9.海でペンギンさんと何をする?

 寮の部屋の内装が決まり、制服の採寸も終わり、書類も書きあがった。あと、やることはキシガの授業で使うことになる素材の採取だけだ。


 そう、採取である。


 今、わたしは水着でビーチに寝転がっている。けれど、これは、魔術関連の授業に使う素材採取の一環だ。


 わたしとマト以外に誰もいないビーチ、どこまでも続く白い砂浜、青い空、白い雲、穏やかな波の音と、たまに聞こえる鳥の声。

 ビーチパラソルが作ってくれる、ほどよい日陰とピクニックシート。


 これは、採取である。


 その証拠にというか、真面目なわたしたちは、日の出前からここにいる。たまにちょっと泳いでみたり、仮眠を取ったり、飲食もしているけれど、真面目に採取もしている。そもそもここは、宿泊施設の目の前にある、整備されたビーチからはかなり離れていて、不便な場所なのだ。断じて遊んでいるわけではない。


 ……ここは、決して、ジャングルの奥にある、こぢんまりとしたプライベートビーチでは決してない。


 ビーチパラソルの隣にあるのはタープテントといっただろうか。壁のない、屋根だけのテントの下に、水着姿に上着を羽織ったマトがいる。なぜ二人とも水着なのかっていうと、今回の採取は濡れるからだ。


「……それにしても、なんで、ここに来るまでの間、誰にも会わないんだろ」


 昨日は午前中、プラネタリウムに行って、あれこれと採取の下準備をして、今日に備えて早く寝た。昨日からここに来るまでの間、あちこち歩き回ったけれど、今のところ学生には誰にも会えていない。どこに行ってもリゾートの係員がいるだけだった。


「そりゃ、学生の採取っつったら『清浄な水』を取りに行くところから始めるのが当たり前だからだろ」


 ビーチに寝転がって、たまにもてもてと歩き回るペンギンさんたちを愛でているわたしと違い、マトは椅子に座りながら、手帳に何かを書き込んでいる。


 ちらりとわたしはマトのお腹を盗み見た。モデルさんみたいなお腹をしている。わたしは気づかれないよう、こっそりと自分の腹筋に力を入れておいた。


「わたしはそれ、取りに行かなくていいの?」

「俺たちは後回しにする。今は『清浄の泉』が混んでる。だから、空いているやつを優先する」


 それに、とマトはニヤリと笑った。はらりとひとつに縛ってある髪が肩から落ちた。


「どうせ新入生の採取できる素材、扱える道具の程度じゃ、市販の蒸留水を使おうが、『清浄な水』を使おうが、ほとんど効果は変わらない」


 配布された資料によれば、採取する道具や保管する道具の洗浄には、『清浄な水』という特別な水が必要になるらしい。

 これは大量に必要だ。なぜなら、わたしたちは一年分の素材の採取をするため、このリゾート地みたいな場所に滞在しているのだから。


「今ごろ、ほとんどの学生やサバクは、あの小さな『清浄な泉』に行列を作ってるところだろうな」


 マトは到着したその日のうちに、蒸留水の注文をしてしまったそうだ。わたしが宿泊している部屋の隣室に、それらしい段ボールが積み上げられていた。


「俺たちが『清浄な泉』に行くのは人がまばらになって、魔力も増す後半だ。狙えるなら、新月の日が望ましい」


 そんなわたしたちの間をペンギンさんがむちむち、もてもて歩いていく。小さな簡易テーブルにランチの準備を始めた。


「そろそろ昼だな……いくぞ」


 マトが、羽織っていたパーカーを脱いだ。わたしもマトの後について、浜辺に小さな容器片手に向かう。もちろんこれも、マトに言われた通りの手順で洗浄済みの道具だ。


 タイミングを同じにして、わたしたちのあとからたくさんのペンギンさんが、もうそれは群れとしか言いようのない数のペンギンさんたちが、手に手にバケツやザルを持ってビーチに広がっていく。これらの道具もわたしの魔力のこもった蒸留水で洗浄済みだ。


 わたしは気持ちの良い水に足を浸す。体はしっかりあったまっていたから、水の冷たさが気持ち良い。


「あの波だ」


 マトが指差した波を、わたしは容器で掬って採取する。すかさず差し出された別の容器で、足元の砂も採取した。

 容器にはあらかじめ、『昼の波』『昼の海辺の底』と記入してある。


「クエエエッ」


 ついてきてくれていたペンギンさんに容器二つを預け、わたしはゴーグルを装着する。今度はマトと一緒に、ザブザブと海の深いところを目指すのだ。


「息を吸って、止めておけ」


 泳げないわたしを途中からマトが引っ張ってくれて、かなり沖まで進む。この辺りは、ぎりぎり足がつくか、つかないかという深さのところだ。


 ざぷん、と水の中に引っ張られる。


 ぐいぐいと水中を進んでもらって、わたしは一人じゃとても潜れそうにないところにあった、海の底の貝殻をわしっと掴んだ。水深は何メートルだろう。息は、すぐに苦しくなる。


 ガッとマトの腕が脇の下に回され、ぶはっとわたしは海上に顔を出すことができた。


「もう一回、潜れそうか?」

「ちょっ、と待っ……て……」


 マトはよほど、泳ぐのが上手いらしく、わたしが水を飲まないように支えてくれる。マトにしがみついて、わたしは呼吸を整えた。


「はぁ……いける」


 呼吸があらかた整ったわたしは、マトを見上げる。マトはうなずいて、またわたしを水中に連れていってくれる。


「潜るぞ」


 結局、その貝殻は三個も採取することができた。その他にもペンギンさんたちがあちこち泳いで、海藻や海底の小石のようなものを採取してくれている。かわいい。


 浜辺に帰る時も、マトに引っ張ってもらうことになる。

 すいすい泳ぐマトのおかげで、足がつかない深さでも怖さは一切感じない。むしろ、肌を滑る水の流れを感じられて心地よいというか、楽しい。


「はやぁい!」


 足が着くところでわたしは沖のほうを向く。さっきまでいたのは、だいたいあのあたりだろうか。もう、あんなに遠い。


「メージャはみんな、泳ぎが得意なんだ」


 わたしを引っ張って往復したっていうのに、その程度じゃマトは疲れたりなんてしていないのかもしれない。涼しい顔でふっと笑う。顔がいい。

モデルさんが撮影してるのかと思った。そんな筈無かった。


くしゃりと笑って、マトはわたしにまた、掴まるように促してきた。


「もう一回、沖まで往復してやるよ」

「いいの?」

「ああ、一回だけな」


 そしてまた、海をぎゅんぎゅんマトが泳いで、わたしを引っ張ってくれる。とても、楽しい。自然と笑い声が出てしまう。


 再び戻った浜辺では、ペンギンさんとペンギンさんが、タオルと上着をそれぞれ持って待機してくれていた。

 マトがタオルを受け取って、一枚をわたしにくれる。身体を拭いてパーカーを羽織った。


 すっかり準備の終わっていたランチは、今日は煮物、揚げ物がちょっとずつ楽しめるお弁当。わかめとお麩のお吸い物もついていた。お弁当に入っているにんじんと、れんこんの飾り切りがかわいい。れんこんはまるで、レースみたいだ。


 ランチを済ませたら、ペンギンさんたちが集めてくれた素材の容器にわたしは蓋を閉めていく。


 そこそこの疲労、満腹感、単純作業、よく晴れた夏の日射し、波の音、肌を撫でていく風。


「……あふ」


 あくびのひとつやふたつ、仕方ないことだろう。


「そろそろ眠いだろ、寝てていいぞ。今日は夜までかかるんだ、無理はするな」


 浜辺でお昼寝とか、ずいぶんと贅沢な時間の使い方だ。


「うん、そうしよっかな」


 全ての容器に蓋を閉め終わったわたしは、ビーチパラソルの下でごろんと横になる。柔らかい砂は少しだけひんやりしていて、それがまた心地良い眠りを誘ってくる。

ふわり、と薄手の布がかけられて、わたしは目を閉じることにした。


「お前の家のサバクたちは、どうも危機感が薄すぎないか?」


 深夜、早朝、朝、昼間にした作業を、お昼寝から起きて、ちょっと海で遊んだあとの夕方と夜にも行う。さすがに、海の深めの場所にわたしが潜ったのは昼間と夕方だけだ。あとは、マトとペンギンさんが代行してくれた。全部を代行してくれないのは、採取の経験をひととおりわたしにさせるためだ。

 わたしは延々と、容器の蓋を閉めていく。


「そんなことはないと思うけど……なんで?」

「もう、サバクに見張られている気配がない。俺を信用するのが早すぎだ」

「疑われるより、信用されるほうがいいんじゃないの?」


 日は傾いて来ているけれど、まだまだ気温は高い。もう少しすれば、綺麗な夕焼けが見られるだろう。

 立って、辺りを見回しているマトから、わたしは海藻を受け取って、容器に入れる。


「それは、そうなんだけどな……」

「……ねぇ、素材、こんなにたくさんとっちゃって、大丈夫なのかな」


 採取したものは、けっこうな量になっている。他の人たちの分が心配になるくらいだ。

 そんなわたしに、マトは容器のひとつを持ち上げる。


「問題ないだろ、この結晶を見る限り、このビーチじゃ最低三年はロクな採取がされてない」


 容器の中には、星の光みたいにキラキラ輝く小石が入っている。星明かりの結晶は、珍しい上に価値の高いものだから、こんなに大きく育つのは珍しいらしい。


「それに、一応範囲は決めてやっている」


 今日見つかった星明かりの結晶は、ひとつだけではない。なんと、わたしの親指の先サイズのものが八つも見つかったのだ。わたしたちはホテルから遠い場所で採取をしているけれど、マトはかなりの数のペンギンさんを動員している。だから、やり過ぎが心配になってしまうのは仕方ないだろう。


「取り尽くしてないならいいんだけど」


 ペンギンさんに掴まって、海を泳いでもらうのはとても楽しかったし、マトと綺麗な貝殻集めをするのも楽しかった。

 波打ち際に座ったマトを砂に埋めてみたり、カニさんを発見したり、小魚も見かけた。かなり、今日一日で海を満喫できたと思う。


 深夜になり、やっとわたしたちは部屋に戻った。


「俺に洗われたくなきゃ、ちゃんと風呂に入れ」

「はぁい」


 部屋の中には既にペンギンさんがいて、お風呂はいつでも入れるようになっていた。


「クオラ、お帰り」

「ヘリヤ、ただいま」


 小さなペンギンさんを捕獲してから、パーカー、水着を脱ぐ。ペンギンさんを抱き上げ、お風呂にざぶんと入っ


「クオラ! ペンギンさんを風呂に連れ込むな!」


 ……ったところでわたしは固まった。


 マトが、ドアを開けて、怒鳴っている。

 お風呂で。


 そう、お風呂で。


 怒った顔のマトが、わたしの腕の中にいたペンギンさんを取り上げる。


「わかってないようだから言っておくぞ、クオラ。このペンギンさんは、俺の手足、『分体』だ。当然感覚もあるし、ペンギンさんと視覚も共有してる。お前は、俺と、風呂に入れるのか?」


 ここは、お風呂で、わたしは入浴中。


どうしよう、わたし、お嫁に行けないかもしれない……。

 じわっと涙がこみ上げてくる。


「イヤだっつーなら、ペンギンさんを風呂に連れ込むな、ペンギンさんの前で着替えるな、ペンギンさんをトイレに持ち運ぶな、ペンギンさんを俺だと認識しろ」


 ぎちぎち固まった筋肉を駆使して、マトと、マトが持っているペンギンさんを交互に見る。


 ペンギンさんはかわいい。マトの顔が怖い。ペンギンさんはかわいい。


 そう、ペンギンさんはかわいい。


「ぺ……ペンギンさんとなら、お風呂くらいはゆるされ」

「るわけがあるか」


 ペンギンさんを消してしまったマトは乱暴にドアを閉めて、出ていってしまった。


「お嫁に行けないかもしれない……」


 わたしは動揺したまま、なんとから体を洗い、用意してあったパジャマを着て、お風呂を出た。


「これに懲りたら、ペンギンさんと風呂に入るなよ?」


 リビングではマトが素材を整理していた。手伝っていたらしいペンギンさんがわたしの前を通り過ぎていく。ああ、それでもやっぱりペンギンさんはかわいい。


 こんなにかわいい生き物との楽しい入浴時間を、マトのために諦めないといけないなんて、なんという残酷さだろう。もし、マトがペンギンさんのメージャだったのなら、繁殖期間でない今の季節は性別を気にしない可能性だってあったかもしれないのに。


 ……ん? あれ? マトって、もしかして、もしかしなくてもペンギンさんのメージャなんじゃないの?


「……ペンギンさんの繁殖期は通常、牛からぬりのウタグの期間」


 今はもう、塗のウタグの次、谷のウタグに入っている。


 マトがペンギンさんのメージャだったとしたら、もしかして今のマトは世界一安心なのではないだろうか?

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