閑話1
何代か続けてサモチを排出するような家には、ちょっとした規模の土地を治めることが求められる。
もちろん、その土地を治める家でサモチが絶えることはあるが、そもそも妾を作って子供を多く用意しておくなり、他の家の子供を養子にしたりなど、それなりの手段もある。
ちなみに、サモチを排出するような家系でも、サモチになれないような者はどうしても、生まれてきてしまうものだ。
ワモチであれば、使用人として実家なり、実家に縁のある家で働くことが多いだろうか。ワナシは下働き、または幾ばくかの金品を与えられ、家を出されることが多いと聞いている。
わたしは、地方都市を治めるサモチの娘として生まれた。
両親は仲睦まじく、わたし一人しか子供がいないのというに、妾を置くことはしていなかった。
その地方都市にサモチの家系は我が家だけで、だからわたしはその地方都市ではお姫さまのように扱われ、大切にされて育ったのだと思う。
「波のよう。素敵な腕輪だわ」
優しい母はそう言いながら、わたしの腕輪を撫でるのが好きだった。ちゃり、と鎖は軽やかに、わたしの手首で光を受けて輝いていた。大抵は柔らかな日差しの差し込む首都邸のサンルームで、お茶をいただいている時間のことだった。あの儀式の苦労を思い、くすぐったい気持ちでわたしは母と毎度、微笑みあったりしたものだ。
プヌマルバヤを卒業したとき、他にも数人、ワナシの家系の子供が腕輪を得ていたようだけれども、わたしは彼女たちにほとんど興味を抱かなかった。だって、わたしは『地方の』とつくけれどもサモチの家系のお姫様で、彼女たちはそうじゃない。わたしは自分のことだけに興味を持てば良いのだし、自分ことだけに関心を持っていればいいのだ。
首都から離れなた地方都市にいくつかのプヌマルバヤはあっても、さすがにパリキシガはない。腕輪を得て、ワモチになったわたしは首都のパリキシガに進学することとなった。
パリキシガに通う生徒には、国から援助金が出る。
寮は無料で三食が支給されるし、制服その他備品は完全支給。ワナシの親をもつワモチでも、安心して通えるようになっている。
けれど、わたしの実家はそれなりに裕福なサモチの家系。他のサモチの家の子供たちと同様、わたしも寮には入らず、両親と首都邸に住み、使用人たちにかしづかれながらパリキシガの三年を過ごした。
ただ、首都は、パリキシガは、地方都市とは、プヌマルバヤのときとはいろいろなことが違っていた。
わたしの両親よりも遙かに階級の高い親を持つ子。
わたしには何を考えているのかわからないほど、頭の回転の速い子。
アスリートとして目立って優秀な子。
とても裕福なのだろう、オーダーメイドで作られているらしい、デザインの違う制服を毎日着てくる子。
つい振り返りたくなるような美しい声の持ち主。
息を飲むような整った容姿の持ち主。
わたしは、ここでは、パリキシガでは平凡な生徒だった。その他大勢のうちのひとりでしかなかった。
パリキシガのなかで華やかなお姫さまの役は他の子のものだったけれど、首都邸に帰りさえすれば、相変わらずわたしは家族や使用人たちから、お姫さまのように大切にされた。
そしてわたしは、サモチになれなかった。
「うちの血じゃないってことでしょうねぇ」
朝までは優しかった祖母の厳しい言葉に、傷ついたのはわたしよりもきっと母だろう。うつむき泣いていた母の肩が、びくりと揺れたのをわたしは眺めていた。
「跡取りのことははどうしようねぇ。だから妾でもなんでも置いて、他にも何人か子供をこさえておけと何回も言ったんだ」
吐き捨てるような祖父の声に、父は唇を噛んでいた。それから頭を振り、悲しそうに微笑んだ父の、優しい目は今でもはっきり思い出すことができる。
「大丈夫だよ、明日……」
「そんなに魔力が低くちゃ、明日も結果は変わらないだろう。今からシシガに行くことだね。初日のウケイレにしくじるようなやつは、うちの一族にはいらないよ。お前は我が家の孫でも、息子の子供でももうないよ」
暖かく抱きしめてくれた父の声は、乱暴な祖父の声がさえぎったせいで最後までは聞けなかった。
「フオノたちにはどう話そうかねぇ」
「全く、サモチになれない子供なんて」
そう言いながら部屋を祖父母は出て行き、大丈夫だ、と繰り返す父親、泣くばかりの母親が部屋には残された。
「……お前は心配しなくていい。きっと、明日までには良いメージャがお前のところに来てくれるはずだから」
大分時間が経って、父はわたしの頭を撫でながら、そう言ってくれた。その言葉が父親の声を聞いた最後だった。
その夜、屋敷にいた者はわたしを除いた全員が、死んでしまった。
祖父も祖母も、父も母も、使用人どころかサバクの一人もいない屋敷で、わたしはどうしたらよいのかもわからずに、ひもじい思いに耐えながら数日を過ごした。そして、二度目のウケイレどころかシシガにも姿を見せないどころか、何の連絡もないことをいぶかしんだパリキシガの教師にわたしは保護されたのだった。
後日、調査に来たサモチの役人からは、召喚されたてで暴走した愚かなサバクによるものだろう、と聞いている。
わたしはシシガに通うことになった。
シシガはわたしにとって、辛い場所だった。
誰も朝、起こしてはくれないし、誰も洗顔を手伝ってはくれない。
誰も朝食を運んできてはくれないし、誰も荷物を運んではくれない。
全てをひとりでこなさなければいけないどころか、実習が始まれば、わたしが誰かにかしずき、朝から晩まで、まるでネズミか蟻のように働かなくてはいけなくなるそうだ。
それでもわたしが他のシシガ生徒達よりも恵まれていたのは、叔父一家の存在があったからだろう。
叔父達は両親と仲が良かった。誕生日や何かの祝日にはプレゼントのやりとりがあり、年に数回は互いの屋敷への行き来もあった。
大部分のシシガ生徒は国からの補助金のみで生活をし、頼りになるはずの肉親たちからの支援はほとんど得られないような状況にあったけれども、わたしにはささやかながら毎月お小遣いが届いていたし、合わせて菓子折りのようなプレゼントも届いていた。
ちょっとだけ枚数の多い肌着、ちょっとだけ質のよい文房具。わたしと付き合うことで得られるものは、シシガの生活ではなかなか口にすることなできない甘いお菓子。
どれだけ辛い環境であっても、叔父夫婦のお陰で、ここでのわたしは、シシガという狭い世界でのわたしはお姫様だった。
……だから、わたしは叔父夫婦が暮らすことになった屋敷に帰郷してみようなんて、愚かな考えを持ってしまったのだ。
そこでの体験は、今考えても最低だった。
年の離れた従姉妹は、以前はあんなにわたしに甘えてきた従姉妹は、まるで汚いものを見るような目でわたしを見てきた。
父と仲の良かったはずの、叔父からの罵倒。叔母は、一度も目を合わせてはくれなかった。
使用人たちでさえ、わたしを蔑んでいたように思う。
それどころか、叔父はわたしの腕輪を廃棄させようとまでしてきたのだ。
「……ああ、シシガに退学の手続きはこちらでしておこう。その腕輪も廃棄しておこうか」
叔父が伸ばした手に、わたしはとっさに手首の、波打つ金色の輪を押さえた。
何を言われているのか、咄嗟には理解できなかった。そんなわたしに、幼い少女特有の、少し舌足らずな高い声がむち打つようにふるわれた。
「あのね、魔力の少ないあなたが、おばさまの魔力を使ってむりやり編み上げたその腕輪があったせいで、死んだおじさまはあなたに魔力があるんだと勘違いしたんでしょ?それで、無理にあなたをサモチにしようとして、ひごうほうにメージャを呼ぶ儀式をしたんでしょう?その儀式がしっぱいしたせいで、みんな死んじゃったって、わかってる?そのせいでわたくし、こんな田舎に引っ越さないといけなくなったんだから」
それは、わたしと母の間だけの秘密だった。
ワモチになるだけの魔力がないわたしのために、腕輪を作る儀式の前日、母がこっそりわたしに大量の魔力を与えてくれたのだ。おかげで母はその半年後に片足を失ったし、あの日、わたしの体調は最悪の状態だった。だから、わたしの腕輪は波のようにうねる、不安定な鎖状になってしまったのだろう。
でも、けれど、それでもこれは間違いなく、わたしの腕輪だ。
「みんな、言い過ぎよ。その子は確かにワモチほどの魔力も無いらしいけれど、血がつながった親戚なのでしょう?心配しなくてもいいわ。明日からはこの屋敷の使用人として働いてもらいますけど、きちんとシシガくらいは卒業させてあげますからね」
優しい言葉にすがりたかったけれど、その間叔母はけしてわたしを見ようとはしてくれなかったし、名前も呼んではくれなかった。
「だが、オマタンド。彼女のせいで、我々は兄夫婦だけではなく、両親も亡くしたんだぞ。おまけに仕事は増える。われわれの損害は増えるばかりだ」
最後に一度くらいは家族として扱ってやろうじゃないかと氷のような声で叔父に言われ、それからわたしは叔父一家の晩餐に招かれた。両親がいたときのものよりも豪華な食卓だったのに、それらに味はまったく感じられなかった。それだけではなく、晩餐のあとで通されたのは使用人たちが使う区画の、薄暗く狭く、ほこりだらけの部屋で、わたしはその夜、そんな場所で寝ることとなった。
以前にわたしが使用していた部屋は既に改装され、従姉妹の衣装部屋となっていた。
翌朝、まだ台所番も起き出さないような時間に、わたしは叔母であるオマタンドのサバクに起こされた。
「ねえ。ここにはもう、帰ってきてはいけないわ。車を用意してあげたから、シシガにお帰りなさいね」
彼女がくれたのはまだ暖かいホットサンドと飲み物の入った水筒だった。叔母とそのサバクが手配してくれた車で、わたしは逃げるようにシシガの寮へと帰ったのだった。
その日以降、叔父家族がどうなったのかをわたしは知らない。
仕送りは打ち切られたし、腕輪を取り上げようとしてくる相手などに、こちらから連絡を取るつもりだってもう無かったからだ。
砂を噛む思いでシシガを過ごし、なんとか卒業したわたしは、父の同僚のお屋敷で雇われることになった。
そこには、あの、憎たらしい従姉妹とほとんど同じ年頃の女の子がいた。
そしてその屋敷には奇妙なくらい、人が少なかった。
どうやら忙しい旦那様と、奥様につくために外に出てしまっている使用人がほとんどで、最低限の人数しかその屋敷にはいないようだった。
料理人は定時ごとに料理をテーブルに並べ、定時ごとに下げる以上のことはしない。
掃除人と洗濯人も同様。
屋敷の主人とその妻、そして彼らのサバクたちは月に一度帰って来れば良い方らしい。
そんな屋敷で、プヌマルバヤに通う姉と、まだプヌマルバヤに通う年齢ではない妹の面倒を見るのがわたしの仕事だった。
わたしはまず、姉妹に『風呂場を汚さずに使う方法』を教え込んだ。姉妹の部屋だけは、わたしが掃除を担当しなければいけないからだ。カビ掃除だなんて絶対にやりたくない。
掃除の手間を少しでも減らす為、冬でも湯を使わずにいられた彼女たちはその分、とても丈夫で健康に育ってくれたことだろう。
それから勉強。少々の罰則を定めることで、彼女たちは間違いを畏れる、素直な精神を育んでくれた。
厳しく躾をするのはとても楽しかったし、あの閑散とした屋敷では誰も、わたしのやり方に関心を向けなかった。狭い室内でわたしは女王のように振る舞い、それに応える幼い少女たちは賢くも沈黙の有用性を知っていた。
わたしの教育のおかげで彼女たちはとても『お行儀のよい子』になってくれたと思う。
……今、わたしは囚われのお姫様のように、鉄格子の中に居る。
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