3.門柱にはペンギンさんの石像があります
家に着いたら、車寄せのところで使用人が出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
車のドアも、玄関の扉も、わたしは使用人に開けてもらう。座席に置いたままの通学カバンも、使用人が持ってくれる。わたしが荷物を運ぼうとすると、彼らが渋い顔をするのだから、仕方ない。
扉を入ると玄関ホールだ。自分の家のことだけれど、ホールがやたら広いといつも思ってる。どのくらい広いかというと、小規模なパーティーくらいであればここで開いてしまうこともできるくらいだ。けれど、大抵のパーティーの時、ここは来客についてきた使用人たちの待合所に使われている。
黒御影石の床板に、漆喰が塗られた白い壁。吹き抜けの天井からは、どこか葡萄を連想させるシャンデリアがぶら下がっていて、ホールの中央にはペンギンの銅像が建てられている。父親の趣味だ。
わたしは愛らしいペンギンの頭をひとなでして、正面にある、翼を広げたような形状の階段を登り、二階に上がっていく。階段は大理石で、手すりには魚が彫り込まれている。
「クオラお嬢様、制服はお預かりいたしますね。明日はクオラお嬢様の晴れの日ですから、綺麗にしておきませんと」
「ありがとう」
わたしの部屋の床は、一面ふかふかのじゅうたんだ。着替え終わったわたしから制服を受け取った使用人が出ていき、わたしは部屋でひとりきりになった。さっそく、わたしは裸足になる。
「てやっ!」
少し走って勢いをつけ、ジャンプでわたしはベッドに寝転んだ。夕食の時間まではもう少し時間があるというから、それまで少しくらいごろごろしても構わないだろう。
腕を伸ばして大きなペンギンのぬいぐるみを捕まえ、そのまま読みかけの本を開く。
「クオラお嬢様。お夕食のお時間でございます」
「はぁい」
しばらくたって、使用人が廊下から声をかけてくれた。漫画の中では、主人公が勢いよく三階の窓から表に飛び出ていくところだった。もし、わたしがそんな真似をしたら大怪我をしてしまうけれど、しょせん、そんなのは物語のこと。真似をしたいとは思わない。
幼い時に父に買ってもらったぬいぐるみを、丁寧にベッドに設置する。本には栞を挟んで、枕元にポンと軽く投げておき、さっと手櫛で髪を整え、軽く服の皺を伸ばす。
こういうときの為に、皺のつきにくい素材の服を愛用している。ぬかりはない。
部屋に置いてある姿見に、ちらりと何かの影が映ったような気がした。きっと、窓の外を鳥が飛んでいたのが映ったのだと思う。
「お帰りなさい、クオラ」
「お帰り、クオラ」
食堂に入ると、いつの間に帰っていたのだろう。テーブルにはもう、姉のソディアと、ソディアのサバクで婚約者でもあるサミが着席していた。
「ただいま。今日はずいぶん早いんだね」
わたしが使用人の引いてくれた椅子に座りながら言うと、ソディアはふふふ、と楽しそうに笑う。
「明日はクオラ、ウケイレでしょう? だから私たち、今朝から一週間の休みを取っていたのよ。そうすれば、少しはあなたと一緒にいられるでしょう?」
「一週間も必要なくない?」
確かに、今朝は珍しく、わたしが出かけるまで二人は家にいた。けれど、そんな話は知らなかった。知っていたら漫画など読まずにリビングにでも行っていた。帰ったときにも誰も教えてくれなかったのがなんだか、つまらないような気にさせられる。
「ソディアは本当にクオラが大好きだからね」
「ふふふ。いいじゃない、たまにはゆっくりしても」
「結婚の準備もしないといけないしね」
「ええ、そうね、……ええ、そうね」
そんなわたしはほったらかしで、愛し合う二人は熱く見つめ合っている。もう、その辺になってくるといつものことだ。わたしはカトラリーを手に取り、既に用意されていたおいしそうな料理を口に運ぶことにした。
「いただきます」
今日も両親は家にいない。けれど、やはり忙しい筈のソディアがわざわざ、わたしのために休暇を取ってくれた。姉の愛をうっとうしいと思うけれど、ありがたいことだし、ちょっと、うれしい。
食堂は落ち着いた赤色の壁紙と、木をふんだんに使った暖かみのある空間で、天井の照明のほか、装飾としていくつかのランプが光っている。
デザートまでを美味しくいただき、今度は食後の飲み物だ。
サミがわざわざ席を立ち、わたしのところまで飲み物を運んできてくれた。
ほとんど人間の男性と変わらないサミの手には、小さな水掻きがある。そして、皮膚には独特な模様。髪は白と赤色。彼は、アメフラシのメージャだ。
サミはティーセットをテーブルに置いたその姿勢のまま、片手を伸ばし、わたしの頬に触れてきた。ひんやりとして、少し、しっとりした手は、男性らしく大きい。そして、なぜかサミはわたしに顔を近づけてくる。
「少し早いけれど、クオラ、卒業おめでとう。君ならきっと、素敵な未来を手に入れられるよ」
芸術品のように美しく整った、メージャらしい顔が間近で微笑んでいる。
これは、ちょっと、その、あまりにも距離が近すぎる。勘弁して欲しい。助けを求めて見た先の婚約者である姉は、ただ笑っているだけだ。
「サミ」
「なんでしょう?」
宝石のような瞳にじっと覗き込まれ、どうしたら良いのかわからなくなる。
サミを男性として意識したことなどないのに、さすがに、これだけ美しい顔とここまで距離が近くなると、誰だって動揺する。だから、わたしの顔はきっと赤くなっていることだろう。わたしはサミの手をそっと外すように押し、退けた。
「サミ、近いよ。こういうことはどうぞ、お姉ちゃんとやって……」
「あら、クオラ。私はクオラなら、ぜんぜん構わないのよ?」
「もう、お姉ちゃん!」
何てことを言うんだ、という抗議は、サミの婚約者によって軽く流されてしまった。
どうにも納得がいかないけれど、満足そうに微笑んだサミは席に戻っていく。うふふとソディアがまた笑う。
そろそろ部屋に戻ろうかというとき、サミとは違う、二人のサバクが食堂にやってきた。
「ソディア様、クオラ様、こんばんは」
「こんばんは、イルヤナ、ベルサ」
この一週間、両親はまた仕事が忙しいようで、帰宅していない。そういう時は代わりに二人のサバクが毎日、家の様子を見に来てくれる。
「明日、ご主人様は卒業式の会場に直接向かわれるそうです。気を張らずに、リラックスしていけ、との伝言をクオラ様に向けて預かって参りました」
キリリとした立派な体つきをした、そして頭に丸い、ふさふさした耳のついた彼は、父、オスカリのサバクであるイルヤナだ。イルヤナはチーターのメージャだ。
「ページャ様は今日の深夜に帰宅される予定です。お二人と明日の朝食を一緒に取ることを、とても楽しみにしておられます。クオラ様は明日に備え、今夜はゆっくりお休みください」
優美な黒い翼に、髪に相当する部分も羽毛でできた彼女は、母、ページャのサバクであるツバメのメージャ、ベルサだ。
やはり彼らも忙しいのだと思う。ソディア、サミとわたしに少しだけ話しかけたくらいで、二人のサバクはそれぞれの主人の元へ帰っていった。
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