26.部屋に帰ればペンギンさんが待っていると考えると精神的に安定するのでペンギンさんは有効です

 嵐が過ぎてからは晴天が続いている。だいぶ秋は深まってきていて、朝晩は上着が欲しくなってきた。


 祭祀庁では大祭の準備が進んでいる。一方キシガでは、舞踏会に着ていくドレスについてや、誰が誰と行くのかなどの話題で賑わっていた。


「クオラ様は、ヨウシア様と舞踏会に行かれるのですよね?」


 だからだろう。朝の教室、近くに集まってきていたクラスメイトからそんなことを聞かれ、わたしとヨウシアは互いに頷き合った。


「ほら、やっぱり」

「舞踏会の楽しみのひとつです」


 弾むような声が、わたしの派閥だとされている生徒たちから口々にあがった。わたしは派閥なんてものを作ったつもりはないので、お友達と主張したい。派閥のリーダーなんてものがいるのなら、それは絶対にヨウシアのほうだと思う。


「そういえば、エスコートにはどっちから声をかけたんですか?」

「当然、僕だよ」


 ヨウシアの答えに、またしてもわたしたちの周囲はわっと盛り上がる。わたし達を囲んでいるのはクラスメイトだけではない。先輩に、他のクラスの人たちもいる。そして、その人垣の向こう、面白く無さそうにこちらを見てくる数人が、ヘイプの取り巻きたちだ。


 ヘイプはまだ、登校していない。


「俺はエクェィリと行くよ」


 わたしがヘイプのことを考えていると、コスフィがエクェィリに確認するような素振りを見せた。


「うん、知ってる」


 コスフィ渾身の甘い笑顔を、エクェィリは普通に流した。


「……エクェイリ…………」

「エクェイリ様……」


 エクェィリの艶やかな焦げ茶の髪がさらりと揺れた。何か、問題があっただろうかと言わんばかりに首を傾げている。


「だって、コスフィ、だもの」


 エクェイリの膝の上で、アーダがピイピイと鳴いていた。きっと何かもの申しているのだろう。イーヴァリはしかた無さそうに笑っている。


「ごきげんよう、みなさま」


 彼女の声はよく通る。すぐにわかる。ヘイプがたくさんの取り巻きを引き連れて、教室に入ってきた。途端にわたしの近くにいたクラスメイト達の表情が少し陰る。


 ヘイプは輝くような笑顔を浮かべ、こちらにやってくる。わたしたちの周囲の人垣はじわじわと崩れ、道が開いてしまう。

 最近は話しかけられるどころか、わたしたちに近寄って来ることもなかったのに、一体どうしたのだろう。


「おはようございます、ヨウシア様。こちらを預かって参りましたの。ご覧になっていただけて?」


 ヘイプが差し出してきた封筒をコスフィのサバクであるイーヴァリが受け取り、封筒の上で片手を滑らせた。何かを警戒したのだろう。


 わたしやエクェィリ相手の時にはされないことだけれど、こういうときにヨウシアは王子様だったと思い出す。……それこそ、お城の中にいたときよりも。


 確認の済んだらしい封筒を、コスフィが開封してヨウシアが受け取り、目を通した。


 すぐにヨウシアの顔色が悪くなり、ヘイプのほうは笑みの形に唇を歪める。


「……確認してからだ」

「舞踏会、楽しみにしておりますわ」


 ふふふ、と笑いながら、ヘイプは席に向かった。彼女の席には既に、彼女の取り巻きたちが待ち構え、ヘイプに向かって何があったのかと聞いている。歓声が上がった。手紙を持つヨウシアの指先が白い。


 ヨウシアのサバクであるヴィッレがおろおろとヨウシアを心配しているけれど、身長の都合でヴィッレには手紙が見えないのだろう。代わりにというか、コスフィ、コスフィのサバクのイーヴァリが手紙を覗き込んだ。


 すぐに二人の顔色が悪くなった。


「そうそう、クオラ」


 ヘイプの席は、わたしの席からは遠い。けれど、よく通る声は朝のホームルーム前でざわめいていた教室を一瞬で静かにさせた。


「あなた、早く舞踏会のエスコート相手を探しておいたほうがいいわよ。一人では恥をかくことになるから」

「ヘイプ!僕はっ!!」


 がたり、と遮るようにヨウシアが勢いよく立ち上がった。


 机に手紙がたたきつけられる。その手紙をヴィッレが覗き込んでいた。内容を把握した途端、ヴィッレがはっとしたようにわたしを見たのがわかった。


「でも、女王命令ですもの。仕方ないことですわよね?……ほら、クオラはきちんとしたキシガ生徒ではありませんし」


 まただ。


 なぜ、そんなことを言われなければいけないのか、全くわからない。わたしがキシガ生徒でないなんて、酷い侮辱だ。


「……マトはメージャで、わたしのサバクで、わたしは正式なサモチです」


 わたしは、一生懸命声を振り絞ったつもりだけれど、大きな声を出せなかった。


「なんとおっしゃったのか、ぜんぜん聞こえませんわ」


 ヘイプは豪華な金髪をばさりとかきあげ、なんだか勝ち誇ったように笑っている。ヨウシアとコスフィは怒っているのがわかるけれど、教室のクラスメイトやサバク達には様子を見守るものが多いようだ。それは、わたし達を囲む生徒たちも含んでいる。


 震える手で、ヴィッレがわたしとエクェィリにも手紙が見えるようにしてくれた。


 手紙には、ヘイプをヨウシアの婚約者の第一候補とすること、そのお披露目もかねて今度の舞踏会にはヘイプをヨウシアのエスコート相手にするように、といった内容が記載されていた。使われている用紙は第一様式のものではなく略式の、というかその辺の紙だけれども、きちんと女王の署名まである。


 わたしは紙から顔を上げ、ヘイプとヨウシアを交互に見た。


 ヨウシアは青ざめていて、ヘイプは幸せそうに見えなくもない。


 それから、わたしはマトを見る。こんな時でも顔がいい。つい、ため息を吐いてしまった。でも、おかげでなんとなくだけれども力は抜けた。そして、思う。


 ……ヘイプったら、ヨウシアと結婚したかったのなら、こんな陰険なやり方をしなくても良かったでしょうに。


 侮辱されたことについては、まだお腹の底に怒りの炎のようなものがくすぶっているけれど、なんだかわたしはいろいろと、急激に冷めてしまったのだ。


 もともと、ヨウシアの婚約者候補は複数いる。


 婚約者候補といっても、ガチガチに縛られた制度ではない。家柄や派閥を考えれば候補者の中からヨウシアの妻になる女性を選ぶことがやはり最善なのだろう。けれども、その他にだって出会いはある。


 もし、ヨウシアがお気に召すような女性が現れれば、身分や家柄問わず、それこそ婚約者候補の中からでなくても、そのお相手を妻に迎えて構わない、……という、候補者が必要なのかどうかも怪しいような、なんとも緩いものだ。


 一方、婚約者候補に挙げられたわたしたちのほうは、候補者になったことで異性とのお付き合いが制限されるようになる。ただ、こちらだって厳しいものではない。単純にヨウシア以外の男性と恋仲になってはいけない、と教え込まれるだけだ。


 そして、パリキシガ卒業まで、ヨウシアの婚約者の第一候補はシュプレだった。


 わたしは、第二候補だったのだ。


 シュプレがサモチになれなかったことで、わたしがヨウシアの婚約者の第一候補に繰り上がった。けれどもこの手紙を見るに、どうやら今日からわたしの順位は第二候補か、もしかしたらもう少し下になるのだろう。ヘイプは血統が近すぎるので婚約者候補には挙がっていないと聞いていたけれど、なにか事情が変わったに違いない。


 この時期に候補の順位が変わるのであれば、このままヘイプがヨウシアと婚約、婚姻まで進むのだろう。なりふり構わないヘイプの姿勢が評価されたのかもしれない。


 わたしはもう一度、勝ち誇ったようなヘイプと、なんだか悔しそうなヨウシアを交互に見る。


 こんな状態で、この二人は夫婦になれるのだろうか。


「コスフィ、いくぞ」

「ああ」


 ヨウシアとコスフィはイーヴァリとヴィッレを引き連れて教室を出て行った。それを見送り、ヘイプがわたしを見る目はなんだか馬鹿にしているような嫌なものだ。

 この調子でヘイプが王妃になった場合、わたしは海外脱出を考えた方がいいかもしれない。


 ……でも、ヘイプったら、わたしの悪口を言いふらしたりしてまでヨウシアと結婚したかったのか。


 そう思うと、やっぱりどうでもいいような気になってきた。だって、わたしにはマトがいる。部屋に帰ればペンギンさんとヘリヤがいる。今はエクェィリがいてくれるし、別に、婚約者の第一候補を外れても、ヨウシアやコスフィと友達でいられなくなった訳じゃない。


 舞踏会のエスコート相手のほうは、マトか、父親に相談すればなんとかなる。もしもマトと踊るのに問題があるなら、父親のサバクのイルヤナとだっていいだろう。


 ヨウシアたちが帰ってこないまま、ホームルームは始まり、休み時間になると宿題などでお世話になっている先輩方が次々にやってきては心配してくれた。


 ヨウシアの護衛であるホルガーはエスコート相手に名乗り出てくれたけれど、わたしは彼が祭祀庁のわたしの上司、ヤニカをどうやって舞踏会に誘おうかと悩んでいたのを知っていたので、丁重にお断りさせていただいた。


 翌日は組のウタグ、十六日、第二イボウ、天気は雨。ヨウシア、コスフィ、ヘイプ、ホルガーはキシガを休んだ。


 教室内は少し妙な空気で、廊下を歩けばキシガ生徒たちがわたしを見て、ひそひそと何かやりとりする。


「気にしない、方がいい、と、思う」

「クオラ様に何か、落ち度があるわけではありません。うつむかれませんように」


 エクェイリ、マトの後にはピイピイと、エクェィリのサバクであるアーダもわたしを励ましてくれる。


「ありがとう。……でも、みんながいるから、わたしは大丈夫」


 そう。部屋に帰れば、ペンギンさんがわたしを待ってくれているのだから。ペンギンさんと暮らすことはとても心の健康に有効だと思う。


 更に翌日、第三イボウは祭祀庁だ。朝食前にいつも来てくれるヨウシアがいない朝はなんだか少し、変な気がする。エクェィリもコスフィが迎えに来てくれない朝は変な感じがする、と同じことを言っていた。今日は二人と二人のサバクで朝食をいただいた。


 そして、出勤する。祭祀庁に到着して早速、ヤニカに声をかけられた。


「クオラ、リエティ様が呼んでいるわ。長官室に行ってくれるかしら」

「なんでしょう?」

「わからないけれど、お客様がいらしているみたい」


 なんだろう、と思いながら長官室に向かう。


 挨拶をして、中から許可が出たのでマトが扉を開ける。


 たくさんの人がいた。

 少し、緊張しながら室内に入った。


 わたしの父親がいる。もちろんサバクであるイルヤナもだ。二人は困ったように笑いかけてくれた。


 ヨウシアと、コスフィもいる。ホルガーに、この前見かけた護衛の人もいた。そしてなんと、女王ウーリナ様と、夫である公爵様、あとその護衛らしい人たち。


 とても、とても緊張する顔ぶれだ。父親の顔色が普通なことが信じられない。


 わたしは、リエティに座るように指示される。


「クオラさんはお父上の隣に座るといい。……ウーリナ」

「ほんとうにごめんなさい!!!」

「ひゃ!?」


 大きな声で、女王陛下に頭を下げられたのはわたしが父親と、ヨウシアの間の席にお尻が落ち着く前だった。あんまり大きな声でびっくりした。


「私からも、すまなかった」


 女王陛下がそんなに簡単に頭を下げても良いものか、と頭の中がぐるぐるしそうになったところでなんと、公爵様、そしてお二人の護衛の方々までもが頭を下げてきた。


 どうしたらいいかわからず、わたしは父親の服の端をそっと掴む。今、ここに、切実に今、癒やしのペンギンさんが必要です……!でも、ちょっと振り返って見上げたマトには首を振られた。


 なんだか異様な空気の中、リエティ様から説明がされる。


 シュプレがシシガに行ったことで、ヨウシアの婚約者候補は現在空席だと、なぜかウーリナ様は思い込んでいたということ。


 舞踏会で相手がいないのはさぞや困るだろうと密かに心を痛められていたこと。


 ヨウシアからあがっていたはずの、舞踏会のエスコート相手に関係する報告が、ウーリナ様の秘書官まで届いていなかったということ。


 今まであまり会ったことがなかったものの、近しい血筋のヘイプがウーリナ様の身近にいたこと。どうやらヘイプは現在、ウーリナ様の身の回りのお世話をする係をしているようだ。


「だって、とてもよく働いて、素直でかわいい子だと思ったんだもの……」

「婚約者候補にあげるなと前に言ったでしょうが」


 上目遣いにつぶやいたウーリナ様に、リエティ様がぴしゃりと返す。


「オルシャイもだ。ウーリナはそそっかしく、考えなしに行動することが多いんだから、やらかさないようによく見ておけといつも言ってるじゃないの」

「すみません、義兄さん」


 そしてウーリナ様はある日物陰で切なそうに、それはもう悲しげな様子でヘイプが「ヨウシア様の婚約者になりたかった」と呟くところを見てしまわれたそうだ。


「調べたところ、ウーリナの書記官の妻の従姉妹が最近、酒場でフオノと会っていたようだな」


 フオノとは誰だろう、わからない。あとで父親にでも教えてもらおう。


「こうしてクオラさんには多大なる迷惑をおかけしてしまった訳なんだけど、クオラさんがヨウシアの婚約者の第一候補であることは変わりない。お詫びにもならないだろうが、今回はお父上、オスカリ殿の昇進と婚約の半決定あたりで許して欲しい。……さすがに、女王の署名入りの文書を覆すことは難しいので、今回の舞踏会はヨウシアとヘイプ嬢で踊ってもらうしかないね。クオラさんは僕か、オルシャイのエスコートでどうだろう?」


 高い、高い塀の上に、覆いまでかけられている様子を幻視した。つい、天井を仰ぎ見てしまった。天井絵は季節の花々を品よく描いたもので、なかなか見事なものだ。


「オルシャイがわたしの隣に居てくれないなら、わたしはどうやって会場に入場するの!?」


 ウーリナ様の悲しい声が室内に響く。


「ウーリナ、なんで義兄さんや、僕に相談してくれなかったの?舞踏会にデビューしようっていう女の子の心を傷つけてしまったんだよ、少しは君も責任を取らないと」


 それを諭す公爵様。ウーリナ様は涙目だ。みるみるうちに、ぽろぽろと真珠のような涙を落とし始めた。少女のような言動はとても可憐で、二人を一瞬でも引き離すのは申し訳ないような気持ちになってくる。


「え……と、お二人から選ばないといけないのでしたら、上司であるリエティ様で……」

「クオラちゃん、あなた、とってもいい子ね、ありがとう……!」

「いいの?クオラさん、ウーリナにお仕置きなんてなかなかできることじゃないよ?」


 ありがとうと言いながらも、ぐすぐす泣いているウーリナ様の頭を、優しく公爵様が抱きかかえるようにして撫でている。けれども同時になかなかひどいことを言っているような気がするのは気のせいだろうか。気のせいじゃない。


 膝の上のわたしの手を、隣から伸びてきた手がそっと握ってきた。


「母さんが迷惑をかけてごめん」


 今度はヨウシアか、と思ってそちらに顔を向ければ、ヨウシアがじっとわたしを見つめていた。優しげなブルーグレーの瞳には、わたしだけが映っていた。


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