第31話 ばらばらに

 急旋回した霊獄機は、斜め右方向から迫っていた触手を斬り払った。

 正面の奴をこちらから接近して攻撃したことで、触手同士の連携にズレが生じたのだ。


 つまり、つけいる隙ができたということだ。

 霊獄機は素早く立ち回り、触手を各個撃破していった。


 最後の触手を消滅させた直後、背後から新たな触手の群れが忍び寄ってきた。


 ヒルコ側は次々と触手を繰り出せる。

 だから、どれだけ頑張っても倒しきることはできない。


 大半を斬り飛ばしたものの、ついに霊獄機は触手に捕まってしまった。

 

 下半身はすっかりヒルコの中に飲み込まれ、身動きが取れない。

 さらに上方から他の触手が覆い被さろうとしている。

 

 まずい状態だが、この展開は当然のことだ。

 最初から無理なことはわかっていた。


「やるぞ!」


 二人は短く了承を返してくれた。

 俺は刀を下向きに持ち替え、大きく振った。

 霊獄機を捕えている触手はすっぱりと切断され、本体から切り離された。


 『分量はちょうどいいわね。予定通り、彼らを収監するわよ』


 触手の色が濁っていく。

 ヒルコを構成する霊屑がばらけて消え去ろうとした瞬間――アカツキは牢獄の格子戸を開き、彼らを霊獄機の中へ引きずりこんだ。

 

 とたんに外部視覚との接続が切れ、視界は真っ暗になった。

 

 視覚だけでない。

 機体からのフィードバックは全て消失していた。

 

 代わりに、入りこんだ異物がねっとりと肌にまとわりついてくるのを感じる。

 

『急いで、タケル。長くなると障壁を維持できない』


 境界炉は稼働しているが、霊獄機の動作は完全に停止している。

 触手の攻撃を防ぐ為、アカツキは排出した根源霊素の渦で機体を包み、障壁を作っているはずだ。


 制限時間は十七秒。それを過ぎれば、渦は消えてしまう。

 

 ハナは全身に鳥肌を立て、悲鳴をかみ殺していた。

 機体内であれば、霊屑達もアカツキの管制下だ。

 従ってハナが霊屑から危害を受ける恐れはないのだが、触れること自体がおぞましいのだろう。


 霊屑は今のハナにとって、恐怖そのものなのだ。

 だが、いったん彼女のことは頭から切り離さなくてはならない。


 俺が考えるべきなのは、霊屑のことだ。 


 彼らはまるでヒルのように吸いつき、肌に絡みついてくる。

 正直なところ、俺もこいつにはいとわしさしか覚えない。

 生臭いし、直接触れ合うには、あまりにも気色が――



――違うだろ、なにを考えているんだ!



 歯を喰いしばって己を叱咤する。

 自分の気持ちや感触に拘泥こうでいしている場合じゃない。

 俺がどう思っているかなんて、後回しだ。

 

 誰にも理解されないまま、なに一つ訴えられないまま。

 ただ消滅の瞬間に絶望の叫びを上げるしかないモノ達がここにいるのだ。


 俺はアカツキが招き入れた霊屑達の心を紐解き、理解しなくてはならない。


 ヒルコから伝わってくる嫌悪や戸惑いなら、もう知っている。

 だが、それは恐らく本物ではない。


 生前の喜怒哀楽をなぞっただけのだ。

 

 このまま消えたくない。

 ただそれだけの動機で寄り集まり、現世に留まった魂の欠片。

 

 その集積体がヒルコだ。

 

 つまり、ヒルコとは個体ではない。

 霊屑の総量としては膨大だが、個体のふりをしているだけ。

 吹けば飛ぶような寄せ集めに過ぎない。


 だから、最大公約数的な思考による行動しかできないのだろう。

 

 死後に魂が霧散せず、霊屑になるだけの事情――

 晴らせぬ恨みつらみがあったはずなのに、それを表に出すことはできない。


 個々の感情を剥き出しにすれば、もろい結合の集団は崩壊してしまうからだ。

 

 本来、死とは極めて個人的な出来事である。

 同じ日時、同じ場所、同じ要因で死に至っても、なにを感じるかは各々違うはずだ。

 

 だから、それを知らなくてはならない。

 一体、彼ら一人一人になにがあって、なにを思ったのか。

 

 俺に聞かせてくれ。

 理解させてくれ。

 ここへきてくれ。

 ちゃんとみんなの話を聞くから。


 魂を触れ合わせれば、わずかな瞬間でも互いのことを深く理解できる。

 それで、もし気に入ったなら――

 

『タケル様っ!? ダメです、なにを言うつもりですか!? んですよ!!』

 

 ハナはひどく動揺しているようだ。

 大丈夫だよ、心配するな。

 自慢じゃないが、俺は頭はよくない。

 この位踏み込まないと、相手を理解なんてできないんだよ。

 

 

――だから、もし気に入ったなら、ここに居てくれてもいいんだぜ。

 

 

 霊屑が最後の結合を解き、個に戻っていく。

 そこに宿っているのはわずかな魂の破片だけだ。

 本来ならとても存在を保てない。

 

 だが霊獄機に閉じ込められているが故に、魂の破片は霧散しなかった。

 

 突然、凍え痺れる恐怖の氷柱が俺の背骨を刺し貫いた。

 呼吸だけではなく、心臓が停止する。

 

 視点の異なるイメージの断片が降り注ぎ、俺はその中へ埋もれていった。



   □



 ばらばらだ。

 

 大勢の子供達が、ばらばらに。

 

 最後の瞬間、抱き合うことすら、許されずに。

 

 斬られ、千切られ、潰され、燃やされ。

 

 ばらばらに、ばらばらにされてしまった。

 

 一人残らず。誰も許されず。

 

 なんてことだ。


 子供だ。


 子供だぞ。


 みんな、子供じゃないか。

 

 なんてことを。

 

 みんな、こんな目に遭わされたのか。


 こんなことを誰が許せるんだ?

 

 無理だろ。絶対に無理だ。俺には絶対、許せない。

 

 種族が違うからか。


 この子達は俺とは違う種族だ。姿形はわからないけど、それはわかる。


 だからなんだ。違うからなんだ。


 違っていれば、殺してもいいのか。

 

 俺も肉を食う。種の違う生物を殺して生きている。


 でも平気だろ? だから同じか? だからいい?

 

 違う。

 

 それは違う。

 

 これは俺には大事なものだ。


 種族が違っていても、心のありようは俺と同じだ。

 

 殺される前から、この子達は世界に居場所がなかった。

 

 きっと生まれた時からそうだったのだ。

 

 それでも懸命に生きようとしていたのだ。


 だから、俺にこれは割り切れない。


 知ってしまった以上、無視なんかできるものか。

 

 自分勝手か? 矛盾している? ああ、もちろんだ。

 

 別に俺は正義じゃない。殺したやつらだって悪じゃない。ナットや軍曹もだ。

 

 それは構わない。それは仕方ない。それは当然だ。


 なにより集団の正義なんて、いつも大抵、ろくでもないものだ。

 

 でも俺にとって、この子達にとって、大事なものを奪うなら。

 

 そんな奴らは許せない。許さない。


 なのに、誰も奴らを裁かない。


 いや、裁いてもらったって、仕方ないのだ。


 この子達はもう殺されてしまった。


 罪が、罰が、一体なんの救いになるだろう。


 ならば、どうする。

 

 ならば奴らの国を、街を。

 

 ことごとく壊し尽くし、焼き尽くさなければ。

 

 そうでもしなければ、応報などできない。

 

 この子達の無念を、他にどうやって晴らせというんだ――!



   □



『タケル様、タケル様っ!

 ダメです、引っ張られないでっ!! しっかりしてくださいっ、戻ってくださいよっ!』


 ――ハナ? 泣いているのか、お前。

 

 いつもまっすぐで、可愛いな。

 どうして、お前みたいないい娘が悪霊なんかになったんだ。

 ハナの話もそのうちちゃんと聞かせてくれよな。

 

『三十秒過ぎたわ。障壁維持のリミットよ。もう、これ以上は引き伸ばせない』

『なに平然としているんですか、あなたは――』

『別に。タケルがへくるなら、それはそれで歓迎するだけよ』


 その割にがっかりしているじゃないか、アカツキ。

 額に汗が浮かんでいるぞ。

 俺が遅いもんだから、力を振り絞ってくれたんだな。


『ふざけるなっ! タケル様が、どんな覚悟であなたを受け入れたと思うんです!』

『機体も私もとっくに限界を超えている。できないものはできないわ。障壁消滅まで、あと四、三、二――』

『タケル様ぁーっ!!』


 大丈夫だ。

 いや、大丈夫じゃないか?


 なんでだろう。


 あ、そうか。

 呼吸と心臓が止まったままだ。

 このままじゃ、まずいぞ。


 焦っていると、いつの間にか小さな影法師に取り囲まれていた。


 たくさんの小さな手が、ひたひたと俺の身体に触れて――

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