19.おそらくペンギンさんは踊ったりしません
「そこの帯を取ってくれる?」
もしかして漆塗りだったりするのだろうか。黒く艶のある、背の低い幅広の台の上には色とりどりの帯、紐、金や銀の装飾品がずらりと並べられている。とても華やかなその中から、薄桃色の細い帯を取って、祭祀庁ではわたしの直属の上司になるヤニカに手渡す。
「これですか?」
「そう。ありがとう」
しゅるり、とヤニカはそれを衣装の服に巻き付け、不思議な縛りかたで結ぶ。
「次は、そっちの飾り紐をお願い」
今度はオレンジ色の紐だ。しゅるり、しゅるり、と紐は布の上を滑り、あっという間に綺麗な飾りが出来上がった。
「今度はあっちの服をお願いね」
「はい」
ヨウシアが衣装掛けにかけられていた服のひとつを取り、広げ、ヤニカはそれに袖を通す。もともと軽装程度には着ているところからの着付けなので、ヨウシアやマトがその場にいても全く問題はない。
その証拠というか、隣では男性が同じように祭りの衣装を着付けている。
今日のお仕事は、奉納の踊りの練習をするヤニカの手伝いだ。
このあとは舞殿でヤニカや、他の先輩方の踊りを見学することになっている。入庁してからいままでずっと続いていた、郵便室の仕事が今日はどうなってしまっているのか、少し心配になるけれど、きっと誰かがその役割をやってくれているのだろう。
額飾りに腕飾り、髪飾りなどで、秋の大祭の着付けは完成だ。
あちこちに見える独特な紐の結び目が、見事な装飾品の一部になっている。薄く透けるような布でできた服は何枚も重ねられ、美と愛の女神ニクネアの衣装を見事にまとうヤニカはまるで本物の女神のようだ。
「すごい、ヤニカさん、とても綺麗です」
ため息をついたわたしの目の前では、ヤニカは姿見の前で体の向きを変えたりして、最終確認をしている。その動きに合わせて髪飾りがキラキラと揺れて光り、衣装の裾がひらりはらりと波打つ。
「前世の時はもっと器用だったから、舞台衣装の着付けくらいなら一人でできたのにね。今生はそうでもないから困っちゃうわ」
「前世?」
思いがけない言葉につい、わたしはまじまじとヤニカを見つめてしまったけれど、ヤニカは平然と額飾りの調整をしている。
「本当、どうやっていたのかしら。ささっとやっていたようなことしか覚えてないのよね」
更衣室に使っているのは衣装や飾り道具がしまわれている、大きな倉庫の一部に作られていた場所だ。
「珍しいのは確かだけどね、前世持ちって、探せばけっこう、そのへんにいるもんだよ」
すぐ隣で着替えをしていたハルステンが声をかけてきた。彼はヤニカがキシガ生徒だったときに教育係をしていた男性だそうで、こうしてわたしたちによく声をかけてくれる。
なんだか、お兄ちゃん、という雰囲気の男性だ。
「祭祀庁の中では有名な話だけれど、リエティ様も前世持ちだったわよねぇ」
「リエティ様は、過去生がどなただったかも覚えてらっしゃるそうよ」
ハルステンの衣装は芸術と娯楽、そして技術の神、スエツァールーオーネだ。ニクネアの夫神でもある。スエツァールーオーネの着付けを手伝っていたエメリとカロリーナも最終確認を終えたらしく、わたし達の話に入ってくる。
まさか、こんなに身近に前世持ちなどという、不思議な存在が二人もいたなんて。
「叔父さんが前世持ちだなんて、知らなかった……」
わたしが驚いているように、ヨウシアも驚いて、呆然としている。ヨウシアのすぐ隣で、ヨウシアを心配しているらしいヴィッレがわたわたとしながら声をかけているのがとてもかわいらしい。チラリと振り返ってみたら、マトはにこりと微笑みかけてくれたけど、それだけだ。
わたしにも、癒やしのむちむちペンギンさんが必要です。切実に。特に理由は無いけど、わたしには常にペンギンさんが必要です。
「ヤニカさんの前世って、どんな人だったんですか?」
ペンギンさんのおあずけをされてしまったわたしは、気を取り直して質問してみた。すると、ヤニカは困ったように首を傾げてしまう。髪飾りがシャラン、と軽やかな音をたて、照明に反射してキラキラとかがやく。途端にくすくすと笑う声が聞こえてきた。
見れば、エメリがお腹を抱えてうずくまるようにして、肩をふるわせている。ハルステンの向こう側、なんと一人だけで着付けを済ませてしまったラウラがそんなエメリをたしなめている。
ラウラはなんと、最高神フルナエの役を舞うことになっているそうなのだけれど、そんなにおかしい何かがあっただろうか。
「ちょっと、エメリ、笑いすぎだって」
「だって、せっかく、なのにぷっぷぷぷ、ほとんどのこと覚えてないなんてっふふふ」
「まぁ……宝の持ち腐れ感は否めないわよねぇ」
「カロリーナも!あ、ほら、ヤニカ、遠い目なんてしないのっ!」
ハルステンは苦笑いをしているし、ヤニカは遠くを見るような目をしている。ヨウシアも、わたしも、何がおかしいのか、どうしたらいいのか戸惑っている。
「前世があるのはわかるし、なんとなく、風景だとか、イベントだとかの記憶はあるのだけど、それだけなのよねぇ……。自分がどこの、誰だったかまでは全然思い出せないのよ……」
「……っぷっははははは!」
「ふふふふ、残念よねぇ……」
「いいじゃない、変なこと覚えてて悩まされるより。笑っちゃ悪いわよ」
そうやってたしなめているように見えて、ラウラも笑っているのがバレバレだ。ヤニカもわざと大げさに嘆いてみせているようで、口元が笑いを隠しきれていない。
「過去に振り回されるのは大変だろうから、変な記憶が残っていなくてよかったんじゃないかな。さ、移動しようか」
「ええ、本当にそう思うわ」
ハルステンの声がけで、ヤニカがうなずいた。
そこからは、仕事のことや、キシガの話をしながら舞殿に向かって移動する。移動する途中、「お、そろそろそんな時期か」「こっちももう少し急がないとな」「今年もよろしく頼むよ」なんて、衣装を着て移動するヤニカたちに祭司丁の他の職員さんたちから声がかけられる。
後ろについて歩くわたしとヨウシアには、「来年はあなたたちも踊ることになるんだから、よく見学しておきなさい」だとか、「疲れていない?忙しすぎてはいない」だとか、そんな声がかけられて、ただの練習見学だと聞いていたのに、なんだかものすごいおおごとになってしまっているような気がする。
特に、来年の話なんて聞いていない。わたしに演舞だなんて、できるわけがない。
……ううん、これがペンギンさんたちと踊るようなものならできるかもしれない。舞殿の舞台にたくさんのペンギンさん、そして戯れるわたし……スエツァールーオーネは愉快なことがお好きらしいから、きっと怒ったりなんて、しないんじゃないだろうか。
祭祀庁の職員さんはみんな、とても優しい。
最近は昼休みの後、勤務時間中の一時間くらい、祭祀庁の先輩方が宿題の手伝いや仕事について教えてくれることになった。大体は今、ヤニカと一緒にいる三人が見てくれる。
エメリ、カロリーナ、ラウラは先日お茶をした相手だ。彼女たちはヤニカと特に仲がよいらしく、暇なときはいつも一緒にいる。そこにたまに混じって来るのがハルステンという男性の先輩で、この人が一番、面倒見がよくて頼りになるとわたしは思っている。
他にも、通りすがりにちょこちょこと他の先輩方も手伝おうとしてくれるので、祭祀庁から出されている分厚い課題も、キシガからのたくさんの宿題も、なんとかこなせている。
キシガでも似たような状況になりつつある。
ヤニカの知人の後輩だとか、ハルステンの後輩だとかいう上級生の方々が代わる代わる教室にやってきては、あれこれと目をかけてくれる。
そのおかげもあって、まだ、キシガでもそこまでの息苦しさを感じないで済んでいるのだけれど。キシガが一回のイボウに二日しかなくてよかったとつくづく思わざるをえない。
……キシガ一年生は今、三つのグループに分かれてしまっている。
キシガに行くことはとても緊張するし、ついつい足が重くなりがちだ。
一年生のグループ三つのうち、一つはわたしとヨウシアを中心としたグループ。
派閥を作りたいだなんて思っていないけれど、いつの間にかわたしがこのグループの中心にされているような気がする。キシガにも仲のよいお友達はいるし、先輩がたがよく教室まで顔を見せてくれるけれど、どうも、教室での居心地はあまりよろしくない。
どのくらい居心地が悪いかというと、わたしの制服の袖に、小さなペンギンさんの刺繍が増えたくらい、居心地が悪い。
もう一つはヘイプを中心としたグループ。
王子であるヨウシア、その従兄弟であるコスフィについで、ヘイプは実家の身分が高い。どちらかといえば、先生方はヘイプに味方する人が多いように感じている。もしかして、一年生の半分くらいがヘイプを中心としたグループに属している側なのではないだろうか。
最後のグループはどちらにもつかない中立派……といった感じだ。
なぜ、わたしがヘイプに嫌われているのか、なぜグループがこうまでかっちり分かれてしまったのか、よくわからない。マトのことがバレているにしても、きっとヘイプはまだ、確証を得られていないのだろう。
祭祀庁の中のように、キシガももっと、過ごしやすくなればいいのに。
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