23.エプロンはもちろんペンギンさん柄です
調理台の上には、野菜とお肉、カレールーの箱、あと調理器具が並べられている。なんだか調理台の上がとってもプロっぽい。
わたしとマトはエプロン姿で台所に立っている。わたしの頭には、きちんとバンダナが巻かれている。マトのほうは上着を脱いで、白いシャツにベスト、腰で巻くタイプのエプロン姿だ。バンダナは?と聞いたら、髪を縛っているから問題ない、とのことだ。
ドレスシャツにベストにエプロン……まるで、レストランやカフェの店員さんのような格好だ。しかも顔がいい。これはきっと、カリスマ店員として売り上げに大貢献して、ファンで連日大盛況になるタイプの店員さんだ。
「今回は基本の、箱に書いてある作りかた通りに作るぞ」
「はあい」
「まずは、野菜を洗う」
サンドイッチとサラダの時に覚えた。洗剤は使わない。洗剤を使ってもいいけれど、使ったときはすすぎをしっかり。野菜を洗ったわたしはマトをどうだと見上げてみせた。ちゃんとできるんだから。
「あー、次は皮むき。ピーラーを使うぞ」
わたしはにんじんを一本、それに、ピーラーと言われた銀色の調理器具を手に取った。あ、これはなんだかプロっぽい!すっごくかっこいい、わたし!
「こうして、こう。ここが刃で、触ると切れるから、注意しろよ」
わたしの後ろに回ったマトが、わたしのにんじんを持った左手を支えた。マトの右手はピーラーを握ったわたしの右手を包み、動かし方を何回か教えてくれる。マト、手、大きいなぁ……。
何回かをふたりでやったあとはわたし一人で皮をむいていく。
「こう?」
「うまい、うまい」
調理台の正面、カウンターになっているところにヘリヤもいて、わたしの皮むきを褒めてくれた。そんな言葉にうれしくなりながら、わたしはどんどんにんじんの皮をむいていく。なんたって、夕食の招待客にはコスフィがいる。それに、できればみんなのサバクにも食べてもらいたい。たくさんのカレーを作らないといけないから、にんじんだけでもけっこうな量が必要なのだ。
「次は?」
「次は、にんじんのここを切り落とす」
マトが示したのはにんじんの、茎のついていたところだ。最初はさっきと同じように、後ろから手を取られながら、切り方を教えてもらう。
「かた……ひゃっ!?」
にんじんは、トマトよりもハムよりも固かった。切ろうとして力を入れたらだん、と勢いよく包丁がまな板に当たった。怖くてちょっと涙目になった。
「力を入れすぎだ」
「だって……」
「クオラぁ、刃の先に手を置かなきゃ絶対怪我なんてしないから怖がらなくても大丈夫。そのうち慣れるよぉ。がんばれ」
「でも、ゆっくりいこうな。切り落とした後は、こんな風に切っていく」
たん、たん、とマトの大きな手がわたしの手をくるんだまま、包丁ごと動かされていく。あっという間に『一口大』のにんじんが一本分できあがった。
ピーラーと違って、包丁の扱いはどきどきする。トマトの時と違って、包丁を動かすだけじゃだめで、力を入れすぎてもだめ。
最初は難しいと思っていたけれど、何回かマトに手伝ってもらっているうちに、わたしはにんじんをうまく切れるようになってきていた。
「そろそろ一人でもできるんじゃなぁい?」
「そうだな。やってみろ。包丁は危ないんだから、気をつけろよ」
「はあい」
「切ったにんじんは……あー、バット出し忘れたな」
バット?
バットが何なのか、気になったけれど、すぐに出てくるだろうとわたしはにんじんに集中する。マトがバットとやらを取り出すために、わたしのそばからは離れたけれど、ヘリヤが見てくれているのできっと大丈夫だろう。わたしは慎重ににんじんを切り続ける。あと一本……というところでコロン、と切ったにんじんがひとつ、転がって床に落ちた。
それを、わたしは拾う。
「クオラっ!」
ヘリヤの大きな声に被さるように、だん、というあまり大きくはない音がした。
「なにやってんだ!!」
直後、マトが怒った。
「ちょっ!!見えない!」
ヘリヤが大きな声で叫び、マトが怒っていて、足が痛い。
手も少し痛い。けど、足、足がすごく痛い、そして怒りだしたマトに、大きな声のヘリヤも怖い。
わたしはそのまま、床に小さく丸まるようになって土下座した。
怖い。怖いし痛い。けど、でも、こんなに怒っているんだから、きっとわたしが悪いんだろう。まずは謝らないと。じゃないと、じゃないと、じゃないと、
「……ご、め」
息がなんだか苦しい。うまく呼吸ができない。きちんと謝ることのできない子は、おしおきされてしまう。痛いことになったのは、わたしが悪いからなんだ。きちんと謝らなければ、きちんと、
「ごめ、ん……な、ざ」
だめだ、足が痛い。怖くて、息がうまくできない。ちょっとしか息が吸えないから、上手に謝れない。ここには姉のソディアがいない。父親のサバクのイルヤナも、母親のサバクのベルサもいない。ヘリヤは鏡の中で、マトはわたしのサバクじゃない。きとんと謝らなければ。きちんとしなければ。
「クオラ」
わたしの肩に触れたのは手だろうか。マトの声は優しく聞こえた。でも、わたしは知っている。こういう声のあとは、お腹を蹴られるんだ。わたしは無駄と知りつつも、さらに体を小さく丸めた。
「怯えさせて済まなかった」
抱きしめられだと思う。ならば、ぶたれたり、蹴られたりはしないのだろう。狭い場所に一晩、閉じ込められるのかもしれない。
「持ち上げるぞ」
明日、あしたはキシガがある。朝には出してもらえるだろうか。きちんと謝れていないから、二日くらい閉じ込められるかもしれない。今、今からでもまだ許されるだろうか。
「ご……め」
「謝らなくていい」
わたしはここでやっと目を開けた。
「クオラは悪くない。怯えさせた俺が悪かった。いいな?」
どさりと、わたしを抱きかかえたままのマトがソファーに座る。
わたしの真上にあったのは、真面目な顔をして、わたしを心配そうに見下ろしている、大人の男の人の顔だった。
「マトぉ!見えない!クオラは大丈夫なのぉ?」
「あー、大丈夫かどうかっつったら、だめだろうな」
ペンギンさんが、ヘリヤの鏡を持ってきた。さっきまでできなかった呼吸が、嘘みたいに楽にできた。暗くなり始めていた視界が広がり、もてもてと愛くるしい動きのペンギンさんが世界に幸福と、幸せと、ふくふくしい感情を振りまいている。
「わ!?ちょっとマト早く治して治して!!クオラ、大丈夫だからね、すぐ痛くなくなるから」
鏡の中ではヘリヤがとてもあわてていて、それがなんだか滑稽に見えた。ヘリヤも怒ってなかった。
わたしはとても安心したのだと思う。マトにしがみついて、わんわんと泣いてしまったのだから。
たぶん、わたしは泣き疲れてそのまま寝てしまったのだろう。気がついたらもう夕方で、わたしはベッドの中にいたのだから。もう、どこも痛くない。足には刺さった包丁どころか傷跡ひとつ、残ってなかった。
「起きたのか」
「きっとねぇ、疲れてたのもあると思うよぉ」
鏡を持ったマトが部屋に入ってきて、ベッドに腰掛けた。ほんの少しだけ、ベッドがマトのほうに沈んで、傾いた。マトは優しくわたしの頭をなでてくれた。
「怯えさせて済まなかったな」
「ううん」
何回も、何回も。
いいこ、いいこと言われているような気持ちになって、わたしは布団の上掛けに目を落とす。目が熱かった。
「俺とヘリヤがいる限り、クオラのことは守る。もう、怯える必要なんてない」
無言で、わたしはうなずいた。
結局それからわたしはまた泣いてしまって、マトにしがみつかせてもらった。カレーを作ったのはその後で、夕方スタートになたせいで結構遅い時間になってしまったけれど、無事に完成した。
そして地味に気になっていた『バット』は、四角形の浅い、銀色の容器で、切った材料を並べる為に使う調理器具のことだった。
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