10.ペンギンさんに朝食を

 今朝の朝食は、クリームリゾット、生ハムサラダ、フルーツのヨーグルトあえ。


 今朝と言ってみても、もう既にほとんど昼といえるような時間だ。夕べは寝るのが遅かったのだから、仕方ないということにしておこう。

 あくびをして、パジャマのまま、わたしはベッドの上に座ってペンギンさんを抱っこしている。


「あ」


 わたしが口を開ければ、ベッド脇に立っているほうのペンギンさんが、リゾットを口に入れてくれた。……なんだろう、この状況。もしかして天国なのだろうか。天国だというのなら、あと二、三体のペンギンさんをわたしの周りに侍らせてもいいのではないだろうか。


「……ペンギンさんは俺の分体だと言わなかったか」

「ここはお風呂じゃないもん。わたし、今はパジャマ着てるもん」


 文句を言ってくるのは当然、ここにはマトしかいない。マトはリビングとの境、入り口のところで腕を組み、右半身をもたれるようにして立っていた。呆れた表情を浮かべるマトの顔もいい。なんだろう、このイケメンは。けれど、今はその顔面よりも、スラリと長い足のほうが気になっている。一体マトは何頭身なんだろう。ちょっとスタイルが良すぎやしないだろうか。


「それに、分体っていうけど、それなら抵抗しないのはマトのほうじゃん」


 なんだか文句を言っているのはマトだけれど、こうやってわたしを甘やかしているのだってマトではないか。

 わたしはペンギンさんを抱きしめる腕に力を込めた。ちょうど、わたしの顎がペンギンさんの頭に乗る。いい大きさのペンギンさんが、ちょっともぞもぞ動いて「アー」とかわいらしい声をあげた。やだ、かわいい。


「だからだな……」

「わたし、気がついたんだけど」


 わたしは、給仕をしてくれている大きなペンギンさんの頭を撫でた。その羽でどうやってスプーンを持っているのか、よく分からない。見ている限りはペタッとくっついているみたいだ。


「マト、ペンギンさんのメージャなんでしょ? 今、繁殖期じゃないよね? それなら多分、マトのことも抱きしめられると思う。………………ペンギンさんのためだったら」


 こんなにかわいいペンギンさんなのだ。ペンギンさんとの時間のためなら、ちょっとくらい、気恥ずかしさはくしゃっと丸めてゴミ箱にぽいっと放り投げてもいい。


「そういう考え方なのか」

「そういう考え方なの」


 マトの声音はなんだか、うんざりしているように聞こえる。わたしはマトに、にっこりと笑いかけてみせた。

 だって、ペンギンさんはかわいい。かわいいは正義とよく言うのだから、ペンギンさんをかわいがるのは正義なのだ。


「全く……オスカリはどういう教育をしているんだ」


 マトは長い足を動かして、すたすたとわたしのすぐ近くにやってくる。わたしがいるベッドの端に腰かけたせいで、マットレスが少し揺れて傾いた。


 何をするのかな、と見ていたら、マトはぐっと腕を伸ばした。またマットレスが揺れて沈み、衣擦れの音がする。マトはベッドの反対側にいたペンギンさんからスプーンを取り上げていた。そして、


「あーん」


 と言う。これは、マトが直接、わたしにリゾットを食べさせてくれようとしているように見える。


 どうしよう。


 意地悪そうに微笑んでいる、マトの顔がこれまたすごくいい。わたしを見下ろして、わずかに目を細め、からかうように片方だけ持ち上がった口元が堪らなく色っぽい。

 イケメンが差し出してくるスプーンを咥えるのに、なんだかやたらと、それはもう、ものすごい抵抗感がある。


 ……でも、ここで負けたらペンギンさんとのうきうきタイムが終わってしまう。マトに勝って、ペンギンさんとの永遠のイチャイチャタイムを勝ち取るのよ、クオラ!


 わたしは朝食を完食した。なんとなく、マトが肩を落としているように見えるのだから、わたしは勝ったのだと思う。それもたぶん、圧勝だ。


 わたしはずっと抱っこしていたペンギンさんを、マトのお膝に設置した。食後のお茶を飲んで、お口をすっきりさせる。さあ、歯磨きと、顔を洗って着替えをしよう。ベッドから降りて、床に立とうとしたその時、腕を捕まれ、強い力で引っ張られた。


「うぁっ」


 なに?


 バランスを崩して倒れた頭は、ぽふんとお布団の上に落ちた。直後、唇が重ねられる。


 不埒なことをされてしまったと、頭の中が真っ白になった。血の気がざっと引いていくような感覚がする。


 抵抗しようと掴まれていない手で押そうとしたのに、マトはびくともしてくれない。せめて、と顔を逸らそうとしたけれど、今度は腕を掴む腕とは違う手で頭をおさえられてしまう。


「んーーーーーーっ!んーーーーーーっ!」


 腕を掴まれてから、まだ一秒も立っていないと思う。けれど、わたしは違う意味で自分が危機的な状況に陥っているのだと、理解した。……ものすごい勢いで、わたしの魔力は吸い上げられている。このままの勢いで魔力を吸われるのは危険だろう。


「んーーーーーー!」


 なのにもう、抵抗しようにも腕に力が入らない。じたばたしようとした足が動かせない。まだ唇を合わせてたった数秒のはずなのに、もう魔力のほとんどは吸い付くされてしまっている。頭は既にぼんやりと鈍ってしまっているようだ。きっと、気が遠くなりはじめている。


 ヘリヤ、ヘリヤ、助けて!


 意識を手放さないように気持ちを張り詰め、助けを求めてみたものの、ヘリヤが映る鏡はどこにも見当たらない。


 やっぱりマトはメージャ。メージャはメージャでしかなかったのか。


 苦しいし、怖くて仕方がない。悔しさで涙がにじんできた。


 ……ペンギンさん、助けて。


 何もできないまま、もう、視界が暗くなってきてしまっている。甘い何かの味がする。キィン、と耳鳴りがするのと同時に、温かなものが口からわたしの中に入ってきた。

 それは、口から背のほうに伝わり、背骨を這うように、首から下のほうにゆるゆると広がっているようだ。


 気持ち悪い、頭がガンガンする。魔力を吸われているのが不快で仕方ないのに、幸福感がずぶずぶと、頭のほうからわたしを満たしていく。


 足元からひたひたと不安がせりあがってくるような気がしている。なんだかやたらと幸せで、心地良い、得体の知れない甘いものが容赦なくわたしを染めている。そんな不自然な感覚が怖くてたまらない。

 怖いという感情が浮かび上がっては、べたべたとした絵の具で塗られたように、ぎとぎととした気持ち良さでかき消される。わたしは幸せな感覚に支配されていく。


 ああ、歯磨きしてないのにキスされてしまったんだ。


 温かなものに全身が包まれていく感覚は、朝方の、一度意識が浮上しかけて浅く目覚めたのちに、再び眠りへと沈んでいく感覚にどこか似ている。だからきっと、わたしは眠ったように意識を手放してしまい、そのまま永遠に目覚めないのだろう。


 でも、痛いわけではないし、もう苦しくも、怖くもない。


 ここまでのイケメンに魔力を吸い付くされ、魂を食われて死ぬことは、もしかしてそこまで悪いことではないのかもしれない。


 いつの間に顔が離れたのか、マトの顔が適切な距離でよく見えるようになっていた。整った顔は無表情で、黒曜石のような目が強く輝いている。なんて、綺麗な目をしているのだろう。


「……ペンギンさんを抱っこするまでが妥協点だ。よく覚えておけ、風呂や着替えは無し、むやみやたらとキスするのも駄目だ。お前は、ヨウシアの婚約者候補なんだろう」


 ぼーっとマトを見上げるしかないわたしは、マトが何を言っているのかよく理解できなかった。でも、いい声をしている。


「わかったら、うなずけ」


 ホカホカ温かく、ふわふわと幸せな気持ちでいたわたしは、うなずかなければいけないような気になった。

 だから、言われた通り、素直にうなずく。


「……よし」


 とたんに視界も、感覚も、全てがクリアになった。

 全身の魔力はかなり少なくなっているけれど、思っていたほど減ってはいない。明日には……ううん、魔力を回復するお茶を飲んでしまえば、きっと数時間もたたないで回復できる程度だろう。


 不自然な多幸感も、視界の暗さも、手足の感覚の喪失も、全身を這う、不思議な感覚も、さっぱりと無くなっている。


「大丈夫ぅ?」

「ヘリヤっ!?」


 いつからそこにあったのだろう、台の上に置かれた鏡越しに、ヘリヤがわたしを見つめている。


「俺が失敗するか」


 そしてマトは、変わらず隣に座っていた。


 気まずい。とても気まずい。なんというか、近い。あれ? どうやって、いつの間に、マトはベッドの右から左側へと移動したの?


「……今のを、シコン契約という」


 たぶん、マトも気まずいと感じている。なぜなら、微妙に視線が合わない。


「シコン契約は、メージャが上位に立ち、人間の魔力や魂を食いつつも、人間を使役する関係になることだ。今のように魔力を吸い上げる時の苦痛を誤魔化す為、多幸感や快楽を伴う。メージャのほうで理性を失えば、人間の魂を食いつくしてしまいかねない、危険な契約関係だ」

「今のマトとぉ、クオラの関係は、それ。出会ってすぐにメージャが人間を食べちゃうのも、シコン契約になるかなぁ? ついうっかり、食べ過ぎちゃうことって、よくあるよねぇ?」


 よくあっては困ると思う。主に、わたしの寿命的に。


 いつの間にか、朝食は綺麗に片付けられていた。ペンギンさんがやってきて、いくつかの素材の乗ったトレイをマトに差し出している。わたしに給仕をしてくれていたペンギンさんと同種のペンギンさんだけれど、同じ子かどうかはわからない。


「通常の鎖縛契約はその逆、人間がメージャを使役する関係だ。どちらもまぁ、関係としては対等とは程遠い。ついでに俺とクオラで鎖縛契約を結ぶのは難しい。けど、何もなしじゃ、いつか俺がサバクでないとバレるだろう。……そこで」


 マトは布や素材をベッドの上にどんどんと並べていった。


「クオラと俺は、『ハイジュ契約』を結ぼうと思う」

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