16.山吹色のリボン
キシガは、というよりサモチの世界というものは身分社会だ。
サモチの身分は、公の場で必ず身につけているリボンの色で明確に区別される。
最も尊い色は紫で、国王と、その伴侶のみが許される。
次は王族直系や、王位継承権を持つ者で色は薄紫。
それ以外のサモチは自分の役職や、所有するサバク、学生時代の成績など、あれこれ加味して色を分けられていくことになる。
色は全部で十二色。
紫、薄紫ときてその次は上から青、水色、赤、桃色、山吹色、檸檬色、白、黒い縁取の白、黒、灰色。
どんな色でも日常で使うことを禁じられたり、はばかられたりすることはないけれど、自分より上の身分の者は敬わなければいけない。
「ヨウシアはサモチになったからもう薄紫だし、コスフィは山吹だし……敬語とか使わないと駄目になっちゃうね」
祭祀庁へと向かいつつ、わたしはそのことを寂しいな、と思ってしまう。
もちろん、ワナシと灰色、青色と白のように、身分を越えて仲良く過ごしている例はいくらでもある。
けれど、建前上、身分は明確に区別されるし、いくら相手が良いと言ってくれても、他人の目からはわたしが不敬を働いていると評価されてしまうのだ。
先を歩く教頭先生は、灰色と白を重ねた二本のリボンをつけていた。
リボンの本数もサモチの身分社会ではとても重要だ。
キシガを卒業すると、卒業時の色の上に新しく自分のリボンの色を重ねることになる。よって、一本しかリボンを持たないわたしは、たとえ自分の色の階級が上であろうとも、二本のリボンを持つ大人よりも下の身分となり、相手を敬わなくてはいけない。
色の階級が上位のキシガの生徒は、そもそも親がそれなりの地位を持っている可能性が高い。親の権勢を後ろ楯に、リボンの本数を無視する考え方も一部のサモチにはあるらしい。
けれど、あまり一般的な考え方ではないし、美しい行いでも無いから、くれぐれも両親の権力を傘に着るような行動はしないように、とわたしはソディアに言い含められている。
「でも、できれば今まで通り、クオラには普通に接して欲しいな。僕たちはこ……んっ、ど、同僚になるんだし」
ヨウシアはなぜか、そこで台詞を噛んだ。もしかして妙なタイミングだけれどもむせてしまったのだろうか、とわたしはヨウシアを少し心配した。けれど、わたしたちの後ろを歩いているコスフィがしれっとした顔をしていたので、わたしもあまり気にしないことにする。
顔色はそんなに悪く見えないし、きっと風邪などの咳でもないのだろう。
ヨウシアが今まで通りに過ごしたいと言ってくれるのは、友達として素直に嬉しかった。
「でもさ、クオラなら、最低でも檸檬色は堅いんじゃないかな」
ちらり、とマトを見たコスフィが言う。
そうだった。マトがいるから、わたしはかなり得点を稼いでいるはずだ。
エクェイリは何色になるのだろう。
シュプレがキシガに来ていたら、何色になっていたのだろう。
教頭先生が車を運転してくれたワゴン車で、わたしたちは官庁街へ移動する。
「祭祀庁は、ここになります」
教頭先生は、国王が普段生活されている王宮のすぐ近く、祭祀殿の駐車場でそう言った。
「……なるほど、祭祀庁」
ヨウシアがそう、呟く。
つい数ヶ月前まで王宮で生活していたヨウシア自身も、祭祀庁の場所は把握していなかったらしい。
駐車場から歩いてすぐ、祭祀殿の正面、
「ようこそ、ヨウシア殿下、クオラ様」
女性は綺麗なおじぎでわたしたちに向かって頭を下げてくれる。コスフィの名前が呼ばれなかったのは、きっとコスフィが護衛役と知っているのだろう。
女性はわたしたちよりちょっと年上か、同世代のように見えた。黒い縁取りの白リボンに、灰色のリボンが重ねてあるから、キシガの生徒ではないとわかる。彼女のサバクは、肩の上で上手くバランスを取っていた。大きさを含め完全な白猫にしか見えない。知性の宿る夜空のような目をしていて、とても綺麗な猫だ。
「それでは、ヨウシア様、クオラさん、コスフィさん、また第一イボウに」
「ありがとうございました」
そこで教頭先生とは別れた。
大門は歴史を感じさせる、黒ずんだ焦げ茶色の、太い大木の柱でできている。壁の白い漆喰はまだ塗られたばかりなのか、とてもまぶしい。大門の奥には灰色の玉砂利が敷き詰められた敷地に、黒みがかった石畳が続いている。
同じように木と、漆喰でできた見事な祭祀殿が正面に見える。屋根も瓦ではなく、木製のなにからしい。とても『祭祀殿』という名前に相応しい、なかなか迫力のある建物だ。
わたしたちはその祭祀殿の脇、通用口のようなところから中に入る。
廊下は思っていたより天井が高く、横幅もなかなかにある。どうも従業員用といった印象が強いのは窓が小さく、ほんの少し暗さを感じるからかもしれない。
最初に入ったのは、なんとなく、職員室のような印象の部屋だった。
事務机がずらりと並んでいて、何人かが机に向かって作業をしている。
チラチラとこちらを見る視線に挨拶したいのに、女性はずんずんと部屋の奥にある扉に向かって行ってしまうので、急いでついていくしかない。
「失礼します。長官、お二人をお連れしました」
職員室のような部屋の奥にあった扉を開いた女性に続き、わたしたちもその部屋に入室させてもらう。
そこは、たぶん、祭祀庁長官の執務室だ。
けっこう、広い。
壁は一面がガラス戸付きの棚になっていて、中には資料かなにかがびっりしと詰まっている。隣の壁面は引き出しが並んでいて、ここがただの応接室ではないと教えてくれる。わたしたちが入ってきた扉は引き出しだらけのその壁にあるもので、残り一面は窓、もう一面は別の扉があり、あと絵画、書などが飾られている。
部屋の中、資料棚に近い辺りには大きな机があり、その前、窓寄りに応接室セットが設置してある。
「ああ、よく来たね」
机で何か書いていたペンを置き、にこやかにわたしたちを迎えてくれたのは、なかなか渋い雰囲気のおじさまだ。
「おじさん!」
「久しぶりだね、ヨウシア。キシガ入学おめでとう。君はクオラさんだね? そして、護衛のコスフィ君。ようこそ、祭祀庁へ」
男性はわたしたちに応接セットに座るように勧めてくれた。
男性の正面にわたしとヨウシアが座り、案内してくれた女性は男性の斜め後ろ、マトとコスフィはわたしたちの後ろに立ち、ヴィッレはヨウシアの足元にちょこんと座る。
「初めまして、私はこの祭祀庁の長官を務めさせていただいている、リエティ・ゾロクタと言います。そこの、」
リエティはヨウシアを視線で示した。なんとなく、お茶目な印象のある話しかたをする人だ。
「ヨウシアとは叔父、甥の関係でね」
そういうリエティの胸には薄紫、青、青と三本のリボンがある。女王の兄で、王位を継がなかった方がいるとは知っていたけれど、それがこの祭祀庁長官だったようだ。
「他の官庁と比べるとここはあまり大きな職場でもないし、私は王族だけれど、王位を継ぐつもりのない王族だ。堅苦しくしなくて構わないからね」
リエティとヨウシアは伯父と甥だと言うけれど、あまり外見は似ていない。ヨウシアとコスフィがそっくりな外見をしているのだから、きっと、ヨウシアは父親似なのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、わたしはリエティの話を聞いていた。
ゴホン、とリエティが咳払いをする。
「ここはね、『祭祀庁』というのだけれど、仕事の内容と言えばだいたい、国王が行う祭事の手伝いだ。だから、ここの職員はとても少ないけれどね、とても栄誉ある職場なんだよ。どうか、ここに配置されたことを誇って欲しい。指導にはヤニカさんがつくからね、何でも聞いたらいいだろう」
「ヤニカです。仲良くしましょうね」
そこで、女性が頭を下げてくれたので、わたしたちも頭を下げる。ヤニカはきりっとした美人で、でも親しみやすそうな空気のある女性だ。嫌な感じはしない。きっと怖い人ではないのだろうと、わたしは少し安心した。
「さて、改めて、ヨウシア、クオラさん、それとコスフィ君も、キシガ入学おめでとう。君たちのバッジを渡しておこうね」
リエティはテーブルのすみに置いてあった箱を、わたしたちの前に滑らせた。
「ありがとう、おじさん」
「開けてごらん」
「ありがとうございます」
濃い紫は、国王の色。その色をしたビロード張りの箱を開く。
「……山吹」
金とも銀ともつかない、燻されたような素材をした楕円のバッジに、祭祀殿なのだろう
わたしのバッジには、山吹色のリボンがついていた。
コスフィと一緒の色だ。
山吹は、一年生の中ではかなり上の階級になるのだろう。マトが来てくれなければ、手にすることができなかった色。
今までの勉強だとか、両親のおかげで手にすることができた色。
これで、わたしは、本当に、サモチだ。
パッと振り返ったら、マトのきらきらした漆黒の、宝石のような目が細められていた。形のよい唇だけでおめでとう、とわたしに伝えてくれる。
ヘリヤも、喜んでくれるだろうか。
わたしもマトに唇だけでありがとう、と返した。ちょっとだけ目を見開いたあと、マトはまた笑顔でうなずいてくれる。
「クオラは、やっぱりすごいね。僕は白だった」
声をかけられて、はっとする。わたしは隣に座ったヨウシアのリボンも見せてもらう。ヨウシアはわたしとお揃いのバッジに、薄紫と白のリボンだった。山吹程ではないけれど、キシガの一年生なのだから、そこそこの階級といえる色だ。
「ヨウシア。ちょっとみんなには悪いけれど、いい機会だからね、ここで伯父として贈り物をしちゃおうかな」
リエティはそう言って、艶々とした表面の小箱をポケットから取り出した。
「我々は王族だから、誰からも敬われ、かしずかれる立場になる。けれど、それだけでは寂しいばかりだよね?」
言いながら、リエティは小箱を開いてみせた。中には細い、薄紫のリボンが何本か入っている。
「だから、階級が違っても、同格のように過ごして欲しい友人には自分の階級の色に魔力で染めあげたリボンを贈るんだ。裏に魔力を込めつつ記名をしておけば、間違いないという証明になる」
小箱からリボンを一本取り出したリエティは、わたしのバッジをさりげなく取り上げ、そこに細いリボンを結びつけた。幅広のリボンの隣に、細いリボンが添えられているのは、父親や母親のバッジで見たことがある。
「こうしておけば、例えば見知らぬ者ばかりの場所で君たちが親しく会話をしていても誰にも邪魔はされなくなるんだよ。ふざけあったりじゃれあったりしていても、相手が不敬だと罰せられる心配がなくなるんだ」
リエティは話しながらわたしのバッジからリボンを外して、バッジを返してくれる。
「……このリボンの作り方については近々キシガでも習うだろうけれどね。それより前に垣根を作りたくない相手もいるだろう?今日、明日のうちに大切な友人には渡してしまうといい」
「おじさん、ありがとう」
手を出したヨウシアの手のひらに、リエティは小箱を乗せた。けれど、まだ、小箱から手を離さない。茶目っ気たっぷりに、大げさくらいに表情をしかめてリエティは続けた。
「ただね、ヨウシア。君があまりリボンを配ってしまうと、将来の派閥の形成や……まぁ、あれこれと君の立場に関わって来るいろいろなことがある。伯父さんからの忠告だ。出来ればこれを渡すのは一人や二人、多くても十人くらいまでにしておきなさい」
ヨウシアの友人はけっこう多かったと思う。
わたしたちが一番仲良くさせてもらっていたけれど、十人ではとても足りないだろう。
「それだと、階級の垣根を作りたくない友人の数にはかなり……いえ、少し、足りないです……」
困ったようなヨウシアに、リエティはとてもいい笑顔になった。
「さすがは私の甥っこだ。味方がたくさんいるのはとても素晴らしい。そういうときにはね、君がリボンを渡した相手……例えばコスフィ君としようか。コスフィ君にヨウシアがリボンを与え、ヨウシアと仲良くしたい友人には、コスフィ君のリボンを配らせるといい。ヨウシアの信頼するコスフィ君のリボンを持つ相手なら、ヨウシアと親しく会話をしていてもおかしくはないだろう?」
リエティはそう言いながら、二巻きの気生り色のリボンをポケットから取り出して、ヨウシアに手渡した。
「この祭祀殿にも調合室があるから、そこを使うといい。さぁ、ヤニカさん、二人をよろしく頼むよ」
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