2.ペンギンさんは鳥類です

 こんな日でも、下級生たちには部活の放課後練習があるらしい。去年はどうだったかな、と脳内を探ってみる。

 ……そうだ、早帰りだったからシュプレとケーキの食べ放題に行っていたんだった、とわたしは見事記憶を引っ張りあげることに成功した。


 今年もあのホテルでは、夏のスイーツバイキングが開催されているのだろうか。今年も行きたかったけれど、もうスケジュールが厳しい。次の機会か、いっそのこと来年に期待しよう。


 校庭から聞こえる誰かが誰かに呼びかける声。

 ボールが何かに当たる音。

 距離があるせいで間のびしたように聞こえる、吹奏楽部が奏でる音楽。


 ほとんどの生徒が帰った、教室。


 まだ残されている時間割表に掲げられた校内目標。窓辺で揺れるクリーム色の薄っぺらいカーテンと、粗末な机に、時おりきしむ椅子。


 空っぽのロッカー、すっかり軽くなったバック、帰宅を促すかのような、傾いた日差し。


「ねぇ、クオラ。わたし、明日が不安で仕方がないんだけど」


 親友のシュプレがボソッと低い声で呟いた。


「明日、もし、万が一サモチに、なれなくても、ワモチの身分は、確約されているん、ですよ、ね?」


 やはり、緊張しているんだと思う。エクェィリの顔色は普段より一段階悪く見える。

 明日の話題が出るたびに、全力で目を逸らしまくっていた現実を突きつけられたような気になってくる。わたしは胸の前で拳をぎゅっと握って、なるべく明るい声で言った。


「大丈夫だよ、きっと。お姉ちゃんが言ってたけど、『ウケイレ』の前にも練習は何回かできるんだって」


 わたしに続けて、落ち着いた声で言ってくれたのはコスフィだ。


「うちの姉さんたちも言ってたけどさ、呪文の詠唱に失敗しちゃっても、やり直しはきくからそう、心配はいらないってさ。気楽にいこうよ、みんなが通る道だし、きっとなんとかなるって」

「そうだよ。そんなに心配いらないって。明日、メージャと契約できなければ王族から使用人以下にまで身分が変わることになる俺よりは、きっとみんなマシだって。きっと、家族がなんとかしてくれるって」


 わざとらしく、ふざけた様子で大げさにため息をついたヨウシアは、それからブルーグレーの澄んだ瞳でわたしたちを見回した。


「みんな、不安なら、ちょっとだけ詠唱の練習していかない?」


 自宅からの迎えを待つための待合室では、詠唱の練習は禁止されている。

 うなずいて、わたしもエクェィリもカバンを机の上に置いた。


「……そうね、ただ不安がってるより、その方が建設的よね」


 見事な金髪を片耳にかけつつ、シュプレもヨウシアに同意する。それからシュプレは片手をわたしに差し出してきた。もう一方の手は、既にエクェィリに向けて差し出されている。


「手、繋ご?」

「うん」


 シュプレの手は柔らかくて、温かいな、と関係ないことをふと思う。わたしの指はちょっと短めなのだけれど、シュプレのすらりとしなやかな指は彫像のもののように美しい。


「あ、いいな、俺も混ぜてよ」


 コスフィが自然な動きでエクェィリの片手を取る。もう一方の手はもうヨウシアと繋がれていた。ヨウシアとコスフィが手を繋げば、ちょっとした輪が出来上がる。


 すう、とエクェィリが息を吸い、綺麗な声での詠唱が開始された。他のみんなに合わせて、わたしも詠唱を重ねていく。


『ウケイレ』本番は、メージャと手を繋ぐことになる。右から聞こえる落ち着いた声と、左側から聞こえる澄んだ声。綺麗な詠唱が教室内に響き、繋いだ手からゆっくりと魔力が循環していく暖かな感覚がする。


 上手さではエクェィリに到底叶わないけど、これなら本番の詠唱は上手くできそうだ。魔力の流れも問題ないだろう。詠唱が深まるごとに、重くのし掛かる不安が軽くなっていくのを実感することができた。


「やっぱり、エクェィリの詠唱が一番綺麗だね」


 詠唱が最後まで紡がれ、ほう、と息を吐いてシュプレが褒める。褒められた当のエクェィリは、顔を真っ赤にしてうつむいてた。


「そんな、そんな、こと、ない……」

「そんな事あるって」

「うん、あるって」


 わたしたちは、ガタガタと椅子を引き寄せ、座っていく。


 明日はもう、卒業だ。

 話題はどんなサバクが欲しいか、というものになっていく。


「やっぱり小鳥はかわいいし、空を飛べるところが便利でいいと思う」


 ヨウシアが暮らす王宮では、ワモチではなく、サモチが使用人の役を担うことが多いらしい。ワモチやワナシとのやり取りをするとき、鳥のサバクは便利なようだ。

 

「でも、猫のサバクや、犬のサバク、も可愛いと思い、ます」

「猫のサバク! 素敵!」


 エクェィリの言葉に、シュプレが堪らないといった声をあげる。シュプレの猫好きは昔からで、持ち物には猫のチャームのついているものが多い。


「猿のサバクは何かと器用で便利だって、聞いたことがあるよ」


 コスフィは何かを思い出したみたいに、ヨウシアと似た色合いの瞳をきらめかせる。


「今、サバクで最強なのはゴリラのサバクだっていう噂があるんだ。でも、誰のサバクかはわからないんだって」

「……ペンギンさんとか、イルカさんのサバクっていないのかな?」


 わたしの疑問には、シュプレが応えてくれた。


「ペンギンさんのメージャも、記録にはあるみたい。お魚さんタイプのサバクはちょっと弱いって聞いたことがあるかも。でも、すごく愛情深くて主人を大事にしてくれるんだって」


 せっかくの親友の言葉だけど、わたしは突っ込まずにはいられない。


「シュプレ、イルカさんも、ペンギンさんも、お魚さんじゃないよ。鳥と哺乳類」

「……あうっ」


 シュプレの反応が面白くて、みんなで笑う。静かになったところでわたしは胸のつかえを吐き出してしまおうと、嫌な未来を口にすることにした。


「もしも明日、わたしが『ウケイレ』でメージャをサバクにできなかったら、だけど」


 このままパリキシガに居られればいいのに、と思ってしまう。サバクを得て大人になりたい。でも万が一『ウケイレ』に、失敗してしまったら?

 サモチばかりを輩出する家系で生まれ育ったわたしが、もし万が一ワモチになれと言われたら、やっていける自信がない。

 ワモチの彼らほど、わたしは勤勉でも、器用でもないのだから。


「そうなってもみんな、友達、でいてくれる?」

「当然でしょ!」

「当たり前」

「あの、はい、ありがとうございます。わたしもクオラさんと友達でいたい……です」


 みんなの言葉に、ちょっとほっとしたわたしの片手を、するりとヨウシアが取り上げた。真面目な顔で握りしめてくる。


「ワモチだろうと、たとえ何かが重大なトラブルがあってワナシになってしまったとしても、僕は、いや、僕たちはクオラと仲良しのままだよ。……というか、僕がもしもワモチになったらクオラ、僕を雇って。真面目に働くから」


 どうやらさすがのヨウシアも、未来への不安はあるらしい。

 わたしはヨウシアにうなずいた。


「あ、俺も。俺もよろしく、もしものときは雇って」


 コスフィがヨウシアの手の上に片手をポン、と乗せる。


「じゃぁ、わたしもよろしく!」


 シュプレも笑顔で片手を乗せ、エクェィリを促す。


「あの……ふつつかもの、ですが……」

「エクェィリ、なんか違わない? その言い方、もしかしてエクェィリはクオラのお嫁さんになるの?」

「え、待って、エクェィリはわたしのお婿さんになってくれるんじゃないの?」


 エクェィリがおずおずと手を乗せたところで、コスフィとシュプレがまたふざけはじめる。ふと、愉快なイタズラを閃いたわたしは、みんなの手が乗ったままの手を、そっと机の上に移動させた。


 ばっ!


 と手を引き、一番上に勢いよく手を乗せようとする。


 びたん!!


「……ったぁ……っ!」


 一番下から素早く手を引き抜き、一番上に乗せてみる、という思いつきは、わたしよりもよほど反応速度に優れた友人たちがサッと手を引くことで阻止されてしまった。


 空しく机を叩いただけの手がじんじんと痛い。


 そこに、パタパタと小鳥が飛んでくる。小鳥はエクェィリに向かって丁寧に話しかけた。


「エクェィリお嬢様、お迎えに上がりました」

「……はい。今、行きます」


 エクェィリはカバンを手に取り、椅子を戻してみんなに声をかける。


「また、明日、ね」

「またね」

「一緒にキシガに行こうね!」


 エクェィリも帰り、教室にはもう、わたしたち以外に生徒は残っていなかった。


「もう、明日なんだね」


 明日はゆっくり見ていられないだろう。わたしは教室内をまた、見回した。


「パリキシガの三年て、あっという間だったね」


 シュプレも教室を眺めているみたいだった。


「キシガでも、同じクラスになれたらいいのに」


 プヌマルバヤから一緒だったのに、誰かが欠けたりしたら、まして自分だけが違う学校に行くなんて、そんなことになったらさみしい。


「その辺りは、どうなるんだろう。やはりキシガでも組分けは成績順なのかな?」

「どうだろう。それなら一緒の組になる可能性は高いかもしれない」


 わたしたちは、互いに勉強を教え合う形で努力を重ねてきたつもりだ。パリキシガの三年間だって、常に成績上位者の席を独占してきていた。これからだって、努力を惜しむつもりはない。


 さすがにそろそろ待合室に向かおうか、となった辺りで、廊下からまだ残っていたわたしたちに声がかけられた。


「まぁ! ヨウシア様に、コスフィ様、クオラ様、シュプレ様! まだ校内にいらしたのね!?」


 うれしい、と言いながら、隣のクラスのヘイプが教室の中までやってくる。友人なのだろう数人がヘイプと一緒にいた。


「ちょっと、明日の練習をしていたんだ。僕たちももう、帰るところだよ」

「まぁ、さすがに成績優秀者の方々はわたくしたちとは違うのね、尊敬いたします。わたくしもお友達も明日が不安ですの。どうにも落ちつかなくて不安で何も手につきそうにないんですのよ。でもさすが皆さまはわたくしたちとは違いますのね、練習するだけの余裕がおありだなんて、さすがですわ。さすがですわ」


 ヨウシアの何倍も語りだしたヘイプに、コスフィは首を傾げていた。


「そう? 不安に感じてるんでしょ? なら当然のことじゃない? 不安の種は潰しておかないと。じゃ、俺たち帰るから」


 もう話は終わり、と主張するようにヨウシアとコスフィが席を立つ。わたしもカバンを手に取った。チャリ、とペンギンのキーホルダーについていた鈴が小さく音を立てる。


「それにしても、クオラ様の『鎖』は本当に素晴らしいですわ」


 教室を出かけた背後から、そんな声が聞こえた。


「触らないでよね」

「ええ、当然です」


 シュプレが振り返り忠告してくれる。ヘイプの笑顔になんだか少し、わたしも不安な気持ちになった。


 教室には、施錠された透明な箱がずらりと並んでいる。サバクと契約をする『鎖縛の儀』、つまり『ウケイレ』の時に使われるもので、わたしの鎖は誰のものより長いのが自慢だ。鮮やかな虹色に光って見えると、クラスメイトたちからはいつも褒められていた。


「……さようなら、ヘイプさん」

「ええ、さようなら、皆さん」


 鍵は生徒が各自で保管しているし、教師の術があるので箱は教室より持ち出すことができないはずだ。おそらく本当に、ヘイプはちょっと見に来ただけなのだろう。


 他愛ない話をしながら廊下を歩き、待合室に向かう。明日の卒業式で来賓に見せるためか、廊下には賞状の写しや、トロフィーの写真が飾られていた。そこのほとんどが知った名前だ。わたしのものもいくつかあるのが誇らしい。


 待合室は誘拐などが心配される高官や、富裕層の子供向けに使われている場所で、王族用のものは別にある。ヨウシアの友達特権というか、わたしたちが向かったのは当然、王族用の待合室だ。


 そこなら、他の生徒は誰もいない。

 扉を閉めるとつい、ため息が漏れた。


「彼女にも困ったものだね」


 ヨウシアが、ポツリと呟く。


「あれじゃ、褒めてるんじゃなく、嫌みを言われてるのかしらって気になるじゃない」


 シュプレは椅子に座り、猫のチャームがついたカバンを雑にテーブルに乗せていた。バッグをごそごそといじり、中から小さな包みに入った飴を取り出すと、配ってくれる。


 王族用とはいえ、ただの生徒のための部屋だ。さほど高級感の漂う部屋ではない。

 わたしもバックに入れていた個包装の焼き菓子を取り出し、三人に手渡した。


「帰りたくないな……」

「何? 寂しくなっちゃった?」


 しばらく経って、遠くを見るような目をしたヨウシアに、コスフィがからかうようような口調で言った。


「母さんが、張り切ってるらしいんだ。今夜から二晩は続けて豪華な晩餐にするって」

「うっ……」

「わーーーーぉ……」

「ウーリナ様ったら…………」


 ポン、とコスフィはうなだれたヨウシアの肩を叩く。


「……絶対に明日は整腸剤飲んでこいよ、ヨウシア」

「ポテトとバーガーとか、せめて丼ものとかにして欲しかった」

「ヨウシアも大変だね」

「王様になったら晩餐とか、増えるんじゃないの?」


 高級品がひたすら合わないヨウシアの体質については、誰もが苦笑いを浮かべるしかない。シュプレもうなずく。


「豪華な食事続きなお仕事でしょ、国王って」

「……サモチになれたら、段々慣らしていくことにする。クオラ、シュプレ、レストランに行くときは付き合って」

「うん。サモチになれたらね」

「うん。みんながサモチになってたらね」

「待って俺は? 俺は誘ってくれないのかよヨウシア」

「お前は勝手についてくるだろ」


 そうだと笑いあったところで、わたしは家の使用人が待合室に現れたので、帰ることになった。

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