5.振り返るとそこにペンギンさん
「どうぞ私のことはマト、とお呼びください」
「クオラ、です」
微笑みを浮かべて見下ろしてくるこの男性は、どこからどう見ても、ただの人間の男性にしか見えない。というか、かなりのイケメンだ。しかも、わたしが普段目にするようなサバクたちとは違うタイプのイケメンだ。
マトの容姿は、サミ、イルヤナ、ベルサなどに共通する、どこか冷たく人を拒絶するような、作り物めいた美しさではない。
つまり、ヨウシアやコスフィと同種の、人らしい、もしかすれば自分を受け入れてくれるのでは? と期待を抱かせるだけの温度を感じさせる美青年だ。
細身という程細くはないが、がっしりしているようにも見えない。要するに、理想的な普通体型。言い換えるならばスラリとしていて均整のとれた身体。
やけに整った、甘い顔。キラキラと輝く黒曜石の瞳。
黒く長い髪は、後ろでひとつに束ねられている。
「ええ、存じております」
低く甘い声は、耳に心地よい。
けれど、彼の口調は先ほどとは明らかに違う。態度もなんとなく、先ほどまでとは違うようだ。
一旦、視線をずらしてわたしはジャリジャリしている地面を見た。それから、よく晴れた青空を見る。抜けるような空にはところどころ、うっすらと雲があるけれど、綺麗な青空だ。
「……? 何か、ありましたか?」
「ううん。なんでもない」
深呼吸して、正面に立つ青年、マトをもう一度見る。
やはり、キラキラとした笑顔のイケメンがそこにいた。
先ほどまでの、口の悪い男はどこに行ってしまったのだろう。ああいう態度なら、なんとなく親しみやすさが先にたっただろうに。
「では、参りましょうか」
わたしは激しく戸惑いつつも、差し出されたマトの手を取る。マトは当たり前のような顔をして、わたしの手を引いて歩き出した。どうやらマトは、バスに向かっているらしい。
「え、と、マトさん」
「マト、と」
間違えるな、と念押しされたような気がした。口元は微笑んでいるが、目があまり笑っているように見えない。顔が整い過ぎていると、こうまで迫力があるものか。わたしは胸の前で繋がれていないほうの手を小さく握った。イケメンの圧に負けたりなんか、しない。
「クオラっ!」
校庭を出て、歩道のようになっている辺りで、ソディアが駆け寄ってくる。マトはいきなり駆け寄ってきたソディアを警戒したようだった。しかし、ソディアはサミによってぐいっと腕を引かれ、かなり離れた距離で立ち止まる。
「クオラ……サバクを得られた、の……?」
うん、とうなずくと、ソディアは顔をくしゃっとさせて、笑ってくれた。
「……そうなのね」
普段と少し違う態度のソディアに、わたしはマトを見上げた。もしも、ソディアに何かがおかしい、と感づかれていたらどうしよう。
マトは少しだけ目をすがめたけれど、すぐに、にこやかに笑んで腰を折る。
「マトと申します」
何かを言いかけたソディアの前に、サミが一歩前に出た。サミとマトを見比べられる状況になって、わたしはマトのどこにも、一目でメージャらしいとわかる特徴が見当たらないことに気がついた。
「マト、私はサミだ。これからしばらく仲の良い姉妹が会えなくなってしまうんだ。ソディアとクオラが少しの時間、話をしてもいいだろうか」
なぜ、わざわざマトに対してそんな質問をされるかわからない。
サミがとてもマトを警戒している。メージャ同士だと、もしかしてサバク契約があるかどうか、わかってしまうのだろうか?
「バスに乗らなくてはなりませんので、少々でしたら」
サミがソディアの前から退いて、ソディアはわたしをきつく抱き締めてきた。
「クオラ、あなたってば、本当にサバクを得たのね」
「お姉ちゃん、痛いって」
それでもソディアはわたしから離れようとしてくれない。
「これからしばらく、クオラがうちに帰ってこられないなんて……ねぇ、マト。お願いよ、クオラをよろしく。何かあったら、わたしに報告してちょうだい。絶対、クオラの味方になるから」
「かしこまりました。……クオラ様、そろそろ参りましょう」
「気をつけて。マトは強そうだから、絶対側にいなさいね?」
「わかったから、お姉ちゃん、痛いって」
なかなか離れてくれないソディアとなんとか別れ、運転手が車から出してくれていた荷物を、学校の職員に預けた。それからわたしはマトに先導されながら、バスに乗る。
「……わぁ」
バスは、独特なつくりで、小さな個室がたくさんあるようなものだった。
「……チッ」
通路を歩いていたら、いきなりマトが舌打ちした。
「え? なに?」
「なんでもございません」
それぞれに誰が乗っているのか、わからない。けれど、個室によってガタガタと騒がしくしていたり、内容まではわからないけれど、会話が弾んだりしているようだ。
「クオラ様、こちらへどうぞ」
わたしを先に座らせたマトは個室を区切る戸を閉め、すぐに何かの術を行使していた。
ドサッと勢いよく、マトが隣に座る。個室風になってはいるけど、座席は二つしかないから、当然だろう。
「施錠と、防音をかけた」
さっきまでの素敵執事っぷりはどうしたのか、と聞きたくなった。
やがて、バスは動きだす。座席には飲み物のペットボトルが数本、ナッツとクラッカーが用意されていた。
ぽぉん、と音がして、車内放送が流れる。防音されていても、外の音は聞こえるらしい。
『サバクを得られ、サモチになられたキシガ新入生の皆さま、誠におめでとうございます。当バスはこれより、サモチ専用リゾートへと向かいます。移動時間はおよそ三時間でございます。バスないにはお手洗いもございますので、ごゆっくりお過ごしくださいませ』
同じようにぽぉん、と間延びした音で放送は止んだ。
「……だそうだ。さて、クオラ。とりあえず、今すぐ俺たちはやらなきゃならないことがある」
大切な話らしいと、わたしは姿勢を正す。
「サバクと主人の間には、見えない鎖がある。俺たちにはそれがない」
「そうだね」
わたしはうなずいた。わたしはマトを地上に引き上げたけれど、それだけだ。
「それが大問題だ。大至急、その辺をなんとかしていかないといけない」
「うん」
「まずは、情報。主人の知識の一部を、サバクは鎖から得る。それで上手いこと、主人の生活をサポートできるようになるんだ。ところが俺たちにはそれがない。さっきはとまたましのげたが、このままじゃすぐに、ボロが出る」
「うん」
確かに、わたしはサミから『あなたはどなたでしょう』だなんて聞かれたことがない。家の中の物の場所も、サミは最初から知っている風だった。あれは、そういうことだったのか。
「だから、ちっと、しんどいとは思うが、この移動の間にアンタの記憶を見させて貰うぞ。到着したとき、アンタの知人に怪しまれないためには必要だ」
「わかった。……で、それはどうするの?」
「アンタは……そうだな、ここに頭でも載せとけ。そんで楽にして、目でもつむってろ」
マトは自分の膝をポンと叩いた。
「膝枕」
「ああ、そうだ」
何を言っているのか、とわたしは眉をひそめてしまう。
「何か、問題あるか?」
会ったばかりの男性、しかもびっくりする程の顔がいい男性の膝に頭を預けるなんて、ハードルが高い。高すぎる。
「じゃあ、こっちに体を向けて、目を閉じてろ」
マトはため息を吐いていたけれど、他にもやり方、あったじゃないか、とわたしは思う。
言われたように、目を閉じた。
マトの片手が、わたしの後頭部に触れる。
ずぶり、と何かがわたしの中に入ってきた。
「……っ!」
「防音はしてある。悲鳴をあげたきゃ、あげてもいいぞ」
びくりと体が逃げようとする。マトのしっかりした腕が背中に回され、それを押さえ込まれる。顔はマトの胸に押し当てられているんだろう。
ずぶずぶと、何かがわたしの中に入ってくる。
脳を撫でられたような、心臓にそっと触れられたような、背骨を何かに、這いずられるような、奇妙な感覚だ。満たされていくようで、何かが奪われているのかもしれない。痛いような、心地よいような、苦しいような、どうにも表現できない。わたしの中を何かがうねっている。
「ほら、力を抜け」
耳元で囁かれる声は、艶やかで優しい。
ぞわぞわする。苦しい。でも、暖かい。わたしはしがみついて、耐えることしかできなさそうだ。
たぶん、時間はそう長くかからなかったのだと思う。けれど、体感としては数時間、戦っていたような気になる。
「終わったぞ」
ぞぷり、と何かが引き抜かれれていく感覚は、二度と味わいたくない、嫌な感触だった。
「……まぁ……よく、頑張ったな。……その、あー、とりあえず、疲れただろ。少し、寝とけ」
息が乱れているのを整えながら、わたしは顔をあげた。……顔がいい。
違う。間違えた。マトの顔がやたらと近い。
いつの間にか、わたしはがっしりとマトに抱きついていたみたいだ。顔が熱い。きっと、わたしは耳まで赤くなっているに違いない。いや、だって、これはちょっと、密着しすぎている。
急いでわたしはマトから離れた。愉快そうに見下ろしてきたマトの表情が気に入らない。
「ね、寝とけっていきなり言われてもっ」
「まぁ、寝とけって。ウケイレの時に魔力もだいぶ使ったんだろうし、情報さえあればあとのことは、着いてからでも間に合うだろ」
マトがすっ、と不思議な手つきをした。わたしはそれで術をかけられたんだと思う。
「おい、そろそろ起きろ」
「……んあ?」
年頃の女子として、目が覚めてまずすることと言えば、ヨダレを垂らしていないかのチェックだ。口元に手をやったわたしを、マトが、笑って見ていた。
バスの行き先はリゾート地的な島で、そこでゆっくりサバクとの距離を作っていくものらしい。期間はぴったり四週間。
その間にも、やることはいろいろあるようだが。
バスを降りた生徒はかなり少なかった。名前のわかる者はいても、会話をするほどの知人や友人の姿は一人もいない。それ以前に、出発前に数台あったバスが、ここには一台しか停まっていない。
「ウケイレ直後は荒れますから」
バスの個室を出た直後から、マトは執事モードになっているらしかった。
「荒れる、って?」
「お部屋でお話いたしましょう」
そう、妙に圧のある笑顔で言われてしまえばもう、何も聞けなくなってしまう。もしかして『素敵執事モード』は無理がある設定なんじゃないの? 今なら『素敵執事モード』は無かったことにできるよ? あとで恥ずかしいって頭抱えずに済むよ? などとわたしは心の中で呟きつつ、ホテルのフロントで手続きをし、指定された部屋に入る。
「わぁ!」
見事な、オーシャンビューの部屋だった。当然、わたしは窓辺に駆け寄る。そこには小さなテラスがあった。
「あー、おい、クオラ。はしゃいでないで、こっち来い。まだやることは沢山あるんだぞ」
「だって、マト、最初はお部屋のチェッ」
振り返ると、そこにはペンギンさんがいた。
「!!!!!?」
上着を脱いだマトが、脱いだ上着を一体のペンギンに渡しているところだった。ペンギンはよちよちとマトの上着を持って歩いていく。
入れ替わるようにして別のペンギンがやってきて、書類かなにかをソファセットのところのテーブルに広げている。それだけではない。何をどうやっているのか、ペンギンさんとペンギンさんとペンギンさんが、荷物を運んだり、片付けたりしている。
なんだろう、ここは、天国?
感極まった。
書類を並べているペンギンさんに飛び付きたい。いや、その前に、わたしだって淑女のはしくれ。一応理性を総動員させた。
「マト、このペンギンさんは!?」
「俺の手足だ」
ペンギンさんがどうやっているのかわからないけれど、二人ぶんの飲み物を置いてくれている。
「抱きついても安全?」
「あ? ああ。安全だろうな」
理性は、決壊した。
「かわいい!ペンギンさんかわいい!硬い!固い!むちむち!かわいい!」
アーーー、と少し間の抜けた声がまた、たまらなくかわいい。
「かわいい!ペンギンさんかわいい!ペンギンさんかわいい!」
「あー、クオラ、その、なんだ、とにかくだ、落ち着け?」
「かわいい!ペンギンさんかわいい!」
「だから、落ち着け!」
ぱ。と、ペンギンは消えてしまった。ガタンと荷物が床に落ち、バサッと書類が散らばった。
「いいか、クオラ。話をしよう。ペンギンさんは、それからだ」
「ペンギンさん!」
なんと、マトは顔がいいだけじゃなく、ペンギンさんを出し入れできるようだ。わたしはソファに座り、気をつけの姿勢をした。憧れの、ペンギンさんとの触れ合いだ。真面目にやるしかない。動物園にいたペンギンと違い、今のペンギンさんは生臭くなかった。そこもかなりポイントが高い。
ふぅ、とマトが深いため息を吐く。
「っても、まぁ……さすがに俺も疲れた。細かい話は全部、明日からだ。とりあえず、今はコイツだな」
マトが片手を手品のようにくるりと動かすと、そこに鏡が現れる。
「クオラ!無事にそこまで着けたんだね!」
鏡の中には、あの、美しい女性がいた。
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