7.冷蔵庫のマークがペンギンさんなのです
「ヘリヤ、あんまりコイツをびびらせんな」
朝、目が覚めたのはマトがヘリヤに文句を言っている声が聞こえたからだった。
布団の中にまだ居てくれたペンギンさんがかわいい。硬い羽に顔を埋めて、ぎゅっとしがみつく。
「おい!」
ペンギンさんの頭にキスしたら、マトに怒られた。
「クオラ、あのな」
「マト、ヘリヤ、ペンギンさん、おはよう」
「おはよ」
「いいか、クオラ、よく聞け」
なんと酷いことに、マトはわたしの腕の中からペンギンさんを回収してしまった。ぱっとペンギンさんが消えてしまい、わたしは呆然とする。それだけではない。マトは寝起きのわたしに向かってお説教をしてきたのだ。
「ペンギンと風呂に入るな、ペンギンとトイレに入ろうとするな、着替えるときにペンギンにお前の服を着せようとするなペンギンにキスするなペンギンにむやみやたらと抱きつくな」
「禁止事項が多い……」
それでは、わたしのペンギンさんへの愛情はどうしたらよいのだろう。せっかくペンギン天国な環境なのに、マトはけちんぼだ。
「俺が出すペンギンは」
「クオラー! 朝ごはん届いてるよー」
マトのお説教を、ヘリヤが遮った。マトはよく整ったその甘い顔を、ものすごく苦いものを噛み潰しているみたいに歪めて、それからため息を吐いた。
「洗面所で着替えてこい」
このお部屋は、洗面所がお風呂の脱衣場も兼ねている。脱衣場の先にも小さなテラスがついていて、明るい。服を持って洗面所に入ったら、昨日脱いだ服や、使ったタオルがもう無くなっている。代わりに新しいタオルが用意してあった。
顔を洗って、着替える。洗顔には旅仕様でちょっと良い洗顔フォームと、保湿クリームを持ってきた。香りの良さに、心が浮き立つ。
部屋に戻ったら、朝ごはんがテーブルの上に用意されていた。パンが三種類、ソーセージ、ホカホカのミネストローネにカットされたオレンジとヨーグルト。
「なんでわざわざ俺の分まで頼んだんだ。ヘリヤ、俺の分は必要ないってこいつに教えてやらなかったのか」
「いらないよって言ったんだけどねぇ。いいじゃん、マト、ありがたく食べさせて貰いなよ」
マトは少し、戸惑っているように見えた。じっと立ったまま、自分で二人分並べた料理をしばらく眺めていた。
「……ああ。そうさせてもらう」
ほかほかの朝ごはんはおいしいけれど、どうにも量が多い。さすがに食べきれなくて、わたしはパンを残してしまう。勿体ないなと思っていたら、マトがどこかにしまってくれた。
「今日も部屋で過ごしてもらうことになるだろうな」
まだ、外は『荒れてる』のだろう。友人たちは大丈夫なのだろうか。
食器を片付けて、ワゴンを部屋の外に出しに行ったマトが、帰りには分厚いファイルをたくさん抱えていた。ちなみに、明日の朝食もAセットにしておいた。
「とりあえず、今日はキシガ寮の部屋の内装から決めてほしいいそうだ」
ファイルには壁紙見本に、カーテンの見本、家具のカタログ……そういうのが一式、どさりと置かれる。
「今、そこでベルサに渡された。今日明日のうちであれば、間取りの変更もできるそうだ。……昨日のうちに記憶を読んでおいて良かったな」
「ベルサが来てるの?」
わたしは廊下に繋がるドアのほうを見た。
「さっきまでな。今はサミがいる」
そういえばソディアは一週間の休みを取っていたな、とわたしは思い出す。ソディアも仕事は忙しいだろうが、父と母はもっと休みを取りにくい忙しさだ。
「この時期は荒れるでしょ? だからさ、親とかのサバクが外側から見守ってることが多いんだよねぇ。見張られてことがわかるだけで、悪いメージャは警戒して、大人しくなるから」
だから、親族にサバクのいないワナシの子供は、例え才能があってサモチになれたとしても、生き残ることが難しいらしい。
ああ、とマトが思い出したように続けてくれる。
「昨日、あんたのお友達のところも見てきたぞ。あの感じじゃ、問題ないだろ」
「……シュプレは?」
サモチになれなかったシュプレに危険はないのだろうかと、わたしは少し不安になる。
「ああ……シュプレはシシガの寮だ。あの寮にいる限り、はぐれのメージャに襲われることはまずないだろうな」
「そっか……」
わたしは胸をなでおろす。それから、お姉ちゃんの婚約者のことが今度は気になった。
「ね、サミに入ってきては貰えないの?」
「今はダメだ。俺のほうでボロがでそうだからな」
マトが嫌な顔をしたので、そっか、とわたしはまた呟いた。サミは、廊下で暇ではないだろうか。
「あ、ねぇ、お姉ちゃんとシュプレにお手紙を書きたいの。できればシュプレにお花も贈りたい。マト、サミに手配を頼んでもらえる?」
「それはいい考えだ。構わない」
わたしは机からお気に入りの便箋を取り出した。心配してくれてありがとう、大好きだよ、もお姉ちゃんには記し、シュプレにはわたし達の友情がこれからも続くこと願っている、お互いに頑張ろうね、と書いた。
テーブルでは、部屋の間取り図、現状の写真をマトが広げている。手紙を書き終えたわたしもそれらを見るけれど、図面だけでは部屋の雰囲気を想像しにくい。
「……よくわかんない」
「サモチ様の寮なんだしぃ、それなりの広さはあるんじゃなぁい?」
一方、マトは図面だけでもわかっているらしい。
「間取りはこのまま変えなくても良さそうだ。ここがクオラの部屋でここがリビング、ここが俺の部屋でここは納戸。台所がこっちで、風呂はこっちだ」
言いながら、マトは図面を指でトン、トン、と押さえていく。
「俺の部屋は俺の趣味にさせてもらう。ヘリヤ、いいよな?」
「あたしが使うときはあたし風に作り替えるから、へーき」
台所、と聞いてわたしはわくわくしてきた。
「キシガの寮って、自炊なの?」
「いや、食堂がある。基本はサバクが食堂から部屋まで食事を運ぶ形だな。自炊できないことも無いが、あまり自炊するやつはいない」
「マト、わたし、お料理してみたい」
キッチン設備のカタログを探し始めたわたしに、マトがカタログを取って渡してくれる。何をどう使うのかわからない機器がたくさんのカタログがキラキラして見える。胸がときめく。
「料理、出来んのか?」
「たぶん」
たぶん、本を見たりすれば、自分でも出来るのではないかと期待している。
コンロは、二つのが主流なのだろうか。三つのもののほうがなんだかカッコいい。ガス式とIH式なら、『お手入れ簡単』と書いてあるIH式のほうがよいのだろうか。火力、というのはやっぱり大きいほうが良いに決まっている。グリルというものは小物入れなのだろうか? いや違う、この写真では魚が入っているから、魚の保管場所なのだろう。
オーブンに、レンジ、食器棚。統一した色合いにするなら、部屋のインテリアとの兼ね合いも考えなくてはならないだろう。
「ねぇ、クオラ。お料理、したことある?」
「ううん」
この大きめの物入れは何だろう。ページを捲れば、野菜や卵、飲み物を入れている写真に行き当たる。
「包丁は」
「触ったこともないよ」
わかった。『冷蔵庫』だ。冷蔵庫なら知っている。自宅の調理室にあったものは銀色でもっと大きく、ペンギンさんのマークが入っているものだった。このように小さな物があるとは知らなかった。クオラとマトの二人暮らしになるのであれば、きっとこの大きさで十分なのだろう。
「あー、クオラ。台所のことは、俺に任せろ」
カタログの上に、大きな手が乗ってきて、冷蔵庫のスペックを確認し始めたわたしの邪魔をする。わたしは犯人のマトを睨んだ。悔しいことに、顔がいい。
「……コンロは、三つのにしてくれる?」
「ああ」
「ここにお魚を入れるやつがついているやつ」
「もちろん」
「こういう風に引き出しを開くとお皿とか鍋が入っているのも、つけてくれる?」
「冷蔵庫もちゃんと置いてくれる?」
ふ、とマトが柔らかく微笑んだ。
「それがあなたの願いなら」
びっくりするほど顔がいい。黒曜石のような瞳が美しい。
「……じゃあ、台所はマトにお願いする」
リビングの家具と壁紙は、ヘリヤが譲らなかった。クリーム色がベースで小花柄の壁紙に、オレンジ色っぽい木のテーブル、合わせた椅子、ソファーセット。ヘリヤとマトによってどんどん決められていく。
わたしの部屋は、ふかふかじゅうたんと、ペンギン柄の壁紙だけは譲れない。ベッドと布団は家で使っているものと同じもの、カーテンは青と緑のグラデーションのものを選ぶ。
納戸には、棚をいくつか入れておくことになった。
途中に昼食を挟んだけれど、ここまで決めたところで日が暮れてしまった。もう、こんな時間だ。
今はマトがカトラリーのカタログをものすごい早さでめくっている。
わたしはヘリヤに手伝って貰いながら、入学書類を仕上げているところだ。わたしの膝の上には小さなペンギンさんが設置されていて、向こうから大きなペンギンさんがよちよちと飲み物を運んで来てくれている。
他にもペンギンさんが寮の部屋の希望をまとめる書類を書いていたり、マトが散らかすカタログを片付けるペンギンさんがいたり、この部屋はペンギンさんに溢れている。
「終わったぁ」
わたしは伸びをして、息を吐いた。進路の希望は特になにも考えていなかったので、お父さんの部署を書いておいた。
あと、残すは、素材の採取と、制服の採寸だ。せっかくのリゾートなのだし、遊べる時間が確保できそうで頬がゆるむ。どうせなら、エクェィリと遊べないだろうか。ヨウシアやコスフィがいたら、もっと楽しいに違いない。マトは部屋から出ることを許してくれるだろうか。
シュプレがいてくれたら、きっともっと楽しかったろうに。自分はマトを利用してここに来ることができた。本来なら自分もシシガの寮にいたのだと、シュプレに対して申し訳なく、後ろめたいような気がした。
お風呂に入って、就寝する。わたしが布団でもぞもぞしていると、マトが風呂に入る水音が聞こえてきた。人間と同じように入浴したりもするんだな、と考えながら、わたしは腕の中のペンギンさんに頬擦りをする。
「アー」
ペンギンさんがもぞもぞと動いて、魔力を吸いとられる感じがした。なぜか、幸せな気分がわたしを満たしていく。ペンギンさんは偉大である。そのままわたしは気持ちのよい眠りに落ちていった。
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