鎖縛契約に失敗したら、変わりにイケメンがやってきた。ペンギンさんはどこですか?

ササガミ

1.影の国にペンギンさんはいますか

 天からは時々、鎖が降ってくる。


 ここの空はいつでも墨を流しているようだ、とマトは天からぶら下がってくる鎖を見上げてぼんやり思う。


 この辺りであちらこちらに生えている樹木の幹は、モリブデンやタングステンやマンガンというものでできているらしい。そう、前に教えてもらった。上質な艶のあるやつは黒曜石じゃないだろうか、とマトは近ごろ考えている。


 しゃらしゃらと鳴る木の葉はたいてい、雲母だ。たまにプラチナや、銀も混じっているような気もしている。


 きぃん、かぁんと硬い音をたて、足元で揺れる、色の濃淡だけがわかる草花は、ほとんどのものが水晶やアクアマリンの結晶だ。


 こう、ここまで光に乏しく、なにもかもが白黒ばかりでできた世界では、それらの判別などどうにもこうにも難しいのだが。


 すい、と空から光が差し込んでくる。めったに見られないそれを、マトの周囲に集まっていたモノたちが食い入るように見上げている。彼らの視線の先では黒い空にたくさんの小さな穴が次々に開いていく。細い、細い、綺麗な虹色の鎖が、するすると垂れてくる。


 あちらがわは今日、よく晴れているらしい。


 垂れる鎖の数は一本や二本ではきかない。数十という数が空から垂らされ、ちらり、とやけに鮮やかな、あちらがわの空の青色が覗いて見える。


 角度によって彩りを変える虹色の鎖、隙間から差し込む光が筋状に伸びる輝き。その下に広がるのはわずかな時間だけ色を手に入れた、宝石や鉱石ばかりでできた大地だ。


 それは神秘的でとても美しい光景だった。


 あの美しい光を、地上の世界を、もっと近くで見たいと思ったのだろう。


 まだ無邪気そうな、産まれたばかりらしい、小さな影が鎖に近寄っていく。

 途端、静かに垂れていた鎖は素早い生き物のように動き、影を巻き取った。その速さには誰もが本能的な恐怖を呼び起こさせられることだろう。マトの周囲からも息を飲む音がいくつか聞こえてきていた。


 黒い影をしっかりと捕らえた鎖は静かに引き上げられていく。そうしてメージャが捕らえられる毎に、光は閉ざされてしまう。

 時おり、そこそこの大きさにまで育った影も鎖に近寄っているのがわかる。彼らは自分で鎖をしっかり掴み、経験で得た知恵で力を行使し、慎重に姿を消していった。


「あ、切れる」


 無謀な挑戦に失敗した影をあざ笑うような、悪意の声がさざめく。


 ああまで成長したのだから、そこそこの力を蓄えていたのだろう。大きな黒い影を捕らえていた鎖は細かく揺れ、まるで重さに耐えているようだった。それが悲鳴をあげるようにいきなりぐいっと伸びた。鎖はあっけなく、ぷつりと千切れる。と、わらわらとそこに他のメージャたちがたかっていく。

 数秒後、虫のように小さな影は散っていき、もう、そこにはきれいさっぱり、何も残っていなかった。


 やがて空は淡い光と濃い影が絡み合い、ゆらゆらと揺れるいつもの姿を取り戻していく。


 イベントは終わりだと、マトはいつもの大岩に寝そべる。

 この大岩でさえ、今はもう、黒い影に見えている。ついさっきやっと知ったことだが、どうやらこれは黄金の塊で、この辺りの地面はダイヤモンドとオパールでできているようだった。そこに、翡翠の雑草と真珠の花が生え、ルビーの実がなっていた。


 風が吹き、木の葉や花が揺れ、しゃらり、からり、と軽く高い音があちこちで鳴る。

 例えあの木が黄金とエメラルドであろうが、黒曜石と碧玉であろうが、タングステンと雲母であろうが、どうせ普段は白黒でしか認識できない。静かになった影の世界で、マトは昼寝をしようとしていた。


「マト様、こちらで歌いましょうよ」


 白黒の世界でもわかることはある。例えばそれは他人の造形だ。


 目を開くと、マトのすぐそばには妖艶な女の姿をしたメージャがいて微笑んでいた。彼女は右半身に猫の毛並みを残しており、整った顔かたちや、理想的にすらりと伸びた手足を持っている。ここまで成長したメージャはほとんど、人間の容姿に近い。


「ねぇ、マト様、こちらに来て下さいませ。酒を用意させましたのよ」


 やはり美しい、そして犬の尾を残した女の姿のメージャが別方向から声をかけてくる。


 酒を作るためには、きっとかなりの数の魂を使ったことだろう。その材料が人間か、メージャのものか、飲んでみなければマトにはわからない。そういやどちらだろうと味に大差はなかったなと、マトは酒の材料について考えることをやめた。


 犬のメージャもかなり力を蓄えた存在だと、やはり姿を見ただけですぐにわかる。


「お前らだけでやってろ」


 黄金でできた岩の下には、今日も、ざっと数えて二十人ほどの男女のメージャが勝手に集まっていた。


「マートっ! 今日も陰気な顔してるねっ!」


 そこに、明るい女性の声が降ってくる。わずかな時間だけ、マトの肌はピリピリと異常を感じていた。異常が収まった直後、すぐそば、岩の下からは悲鳴が上がる。


 見なくてもわかる。そこにいた半数以上のメージャの姿がかき消えたのだろう。


「おい、俺を変な名前にするなよ」


 マトは岩の上で寝転がったまま顔をしかめる。それから、目の合った二人のメージャをこの場から追いだすことにする。


「お前ら、こいつに食われたくなきゃ、どっか行っとけ」


 生き残っていた猫と犬のメージャはこくこくとうなずき、他の仲間たちと一緒になってどこかへとあわてて立ち去っていく。


 どれだけ彼らが力を蓄えたメージャたちであっても、相手はあのヘリヤだ。並のメージャに敵う訳がない。


「あれ? もしかして食べちゃ、まずかった? マトのお友達だった? なら、ごめんねぇ」


 やってきたのは先ほどの猫や犬のメージャと違い、完全に人間そのものの姿をしている女だ。


「いや、あいつらが誰なのかも俺は知らん」

「だと思った」


 にかっとヘリヤは笑う。


「なんかあいつら、勝手に集まってくるんだよな」


 メージャの価値観で評すれば、この上もなく美しい女だ。ただ、マトの好みからは外れているだけで。

そういえばヘリヤも以前似たようなことを言っていたなと考えが至ったところでマトは苦笑した。


 きっとそれは、メージャにありがちな価値観なのかもしれない。だから二人は友人でいられるし、同等の力を有したメージャ同士が恋人になった例を影の国ではあまり見かけない。


 ヘリヤは遠くにまだ見えてた一体のメージャに向かい、片手を伸ばす。まだ食べ足りていなかったのだろう。メージャの姿は一瞬にしてかき消えた。


「うーん、やっぱり、人間じゃないと物足りないなぁ」

「あいつらだって食えばそこそこだろ」

「濃さが違うんだよねぇ」


 それでもそれなりに満足したらしい彼女はそれで、今回の食事をやめることにしたようだ。


「ヘリヤ。俺に何か用か?」


 そんなヘリヤに、マトは逃げていったメージャたちが残していった酒を術で手元に引き寄せると渡してやった。ヘリヤは目を輝かながら、どこからか取り出した器に酒を注ぎ、口に運んでいる。


「あたし、人間のところに行くことにしたの」

「そりゃ……アンタが地上に上がったら、人間界はさぞかし大惨事だろうな」


 ヘリヤの美しさにはなんとなく人間らしいところがある。地上の人混みの中を歩かせても、彼女がメージャであると気づく人間は少ないだろう。

 ただ造形として芸術的な美しさを求めたなら、先ほどの猫と犬のメージャのほうが余程繊細に整っていて美しい。人間の価値観を持つものならば、きっとそう感じたに違いない。


「けど、地上には今、エスコがいるぞ。狩りをするときは気をつけろよ」


 俺は関わりたくない、という意思を示すつもりで、起こしかけていた半身をマトはまた横にする。そこをヘリヤは覗き込んできた。


「違うよ、あたし、サバクになるの」

「はぁ?」


 マトは目をむいた。起き上がるほどではないが、ヘリヤ程のメージャであればかなりの『重さ』があるに違いない。


「アンタの魂を引き上げられるだけの魂が、いるっていうのか?」


 ヘリヤは勝ち誇ったように、胸を張る。


「そう。見つけたの。あたし、きっと彼女を見つけ出して見せるの。そして絶対、彼女のサバクになってみせるっ!」

「それは見つけたのか、見つけてねぇのかどっちなんだよ」


 サバクになれば当分の食事の心配が無くなるどころか、能力だって上がる。

 当然リスクもある。引き上げられるときの魂の重みに鎖が耐えかね、切れてしまえば契約の機会を失うし、自身の身の危険に繋がる。それに、それだけ優れた人間であればもう、誰か他のメージャが目をつけていないとも限らない。


「だから、手伝ってよ、マト」

「はぁ?」


 にこやかに、ヘリヤは面倒そうな話をマトに持ちかけてくる。


「極限まで薄くしたあたしの分体を撒くからさ、マトも分体になってあたしの契約者を探すの手伝ってよ」

「めんどくせぇ」

「ついでに、他のコに盗られないように、あたしが契約できるまで守るのも手伝ってね」

「めんどくせぇ、そんな面倒なこと、やってられるか」

「ねぇ、マト、あたしたちの仲じゃん」

「おい、どんな仲だよ」

「世話してあげたじゃん」

「礼はもう返した筈だ」


 話は終わりだと、マトは昼寝を再開することにした。術を行使し音を遮断しようとする。それを力任せに破ったのは当然ヘリヤだ。


「マト、あたしがサバクになったら、絶対に対等な立場での使い魔として召喚してあげるよ。契約してもいい」

「……足りねぇな」

「……名前だけはわかってるんだよね。その子、『クオラ・コボトリウ』って言うんだけど」


マトはそこで舌打ちをひとつする。


「…………いくら俺たちでも、食われたくなきゃ、あんまり薄くはできねぇぞ」


 二人の間に契約の術が編まれ、ほわっと一瞬、淡い光が鎖のように現れた。ヘリヤは満足そうにうなずくと、早速とばかりに分体をいくつも出現させる。マトもそれにならい、いくつかの分体を出現させた。


「きっとね、まだ、産まれたばっかりだと思うんだよね。なんとかなるなる! ほら、よろしく!」

「産まれたばっか……ヘリヤお前、一体何年、俺を働かせるつもりだよっ!」

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