11.リゾートホテルとペンギンさん
シコン契約は
「でもね、紙根契約は当て字なの。もともとは舐める魂って書いてぇ、
マトが何かの記号を紙に書いたり、いつの間に集めてきたのか、それとももともと持っていたのか、いろいろな素材を並べたりしている。真剣な空気がビリビリと伝わってきて、怖いくらいだ。
「舐魂契約って言うより、吸魂とかぁ、食魂のほうが合ってると思うけどねぇ」
相変わらず深刻さや真面目さの欠片もない様子のヘリヤは他人事のように笑っている。けれど、わたしはあんまり笑っていられない。だって、ついさっきその恐怖を感じたばかりなのだ。
「それに引き換え、杯授契約は気楽よぉ、メージャに与える魔力を人間が調整できるんだから。でも代わりに、お互い命令する権限は無いし、本当に好意と善意だけで成り立つ関係になるんだよねぇ」
「好意と善意……」
使役関係でなく、対等な関係なのだとわたしは理解することにした。
「マトぉ、そこの木の実の位置がずれてきてるよぉ」
ヘリヤの指摘に無言でマトはドングリの実をわずかに移動させた。その時、指先が光ったように見えたのは、わたしの気のせいだろうか。
「……ねぇ、ヘリヤはなんで、わたしのサバクになってくれようとしているの?」
なぜ、マトとヘリヤはわたしに協力してくれるのだろうと、ずっと不思議だった。
わたしがいる場所に置かれた鏡はあまり大きいものではなく、装飾的でもない。ヘリヤはこの鏡を通じて、声と姿を届けてくれている。何かの契約をした記憶がないのだから、鎖縛契約どころか、紙根契約でも、杯授契約ですらない。これは完全なるヘリヤの好意によるものだ。ヘリヤとわたしの関係は、いったい何契約というのだろう。
そして、マトも。
ヘリヤがわたしのサバクになってくれるはずのメージャだったのなら、マトは通りすがりの赤のメージャでしかないはずだ。それなのに、さっきは疑ってしまったものの、マトはわたしに対してかなり好意的に接してくれている。そうでなければ、杯授契約の話なんて持ち出さず、紙根契約のままでいたはすだ。
そもそも、メージャのほうでわざわざ膝を折ってまで、鎖縛契約の主人を選ぶ必要はあるのだろうか。鎖縛契約、紙根契約、杯授契約と三つの契約があることを知ってしまえば、鎖縛契約はメージャにとってあまり良いものだとは感じられない。
わたしの質問に、ヘリヤはとても、とても優しい表情を浮かべた。
「あたしの魂がね、どうしてもクオラのサバクになりたいって言ってるの」
なんて、綺麗に笑うんだろう。
わたしは今まで、父親とも、母親とも、ソディアとも、祖父母や親戚たちとも普通に仲良く、人並みの愛情を受けて暮らし、育ってきた。けれど、ヘリヤのその笑顔はまるで、生まれて初めて、温かな愛情を注がれたような気分になるものだった。明かりの届かない、真っ暗な心の奥深くにそっと置かれた一本のろうそくに、火が灯されたようだ。
なんだか心の奥が暖かい。嬉しいのと恥ずかしいのとでくすぐったい。ヘリヤを抱きしめて、ありがとうって言いたい。
「クオラ」
そんな暖かい気持ちを吹き消すように、低く、不穏で、でも甘い響きを持つ声に呼ばれた。わたしはマトのほうを見る。集中していたせいか、マトはぶっきらぼうに、片手をこちらに差し出してきた。
「綿棒で頬の内側を擦って、俺によこせ」
今、感動のいいところだったのに、という苦情を今は飲み込んでおく。なぜなら愛くるしいペンギンさんが、わたしに向かってトレイを差し出してくれているからだ。
そのトレイの上には、綿棒が数本置いてある。
「でも、いったい、何に使うの?」
「魔力の媒介に使う」
わたしがやったことのある魔術は、現在、腕輪と鎖の作成、あとはサバクの召喚である『ウケイレの儀』のみだ。腕輪と鎖を作るときには、髪の毛と、血液を媒介として利用していたので、今回もそうするものと思っていた。
「魔力の媒介って、そんなお手軽なものでもいいの?」
これでは、神秘性も何もない。わたしが驚いていると、マトはわずかに眉を寄せ、ヘリヤは笑いだした。
「あぁ、そっか。授業だとそれっぽくするために、髪とか血とか使ってるんだっけぇ? そぉんなの、魔力を含む生きてる細胞があればいいのよ」
「クオラ、早くしろ」
わたしは素直に綿棒で頬の内側を擦って、それをマトに渡す。綿棒(使用済)はマトの正面、どこにでもありそうなマグカップの中に入れられた。
「クオラ、離れていろよ」
マト、横目で見ないで。色気がものすごいから。わたしはそっと、少しだけ視線をずらした。
ぶわっと、マトの魔力が膨れあがる。そして、全ての素材が光を発しだした強い光では無いけれど、つい、外した視線を戻すのには充分だった。すぐにそれらはパッと消えてしまった。
残ったのは、パッと見ただけではなんの変哲もない、普通のマグカップだけだ。そのマグカップの中には、先ほどまでは無かった、少々の液体が入っている。
ふぅ、とマトは大きく息を吐いた。
「あとは、クオラの体に紋章を刻むだけだな。……どこにするか」
額に浮かべた汗を拭いながら、マグカップ片手にマトが立ち上がると、となりのベッドに腰かけていたわたしを見下ろしてきた。
「定番なのは手のひらじゃない? すぐにバレるけど」
ヘリヤも、わたしのことをじっと見てくる。
「すぐにバレるのは困るだろ。……舌の裏はどうだ?」
「いいかも知れないけど、書きこむのが大変だよぉ?」
「内臓に書き込んだヤツがいるんだから、舌の裏くらい、そこまで手間じゃないだろ」
『紋章』とやらをわたしの体のどこに刻むのかを話しだした二人に向かって、わたしははい、と手を挙げた。
「紋章を刻むって、それ、どのくらいの大きさになるの?」
わたしが連想したのはタトゥーだ。『刻む』という言葉で針やナイフでガリガリするところをイメージしてしまったので、できるだけ痛くなければいいと願っておく。
「込める魔力次第で大きさはどうとでもなる」
じゃあ、とわたしはパジャマの裾を少しだけめくった。
わたしの脇腹には、ほくろがあるのだ。
「このほくろに合わせて書き込むことはできる?」
「……ああ」
「ああーーーー、それ、いい!」
脇腹に筆で紋章とかいうものを大きめに描いて、わたしの魔力で、縮小していくことになった。とてもくすぐったくて、非常に大量の魔力と体力を消費させられた。
結局、その日はそれだけで終わってしまった。笑い疲れたうえ、わたしの魔力もかなり少なくなってしまったので、わたしはマトの魔法で、強制的に睡眠を取らされてしまったのだ。
この場所で集めるべきほとんどの素材は、マトが分体と呼ぶペンギンさんたちがかなりの量を集めてくれている。だからわたしはマトとヘリヤに言われるまま、毎日、容器や素材に魔力を流し、素材の入った容器の蓋を閉めさせられている。
もちろん、わたしも採取のコツを学ばなくてはいけない。ある程度、素材の管理をしたあとは、マトにアドバイスをもらいながら、わたしの手で採取もしている。
エステに行ったり、映画鑑賞をしたり、ショッピングや海水浴に行ったりすることなどを挟みつつなので負担はあまり感じていない。
「あら? クオラじゃない。 何かのお使いかしら?」
そうやって声をかけられたのは、谷のウタグも半分の、十八日の事だった。
「こんにちは、ヘイプさん。久しぶり」
わたしが振り返ると、そこにはヘイプと、ヘイプのサバクなのだろう、メージャがいた。メージャのほうは台車を押していて、水の入っているらしい容器が積まれている。もしかして、あれが『清浄な水』なのだろうか。
「久しぶりね、クオラ。キシガの学生気分はいかが? わたくしはやっと、『清浄な水』の採取を終えたところですの。明日からは採取の日々なのよ」
わたしたちは今日もプラネタリウムに行った帰りで、人気の少ない、木陰の遊歩道を歩いていた。
わたしの足元ではまだ名前を覚えきれてはいない、帯のような葉っぱが歩道にかかっている。日差しを遮るのは南国らしい、ブーゲンビリアとヤシの木、あとはやはり名前のわからない樹木で、リゾートらしいその遊歩道がわたしは気に入っている。
これから、プルメリアの咲いている木の向こうにあるカフェで、おやつでも食べようと、マトと話していたところだった。
こんな時期まで『清浄な水』の採取に時間をとられていたのなら、きっと、ヘイプは今まで、このリゾートを楽しんでいたのだろう。そしてこれから採取に本腰を入れるつもりなのに違いない。
「本当、嫌になっちゃうわ。せっかくのリゾートだというから期待していたのに、今日までずっと水汲みばかりなのだもの。でも、それがキシガの生徒って言うことなの。クオラはせいぜい、ご実家の有り余る資産でこのリゾートを楽しんでらして」
わたしの予想と違った。ヘイプはまだ水汲み以外の採取ができていないらしい。
わたしが驚いていると、派手な金髪をばさりとかきあげ、ヘイプはくるりと踵を返して脇の小道に入っていってしまった。ヤギのメージャらしい女性が、ペコリと頭を下げてから、ヘイプについて立ち去っていく。
今まで気づかなかったけれど、その先にはあまり背の高くない建物が木立の向こうにちらりと見えた。
どうやら、ヘイプが宿泊している施設がそこらしかった。
「散々でしたね」
予定通りのカフェに入り、海と砂浜、ヤシの木だけがよく見える、素敵な個室に案内してもらう。
マトは外だからか、素敵な執事モードでいることに決めたようだ。苦笑いをする顔がいい。
「ああいう言い方をする子ではなかったんだけど」
けれど、あまり良い感じは前からしていなかった。もしかしたら、一日目にサバクを得られなかったからだろうか。一応、わたしだって、公的な記録の上では二日目にサバクを得たことになっているのに。
それとも、もう、ヘイプにはバレている?
ヘイプのサバクはかなり人間に近い姿をしていた。人間に近い姿を持つ程、メージャの能力は高くなるのだ、とイルヤナに教えてもらったことがある。
「ヘイプには、俺がメージャだとは認識できていなかったようですね。連れていたサバクのほうは、俺がクオラ様のサバクだと認識されていたようですから、心配は不要かと」
す、とマトはわたしにメニュー表を差し出してくる。マリンブルーの表紙には、錨と浮き輪のイラストが描いてある。
「えっと……じゃあ、このパンケーキと、紅茶を」
「かしこまりました」
わたしはまだ、執事モードのマトに慣れてない。他にお客がいないのだから、音を切っていつも通りに話してほしい。
マトが店員さんに注文してくれる。
お店はかすれた白と、青色を使ったマリンテイストで、インテリアにも網や、錨、浮き輪のようなものが飾られている。
テーブルは正方形で、やはり白。
わたしは右手でテーブルをぺち、と軽く叩いた。
「落ち着かないから、マトも座って」
「それがあなたの願いなら」
ぐっと、喉が詰まってしまい、わたしは動揺しているのを悟られないように、水を一口飲み込んだ。
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