第玖話
アタシは、観客席からトラックを眺めていた。
中学時代は、特に何の努力をすることもなく全国大会まで出場していた。
その頃は、走ることが楽しくて仕方なかった。
爽快感が、そこにはあった。
ところが、高校に進学するとタイムは一向に上がらず、関東大会に出場するのがやっとだった。
周囲の期待も裏切る結果となってしまった。
アタシは、走る喜びを見失っていた。
そんな事を考えていると、『あれ?いつからいたんだろう。』
二つ開けた横並びの席に、お爺さんが座っていた。
杖の先で、トントンと前の席を小突いてる。
「お爺さん、いつからいたんですか?笑」
「そうじゃのぉ…気付いたらおったわい。笑。」
優しいのがよく分かるお爺さんだった。
「お爺さん、陸上競技は好きですか?」
「そうさなぁ、儂は走れんけどな。」
そういって、腕を振って見せる。
可愛い。
「アタシ、短距離選手なんですけど、もう走るの嫌になっちゃって…。」
『あれ?アタシ、愚痴こぼしてる。』
自分でも意外だった。
「走るのはしんどそうじゃのぉ。」
「うん。タイムも全然伸びないし。」
そういって、アタシは前の席に足を投げ出す。
「なんじゃ、記録の為に走るんかい?」
お爺ちゃんは不思議そうにいう。
「え~!?だって、アタシ選手だよ!笑。」
「選手以前に、走るのが好きなんではないんかの?記録の為に走るんでは、
本末転倒ではないんかの?」
『確かにそうなんだけど…。』
「でも、競技にどっぷり浸かっちゃうと、そうもいかないんだよね。笑。」
「好きということも見失ってしまうのかいの?」
「…かなぁ。」
「それは辛いのぉ。じゃったら、記録なんぞ気にせんで走ったらよかろう?」
「ん~、でも気になっちゃうし、他の子に負けたくないんだよね。」
「お前さん、他の子に負けたくないっちゅうことは、勝ち続けねばならんということかいの?」
アタシは、『面白い質問するな。』と思った。
「あはは♪でも、それはそれで無理っぽいよね!」
「不思議じゃの。」
「何が?」
「お前さんの話は、お前さん自身で進む先を全て閉ざしとる。話が全て並列じゃ。
並列にすることで、やめるという答えを導こうとしとるように聞こえるがの。」
「…。」
確かにそうだった。アタシは都合のいいやめる理由を作り出そうとしている。
「もし、本当にやめたいのであれば、理由なんぞ必要ないんではないかの?」
「…じゃ、アタシ、続けたいのかな?」
「それはお前さんにしかわからんぞい。」
そういってお爺ちゃんは微笑む。
「…。」
じゃがの…と言って、お爺ちゃんは話を続ける。
「お前さんも一生懸命悩んどる。一生懸命、日々鍛錬しとるはずじゃ。
それは、お前さんだけではないのではないか?
そんな者達が一堂に会して競い合える時期なんぞ、そうそう生きとる間でもありわせんじゃろ。そこに身を置けることのできる瞬間は素晴らしいもののように映るがのぉ。」
お爺さんはトラックを見つめる。
「アタシ、続けるべきかな?」
「それは、お前さんの【選択】次第じゃ。」
「そうだね!お爺ちゃん、ありがとう!」
アタシはまず、並列に考えていたことから考え直してみようかと思った。
アタシは立ち上がり「んーーーっ!」と、思いっきり背伸びをした。
「お爺ちゃんは…」そう言いながらお爺ちゃんの方を振り向くと、お爺ちゃんの姿はそこにはなかった。
アタシはお爺ちゃん?と、周りを見ながら呼びかけてみたけど、やっぱりいない。
キョトンとしてしまったけど、何故か安心感が残った。
アタシはお爺ちゃんが杖でトントンやって、白い跡が付いた席に話しかける。
「お爺ちゃんは、仙人さんみたいだね。」、と―――。
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