトの匂いを胸いっぱい吸い込むことになった。さすがに、これは、あの、ちょっと、意識してしまうというか、その、動揺する。あの、足でまでロックしてこなくてもいいと思うの……。
ふぅ、とリラックスしきったような息を吐いたマトはそのまま寝てしまったのがなんとなくわかる。
けど、こんなの、寝られる訳がない。だって、男の人と、こんな、こんな、こんな距離感、初めてなのだ。
マトの匂いと、温もりと、腕に包まれている。胸に顔を押し当てられているんだから視界はゼロだ。そしてちょっと暑い。当然だ、ここまで抱え込まれているんだから。
「マト」
「……」
「ねぇ、マト」
「……」
そして、起きない。
「マト……」
ふんわりとしたものがマトとわたしの間に差し挟まれ、少しだけ自由が与えられた感じになった。涼しくなったことに何よりもほっとした。
「おはよ、クオラ」
「ヘリヤ」
もぞもぞ動けば、ヘリヤの映った鏡が目に入った。なんだか慈愛の微笑みみたいな笑顔を浮かべている。もしかして、マトの拘束から助けてくれたのはヘリヤなのかも知れないな、となんとなく理解した。
「マトも、クオラが倒れたから不安だったんだよぅ。ちょっとの間、腕の中で守らせてあげてね」
「不安?」
マトが、不安?何に?
「あたしも心配したぁ。今日は具合良さそうねぇ」
「具合良さそう……?そうだ、わたし、なんで午後のお仕事をとばして部屋に帰ってきてたのかな。ヘリヤは知ってる?」
「舞の音楽を聴いたらそうなったんだって」
途端、ぐにゃりと世界が揺れた気がした。息苦しさに、わたしはマトにしがみついた。
……だいじょうぶ。わたしはマトに守られてる。大丈夫。ここにはヘリヤがいてくれる。
そっと背中を撫でられた。結局、マトのことは起こしてしまったらしい。
「起きてたのか」
「クオラ、もう少し寝てなよぉ。子守歌、歌ったげる」
「今日は仕事を休むと伝えてあるし、朝食は部屋で好きなものを作ってやる」
なんだろう。ものすごく、甘やかされてる。とても心がほこほこする。
ヘリヤの子守歌はなんだか聴いたことのある曲だったけれど、聴いたことのない歌声はとても美しいものだった。もう眠たくはないかと思っていたからヘリヤとお話をしようとしていたのに、ヘリヤの子守歌にマトの背中トントンはとても効果的だった。
わたしが起きたのは、ほとんどお昼に近い時間だった。マトにペンギンさんを一体貸してもらって、ずっとペンギンさんを抱っこしながら、本を読んだりしてゴロゴロした。まだ読めていなかった漫画の続き、早く出ないかな。
お昼ご飯はキノコの入ったクリームリゾット。キノコをほぐすのと、お鍋の中身をへらでかき回すのはわたしがやった。とてもおいしかったのは、わたしが混ぜ混ぜしたからだと言ったら、ヘリヤはそうだろうねと言ってくれた。
ヘリヤ、大好き。
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