6.ペンギンさんて落ち着きます
「あたしはヘリヤ。鳥のメージャなんだ」
こんなにすぐ、ヘリヤにまた会えるだなんて、全く思っていなかった。驚いてわたしは固まってしまったけれど、その間、ヘリヤは小さな鏡ごしに、マトを睨んでいた。
「マト、クオラに変なことしてないでしょうねぇ?」
「するかよ。……あー、記憶は少し、見させてもらった」
マトは、ヘリヤの迫力に対して、たじろいだようだった。座ったばかりだというのに、ソファから立ち上がる。
「ヘリヤ、俺はちょっと周りを見てくる。結界は置いてくが、しばらくここを任せられるか?」
「誰に聞いてんだか」
任せろと言ってくれるヘリヤの声の温度が、なんとも頼もしい。
「クオラ、部屋を出るなよ」
念押しするように言って、部屋を出ていこうとするマトに、わたしは大事なことをひとつ、確認しなければいけない。
「……マト、ペンギンさんは?」
話が終われば、ペンギンさんを出してくれるはずではなかったのか。そういう話だと思っていたのに。わたしはじっとマトを見上げる。見上げた顔はやっぱりとてもとてもとっても整ってキラキラ輝いているけれど、そんなことより大切なのは、ペンギンさんだ。
「……変なことはするなよ」
わたしの情熱が伝わったようで、なによりである。マトの背後からそんなに大きくないペンギンさんが、ぽてぽてと歩いてくる。わたしは早速ペンギンさんをよいせっと持ち上げて、すぐ隣に設置した。
「アー……」
かわいい。やっぱりペンギンさんはかわいい。
「……行ってくる」
ペンギンさんさえいてくれるのなら、何も問題ない。少しの時間、大人しく留守番することをわたしは快く了承した。
「クオラ、今のうちにお昼、食べちゃいなよ」
ヘリヤが指差したところにはワゴンがあって、食事が用意されていた。サンドイッチに、唐揚げ、小さなサラダだ。時間的には遅めの昼食をいただくことにする。まずはお皿からラップを外す。
「ごめんね、見てる前なのに」
「別にぃ。気にしないで」
わたしだけが食べるのがちょっと申し訳ないのと、じっと見られながら食べるのは気まずい。
でも、鏡の向こうのヘリヤにお料理は差し出せない。ペンギンさんにサンドイッチと唐揚げを差し出したら、やっぱりお魚以外はいらないみたいで、ふいっとそっぽを向いてしまった。
「人間の食品も食べられないことはないけど、嗜好品でしかないんだよねぇ、そういうの」
「え?そうなの?」
だって、サミはソディアといつも普通に食事を取っていた。イルヤナとベルサは普段、一緒に食卓にはつかないけれど、何かを食べている様子を見たことが何回かある。
「メージャなんてぇ、そんなもんよ」
サラダのドレッシングはどこだろう。と、探していて、明日の朝食と、昼食のリクエスト用紙があるのを見つけた。Aセット、Bセット、Cは必要なし、となっている。この食事を下げてもらう時に、一緒に出せばいいみたいだ。わたしは用紙に『二人分必要』と書いて、Aセットに丸をつけておいた。
ヘリヤはどうも、わたしが設置したペンギンさんを見ている。ペンギンさんはとてもおとなしい。まだなついてくれていないから、こちらをなかなか向いてくれない。そんなところもかわいい。ペンギンさんはかわいい。
「クオラは、ペンギンがそんなに好きなの?」
うん、とわたしはうなずく。
「もともとはお父さんが好きだったみたいで、ペンギンさんの銅像を家の中に建てちゃったの。それがきっかけかな?」
「へぇ……」
ここにある料理は一人前だ。マトがあとで食べたがったらどうしよう、と考えて、わたしは半分ずつ食べていく。
「食欲、あんまりないの?」
「……そういうわけじゃないけど」
「アー」
ごちそうさま、と残した分にラップを戻していたら、ヘリヤが心配そうに聞いてくる。ペンギンさんもじっとわたしを見上げている。
「マトの分、いるかなって」
ヘリヤは目をまたたいていた。ペンギンさんも、首をかしげている。
「え? いらなくない?」
「アー」
ヘリヤはそんなにマトに気を使うなと言ってくるし、ペンギンさんもぴょん、とソファから降りて、ぐいぐい台を押してくる。朝ごはんもそんなに食べていなかったし、マトには悪いけど、わたしは残りも食べることにした。
「マトってきっと、お金持ってないよね? お腹空いたらどうするんだろう」
部屋に戻ってくるなら、それから買ってくるとか、頼むとかすればいいんだろうけど、ちょっとだけ心配になってくる。
「マトなら、しばらく食事なんていらないんじゃない? 今日は荒れる日だしねぇ」
冷めていても唐揚げは味がしっかり染みている。柔らかいけどちょっと脂っこい。サンドイッチは卵と、ハムのもので二種類。これはとても美味しかった。
「荒れる?」
「若くて愚かなメージャは、サバクの主人を食べちゃうからねぇ」
「え」
とっさにわたしは胸の前で手を握る。ヘリヤは心配いらないよ、とパタパタ手を振って笑った。
「普通のサバクはそんなことしないよ」
でも、マトは、サバクでもなんでもないただのメージャだ。
「賢いサバクは主人を守る。愚かなサバクは主人を食べて、ついでに周囲の人間やサバクも襲おうとするんだよ。マトは今、それを警戒しに行ってるんじゃないかなぁ」
「アー」
わたしが不安がっているのが伝わったのか、ペンギンさんが鳴いた。それからわたしの足の上にドスンと腹這いに乗ってくる。
重い。かわいい。
「かわいい……ついにペンギンさんがなついてきてくれた……かわいい……」
思わずわたしはペンギンさんを抱きしめる。かわいい。
「アー……」
ペンギンさんはやっぱり落ち着く。かわいい。こんなにかわいいペンギンさんを差し出してくれたマトを今は、信じてみよう。
「確かに、先輩方がウケイレの時、下級生は自宅待機で、その頃はイルヤナもベルサもサミも、なんかピリピリしてた」
「うん。だから、愚かなサバク対策で、集団でウケイレをさせるんだよねぇ。あとはこうやって、しばらく新顔のサバクと主人を隔離することにしてるみたいだけど。バカだよねぇ。いっくらそうやって固めといたって、愚かなメージャなら、もっと狩りやすいほうに行くに決まってんじゃん」
「……ヘリヤ、顔が怖い」
「ごめん、ごめぇん。でもね、クオラ。あたしはあなたを大事にするし、きっと、マトも大事に守ってくれるよ」
「アー」
「うん」
この部屋には今、マトが張った結界があって、ヘリヤも少しなら力を振るえる状態にあるらしい。
ペンギンさんと遊んで、部屋に置いてあった資料に目を通すことで午後は過ごした。
サモチ専用のリゾート地として作られているだけあって、ここには分散するように宿泊施設が数ヶ所あるらしい。レストラン、プールにビーチ、映画館にプラネタリウム、コンビニ、水族館、図書館と施設も充実している。でも、今はキシガの新入生で貸し切りになっている。こんないい時期に一般客が立ち入れないなんて、商売としてはどうなんだろう。
各施設の使用料や、ちょっとしたお買い物はホテルのカードキーでするようだ。出ていく時に一括精算することになる。けど、補助金が出ているそうで、滞在費は無料だし、書いてある施設の使用料もかなり安い。わたしのおこづかいの範囲内でも、かなりの豪遊ができそうだ。でもやっぱり、それって商売としてはどうなんだろう。
ここにいる間に決めないといけないことは、今後の進路の希望、寮のお部屋の内装をどうするかと、制服の手配。キシガの授業で使うことになる素材の採取もしなければいけないし、……あれ? 遊んでいる暇、あるのかな?
他にやることはキシガの入学資料の記入。わたしなんて、サバクを得てすぐにここに来ているから、入学手続きを一切できていない。
暗くなってきても、マトは帰って来なかった。
夕食は勝手に部屋に届いた。ヘリヤがすごく警戒してくれて、料理の受け取りはペンギンさんがしてくれた。メージャの襲撃なんてなかった。
シャワーを浴びて、ベッドに潜る。この部屋はありがちなツインのベッドルームだから、マトが帰ってきたらすぐにわかるはずだ。
暗くなってきて、なんだかとても静かで、ヘリヤは鏡越しで、ペンギンさんはずっといてくれるけど、あたしはこの部屋にひとりだ。
昼間寝たせいか、眠気もなかなかやってこない。
シュプレは、今ごろ何をしているんだろう。わたしはマトが来てくれて、来年には正式なサバクになれるっていうけど、シュプレはどうなんだろう。
シュプレだって、サバクになれていたはずだと思う。
シュプレに会ったら、何て言おう。
マトのこと、何て言おう。わたしのサバクとして紹介するの? 嘘をつくの? シュプレに?
でも、メージャを利用しているなんて、とても言いにくい。
シュプレはともかく、他の人たちに知られたら、わたし、どうなってしまうんだろう。
なんでマト、まだ帰ってこないんだろう。
「……クオラ、寝られないの?」
「アー」
ヘリヤの鏡を持ったペンギンさんが、ぽてぽてとわたしのところまでやって来て、鏡を枕元に置いてくれる。
「なんか、いろいろ考えちゃって」
「……そのペンギン、抱いて寝る?」
「ア?」
ヘリヤの提案に、わたしはじっとペンギンさんを見た。体長はそこそこ大きいけど、コウテイペンギンさんみたいに大きくはない。
なかなかいい大きさだと思えた。
「ペンギンさん、寝よ」
「ア? ゥアア?」
よっこいしょ、とペンギンさんを持ち上げて、抱きしめる。
「アー」
「クオラのためだよ、静かにしなよぉ」
ペンギンさんは本物のペンギンさんと違って、いいにおいがして暖かかった。
夜中、マトが帰って来た気配があったけど、わたしはもう眠たくて、なんと言われて自分がそれになんて返したのか、よくわからない。
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