第32話 私立悪霊保育園
「がはっ! ごぼ、がは、げへっ!!」
激しく咳き込みつつ、俺は覚醒した。
心臓は……よかった、こちらも動き出している。
「ア……キ、せ、接……っ!」
まったく意味をなさない単語の切れ端を、アカツキは的確に拾い上げた。
五感が霊獄機に再接続され、フィードバックが回復する。
根源霊素の渦が作る障壁は、ヒルコの触手でびっしりと覆い尽くされていた。
渦の勢いは見る間に弱まっていき、すぐにも消えてしまうだろう。
俺は霊獄機に刀を構えさせた。
「突破する! 霊力をくれっ!!」
即座に供給された莫大な霊力を、俺は
刀身が伸長し、切断力が増していく。
「ハナ、やるぞ! 新参の先導、頼むっ!!」
『あ――は、はいっ! みんな、ハナおねーさんに着いてきなさいっ!!』
障壁が消え、霊獄機はダッシュした。
右手の刀はハナの霊体が変化したもの。
左手の刀は取り込んだ霊屑が変化もの。
いきなり刀にされた霊屑――正確にはそこに宿る魂の欠片達――は、戸惑っているようだ。
ハナは手を引くようにして刀としてのあり方を示し、彼らをフォローする。
『だーいじょうぶですよ。こう、ぴっとして、しゃっと斬ればいいですから。おねーさんみたいに、気楽にるんるん、えーいっ♪ って感じで、楽しくね!』
擬音ばっかじゃねぇか。
それでも左手の刀の手応えがよくなった。意外と上手くいったようだ。
確かに子供には理屈で説明するより、気持ちを上げてやった方がいいのかもな。
ハナの奴、保母さんとかに向いてそうだ。
両刀を振るえば、触手の壁を切り崩すのも難しくない。
ほどなく触手の突破に成功。
俺は神尊達のいる陸地に向けて、霊獄機を疾走させた。
『成功したみたいね。遅刻だけど』
現状の霊獄機の武装では、ヒルコを倒しきれない。
そこでヒルコから霊屑を取り込み、追加武装の材料とする。
これがアカツキのアイディアだった。
最大のポイントは材料になる霊屑――正確にはそこに宿る魂の欠片達をこちらの味方につけることだったが、どうにかやれたようだ。
「悪い、ちょっと手間取ってさ」
『いいわ。タケルならこの子達も受け止められると思っていたから』
魂の欠片達は蛍のように明滅しつつ、機体内部を漂っていた。
アカツキやハナのように視界に表示されないのは、個として確立するだけの分量がないからだろう。
「いや、違うんだ。彼らは……自分の体験した恐怖や絶望を聞かせてくれただけだ。怒りや復讐心は俺の中からきた」
あの瞬間、俺は自分の身体や命さえ邪魔だった。
許せない連中に容赦なく裁きを下すだけの、ただの鉄槌になりたかった。
たぶん、本当にそうなりかけていたのだ。
あのまま死んでいたら、俺はただの怨霊になっていただろう。
「勝手に振り回されて、死にかけた。逆にあの子達が俺を助けてくれたんだ」
『きっと、気に入られたのね。でも、ヒルコと戦う際にはためらわないで』
こちらの気持ちを見透かしたかのように、アカツキは釘を刺した。
確かに俺には迷いがある。
触れ合ったことで、深く知ってしまったからだ。
大人になれずに死んだ子供――
なかでも理不尽に殺害された子供達の、報われぬ魂の欠片。
その集積体がヒルコなのだ。
本来、子供の魂は霧散しやすいものだ。
もとの世界の話だが、俺は子供の幽霊に遭ったことはほとんどない。
子供は未来へ進むものであり、過去に囚われることは極めて少ない。
死を迎えた子供達は迷わず先へ――次の生へ進むものなのだ。
しかし、死の際であの子達ははわずかな慰めも得られなかった。
あまりに孤立し、恐怖と絶望に立ちすくんだ子供達。
彼らは救いを求めて『今』にしがみついてしまったのだ。
それがこのパダニ窟に集まり、ヒルコとして実体化しているのである。
『ここがなぜそういう場になったのか、私にはわからない。ただ、ヒルコでいる間は、決して救われない。誰かが片をつけてやる必要があるのよ』
「わかっている」
『第一、タケルにはなんの責任も義務もない。降りかかる火の粉を払うのに、遠慮は無用よ』
アカツキは淡々と俺を諭している。
こちらの迷いを見透かしているのだろう。
おりしも進路を塞いだ触手を、俺は間髪いれずに叩き斬った。
斬られた触手は絶叫と共にとろけ、消滅した。
くそ――今の子達は、二度も孤独に死んだことになる。
「わかっているよ、ちゃんとやるさ。やれている、だろ?」
自分を鼓舞するために、俺はあえて気楽さを装った。
俺がミスすれば必然的にアカツキとハナも道連れなのだ。
感傷的になっている場合じゃない。
何事も優先順位は常にある。
異世界であっても、現実はシビアなのだ。
「ただ、やっぱりこれはつらいな……きついよ」
口から滑り出てしまった弱音。
しまった、今虚勢を張ったばかりなのに、これじゃ意味ないじゃないか。
アカツキはほんの少し目を細め――なぜか微笑んだように見えた。
一方、ハナは不穏な笑顔を振りまいている。
『それはそうとタケル様ぁ? あとでハナからもお話したいことがありますから、お時間くださいね?』
やばい。
噴火直前の活火山のような、膨大で激烈な怒りのパワーをびりびり感じるぞ。
「わ、悪い、ハナ。だけど、あの場合……」
『いいんですよ、
ハナはにこにこしているが、それがかえって怖い。
確かに俺は彼女からの忠言を無にすることを繰り返している気がする。
というか、繰り返しているよな、思いっきり。
うーむ……これは怒られても仕方がないかな。
『タケル、急がないと恩を売る相手がいなくなるわよ』
アカツキの言葉に前方の陸地を見る。
すでにヒルコと神尊達の戦端は開かれていた。
まだ神尊側に取り込まれた者はいないらしい。
相当数の神尊が正体をさらし、応戦しているのだ。
しかしその割りに、最小限の反撃しかしていない。
禁域で連邦と相対していた時は、もっと激しく戦っていたはずなのに。
ともあれ、のんびりしてはいられない。
俺は霊獄機を大きく跳躍させた。
一気に距離を詰め、触手群と神尊の戦列の間に着地する。
機体を覆う装甲の一部がスライドし、顔の前に隙間ができた。
淡い光と外気が顔を撫でる。
隙間は細く、肉眼で目視できる範囲は狭い。
恐らく外からは装甲に開いた暗い穴の奥に顔が少し見えるだけのはずだ。
「カガーシッ!!」
思い切り怒鳴る。
大蛇の姿になっていたカガシは、弾かれたように鎌首を持ち上げた。
『タケル!? まさか、オーガスレイブに――』
「詳しい話はあとだ!
『それは――』
なんだ? カガシの奴、躊躇している場合じゃないのに。
『タケル様、後ろからきてます!』
ハナが言うと、アカツキは素早く隙間を閉じてしまう。
俺は振り向きざまに刀を振り、背後から迫ってきた触手を斬り飛ばす。
ヒルコの絶叫が鳴り響く。
カガシも含め、神尊達は苦しそうに顔をゆがめた。
しまった。
ヒルコが死の際で放つ声。
神尊達は生身のままで聞いているから、もろに影響を受けているのだ。
特にヒャクソ婆は症状が重そうだ。
人の姿のまま胸を押さえ、他の神尊達に身体を支えられている。
うかつだった。
だから神尊達は攻撃を手控えていたのか。
しかしそれでは結局、じり貧だ。
追い詰められてしまうだけじゃないのか。
どうやらカガシも同じ結論に達したらしい。
『――わかりました、タケル。確かに他に手はない。我々は護りに徹します』
カガシは神尊を一ヵ所に集めると、なにやら指示を出した。
シャボン玉のような球状の膜が現れ、神尊達をすっぽりと覆ってしまった。
『結界を張ったみたい。声は減衰するだろうし、触手相手なら少しはもつと思うけど……』
『あれは無理でしょうねぇ』
アカツキとハナの口調にはなかばあきれたような響きがあった。
ついにヒルコ本体が前進をはじめたのだ。
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