25.使用されたお皿は無地でしたが、カトラリーはペンギン印でした
午後には雨が上がり、少しだけ風が弱まった。それでも、わたしにとっては十分脅威だ。油断ならないとわたしは警戒心を緩めることができないでいた。
それでも楽しみがあれば、授業が終わるまで耐えられる。キシガが終わるとすぐに、わたしとマトはみんなに挨拶を済ませてさっさと寮に帰る。今週の祭祀庁の宿題は明日頑張ればたぶん、なんとかなるだろう。……たぶん。
「クオラ、台風になんて怯えなくても大丈夫なんだぞ」
ぱたむ、と玄関の鍵が施錠されると、銀色のふちはほわっと一瞬だけ光る。
室内は防音が効いていて、とても静かだ。カーテンを引いているから、窓の外も今は見えない。
「怖かったんだろ?けど、俺もヘリヤも、ちゃんとお前のことは守れるぞ」
ん?とマトが両腕を広げて、首を傾げてくれる。その動きではらりと背中から、一つに結わえた髪が前に落ちた。抱きしめての甘やかしをくれようとしているのがわかったので、すかさずわたしは腰をかがめ、ペンギンさんの高さで腕を広げてみる。
甘やかしてくれるのなら、存分に甘やかしてもらおう。
「ふっ」
苦笑する顔がすごくいい。
「それがあなたの願いなら」
声が艶っぽい。色気がすごい。いや、でも……そんなことよりペンギンさんがかわいい。ペンギンさんはかわいい。たまらなく癒やされるし安心するし、いい匂いがする。やはりペンギンさんこそ至高。
「お帰り、クオラぁ」
「ただいま、ヘリヤ。今日はごめんね?」
みんなが来ている間、ヘリヤの気配を悟られる訳にはいかないので、隠れてもらわないといけなくなる。鏡に姿を映される訳にはいかない。
「いいよぉ、クオラが楽しいのが一番なんだからぁ」
ふわりと笑うヘリヤにこそ、わたしは抱き締めてもらいたいと思ってしまった。
わたしはペンギンさんとペンギンさんと、マトと、ペンギンさんと一緒にみんなを迎える準備にとりかかる。
制服から、楽だけれどそこそこ取り繕えるような服に着替えて、エプロンをつけた。台所ではもう、ペンギンさんがお米を研いでいる。あの愛らしい羽というか、腕というか、フリッパーでどうやってそれを可能としているのかはとても謎に包まれているけれど、できるものはできるのだ。間違っても羽毛が混入したりしないのはもう確認済みである。
カレーは作ってあるし、わたしはサラダ作りに取りかかる。
「……来客か」
付け合わせを作っていたマトが包丁を拭いて、片付ける。それから玄関のチャイムが鳴った。
応対ならマトがしてくれる。わたしは冷蔵庫の野菜室からレタスを取り出した。
マトが連れてきたのはコスフィだ。イーヴァリは一緒じゃないみたいで、わたしは剥いていたレタスを一旦、調理台に置く。
「コスフィ、どうしたの?」
今はまだ五時にもなっていない。約束は六時だったはずだ。
「何か、手伝おうかなと思って」
「そっか。ありがと」
でも、正直、わたしもマトの指示がないとわからないことばっかりだ。コスフィの斜め後ろに立っていたマトに、わたしはどうするの?と視線で聞いた。連れてきたのだから、コスフィにも何かを手伝わせるつもりなんだろう。
「コスフィ様、料理は?」
「簡単なものなら、かな?」
「……では、こちらをお願いできますか?」
マトが示したのは油の入った鍋だ。フライドポテトをつくるらしい。コスフィは軽く頷いている。
「ヨウシアのことは、いいの?」
わたしはまた、レタス剥きをを再開する。油ものができるなんて、コスフィはすごい。負けてはいられない。いつか、完璧な揚げ物にも、例えばそう、コロッケなどにも挑戦してみせようと、わたしは目の前のレタスに誓いを立てた。
「今はホルガーと運動場にいるよ。イーヴァリもいるから問題ないと思う」
言いながら、くくくっとコスフィは肩を震わせている。火を扱いながら笑うのは危ないと、少しハラハラしたけれど、まだIHのスイッチはついていなかったようだ。
「クオラの手料理を少しでも多く食べたいんだってさ」
……マトの生暖かい笑顔がむかつく。なんかむかつく。
コスフィは五時半くらいまで手伝ってくれた。おかげでその頃にはほとんど準備が終わって、カレーは保温、ご飯は炊き上がりを待つだけの状態になる。
「じゃあ、ヨウシアを連れてこようかな。シャワーとかも必要だろうし」
そう言って、コスフィは部屋を出て行った。……ヨウシア、そんなに激しい運動をしてるのかな。疲れすぎてカレーを食べられなくなったらかわいそうだ。
「……クオラは、コスフィとヨウシアの見分けをどうやってるんだ?」
エプロンを外してペンギンさんに渡し、わたしはソファーに座った。どさりとマトも隣に座ってくる。ヘリヤは警戒してくれているのだろう、姿を見せていない。
一息つこうと、わたしは飲み物を口に運ぶ。そんな時のことだった。コスフィが出て行ったドアを見ながら、マトがぽつりと不思議なことを聞いてくる。
え?
「魂の双子なんだろうな、あいつらは顔も魔力もそっくりすぎて、俺はたまに混乱するんだ」
「二人は、全然、違うよ?」
わたしはそう返したのだけれど、マトは首を傾げている。長い足を組ながらもハイジュのカップからコーヒーを飲んでいる。
「一緒にいるときなら、多少の違いから判断がつくが……別々に行動されると、どうも混乱する。あれはわざとそう振る舞ってないか?」
そうかもしれない、とも思うし、そんなことは無いんじゃないか、とも思う。
コスフィはよく食べるし、よく笑うし、頭もいい。どちらかと言えば、ヨウシアよりも豪快なところがある。
確かに見た目はかなり似ているけれど、仕草も似ているような気がするけれど、わたしは二人を完全にそっくりだとは思わない。思ったこともない。
「あれは、影武者になることを想定しているんだろうな」
「影武者……」
そんな役割があるはずない、とは言い切れない。じゃあなんで護衛なんてものが存在するのか。……この国が、安全で良かったと思う。コスフィの普段の様子を見る限り、ヨウシアの護衛という、今の立場に満足しているみたいだから。影武者だなんて怖いこと、友達には絶対にしてほしくない。
しばらく経って今度はエクェィリが焼きたてのクッキーを持ってきてくれたので、わたしは頭を切り替えることにした。もしも、コスフィがヨウシアの影武者だというのなら、いつか教えてもらえると信じていたっていいだろう。
「カレー、パーティーが、決まって、すぐから練習、したの」
「とても美味しそう。ありがとう、エクェィリ」
クッキー作りだなんてそんな素敵能力、わたしもいつかは身につけたい。焼き菓子界の天才になれるかどうかはちょっとわからないけれど、計って混ぜて焼くだけ、というのならきっと、わたしにもできるはずだ。わたしは甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
それからすぐにシャワーを浴びたらしいヨウシアが飲み物を持って、着替えたコスフィがアイスの大きな箱を抱えてやって来る。カレーパーティの開催だ。
「ヴィッレ、イーヴァリ、あなた方もどうぞ、こちらに。アーダのお料理もありますよ」
「え、いえ、僕は」
「ええ、我々は」
「ね、ヨウシア、サバクたちにも一緒に食べてもらいたいの。……今日くらい、だめかな?いいでしょ?」
いいよね?とヨウシアにサバクであるヴィッレとイーヴァリにも席についてもらいたいのだと、わたしはお願いしてみる。
「うん。いいんじゃないかな」
ヨウシアはすぐに、笑顔で頷いてくれた。
お友達とはいえ、王子であるヨウシアが頷けば、みんな断り難くなる。
サバクである彼らは始め、しきりに遠慮していたけれども、途中からはマト秘蔵だとかいうお酒を楽しそうに飲んでいた。エクェィリのサバクのアーダも、ずっとご機嫌そうにぴぃぴぃ囀っていた。
「ね、すごい、月、が、きれい」
暗くなってきただろう窓の外を見ようとしたらしいエクェィリが、カーテンを開いて空を指差す。
「これで星空が見えたらもっと素敵なのに」
残念ながら、向こうの棟の明かりで星空までは楽しめないのだ、この部屋からは。
わたしも月が見たくて、エクェィリの隣に立った。夜空は完全に晴れて、風も穏やかになっているらしかった。
「それがあなたの願いなら」
「わ」
「うわぁ」
「おお……」
「うあ」
わたしの呟きに、すかさずマトが魔法を使ってくれたら、あのリゾート地で見たような星空がぶわっと広がる。つい、感嘆の声が漏れてしまう。
みんなで食べるお料理はやっぱりおいしい。満腹になって、今度はカードゲームでもやろう、となった頃には、ヨウシアはなんだかまぶたが重そうに見えた。案の定、ゲームの途中で寝てしまったので、マトにわたしの部屋から毛布を持ってきてもらい、掛けておく。
明日もキシガがある。あんまり遅くまでは起きていられないけど、ほんのちょっとの夜更かしくらいならいいだろうと、すやすやと気持ち良さそうに寝ているヨウシア以外のみんなで映画も見た。映画を見ているうちにエクェィリも寝てしまったので、そこでカレーパーティはお開きにした。
エクェィリも、ヨウシアも、部屋まで運んでくれるのは待機してくれていたらしいヨウシアの護衛の方々だ。けっこういたんだな、という感想を眠い頭でぼんやりと思った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
照明の落とされた廊下で、小さくわたし達は手を振った。さすが、コスフィは体力がある。わたしなんて、ドアを閉めたらもう、あくびが止められない。片付けのことはマトとペンギンさんにお願いして、自分の部屋に向かう。ベッドがたまらなく恋しい。枕に頭を預けてしまいたい。シャワーはもう、明日でいいだろう。
「おい、クオラ、着替えくらい……はぁ、仕方ないな」
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