第30話 すーぱーぶよぶよ
視界一杯に広がる青白くぶよぶよした壁。
これが全部、ヒルコだって?
高さは二十メートル以上、幅は――
「おい、これ軽く一キロ以上あるんじゃないか……?」
『目測が甘い。幅一・四キロ、奥行き〇・八キロってところよ、タケル』
『さっき押し寄せてきたのは水じゃなくて、全部ヒルコなんですよ、タケル様』
おい、まじかよ。
一番最初に遭遇した、谷を埋め尽くしていたヒルコの塊。
ひょっとして、あれが丸ごとやってきたのか。
よく見ると、青白い壁の中に小型ヒルコや大型ヒルコが取り込まれていた。
もぞもぞ動いている奴もいるが、なかば身体は溶解しているようだ。
アカツキはヒルコを興味深そうに眺めた。
『やっぱりまともな自我はないのね。だから一度個体として独立しても、簡単にばらけて一塊に戻るんだわ』
「つまりあのヒルコは、実体化した幽霊の集合体ってことか?」
『そんなに上等な存在じゃないわ。霊体にも満たない木っ端――
淡々とした口調だったが、アカツキはどこか哀れみの色をにじませていた。
『正直、ハナはもうあまりあれには触れたくないですねぇ』
冗談めかした口調だが、ハナは本当に嫌そうだ。
つい先ほどヒルコに取り込まれそうになったばかりなのだから、当然ではある。
ぬるっ、と壁が何本もの触手を伸ばした。
触手といっても、一本の太さは霊獄機がすっぽり入ってしまうほどだ。
うねうねとくねりながら、あちこちをまさぐるように蠢き――
こちらへにじり寄ってきた。
『私達や神尊達を取り込もうとしている。どうする? タケル』
アカツキの口調はあくまで冷徹だ。
きっと俺が「突撃だ」と言えば、みじんも動揺せずに従うのだろう。
だが実際のところ、刀一振りでこんな相手とはまともに戦えない。
「ハナ、逃げ道はあるか?」
『……ありますね。おばーちゃん達の後ろに通路が見えます。たぶん、禁域からここまでの避難経路が続いているかと。これに乗ったままでも、入りこむことはできそうです』
ならば神尊達は見捨て、一目散に逃げる。
さすがにこの合流場所から禁域あたりまで逃げれば、ヒルコを振り切れるだろう。
それが一番、現実的な選択肢だ。
パダニ族の境遇には確かに同情を禁じえない。
だが、一緒に滅ぶほどの義理もない。
むしろここまでのところは、迷惑をかけられているだけだ。
俺が最優先で守るべきものがなにかなんて、考えるまでもない。
「アカツキ。霊獄機であれと戦うとしたら、なにか手はないかな?」
『……まず考えてみないと。ただ、馬鹿たぬきがびびりまくってるわよ。
アカツキは顎をしゃくってハナを指す。
かっとハナは頬を紅潮させた。
『だっ、誰がぁっ!? いや、びびってますよ? びびってますけどもっ!』
だからどっちなんだよ、お前は。
ハナはあごを引き、ぐっと唇をかみ締めた。
『タケル様が
ここまで、ハナは奮闘し続けてくれた。
だから彼女が嫌だと言えば、俺は逃げるつもりだった。
煽られた勢いもあるだろうが、俺の考えを察した上でハナは覚悟を決めたのだ。
ならば、どうして俺がそうしたいのか。
せめてちゃんとした説明はしたいし、すべきだった。
「この先のことを考えると、あのヒルコはここから追い払いたい。今逃げても、俺達だけではいずれ行き詰っちまうから」
俺達には落ち着ける場所、拠点が必要だ。
ハナ達はともかく、俺は食事や睡眠もとらなくてはならないのだ。
霊獄機があるだけでは、どうしようもない。
『――でしょうね。私は
アカツキが合いの手を入れてくれた。
俺のこの世界に関する知識は、カガシが状況説明の為に刷り込んだものだけだ。
アカツキは俺から知識を得たのだから、同じ情報しか持っていない。
「だから、味方が必要なんだ。それも本当の味方が。ヒャクソ婆やカガシを助けて、恩を売れば、味方になってくれるはずだ」
正直なところ、ちゃんと助けてくれるなら、どの勢力でも構わなかった。
ただ連邦は俺達に価値を見出してないから、交渉は難しい。
それに封印解除の件でヒャクソ婆から持ちかけられた報酬にまつわる話が本当だとしたら、神尊はむしろ人間より恩義に報いる気質が強いように思えた。
つまり売り込む相手としては、神尊の方がよい。
『タケルの判断は正しいと思う。でも……上手く行くかはわからない』
なんだろう。
アカツキの奴、なにか不安そうな顔をしているぞ。
まさか、ひるんでいるのだろうか?
いや、この子がヒルコを怖がるはずがない。
ないのだが、やはりアカツキはあまり気が進まないように見えた。
一方、ハナはそれなりに納得してくれたようだ。
『わかりました、タケル様。もちろんハナはお手伝いします! まあ、アカツキにいい手があれば、ですけどぉ?』
『そう、たぬきの方はやる気なのね。なら考えるから、黙りなさい』
アカツキはわずかに眉を寄せた。
思考に埋没しているらしく、目の焦点があっていない。
邪魔しないように俺とハナは口をつぐんだが、もちろんヒルコは待ってくれない。
触手がこちらを捕らえようと素早く伸びてきた。
反射的に機体を飛び下がらせて、先端をかわす。
こちらを牽制しつつ、ヒルコは他の触手を矢継ぎ早に伸ばしてくる。
なんとか避け続けていると、アカツキはようやく口を開いた。
『――このヒルコに対抗できるかはわからない。けど、試せる手はある』
「よし、じゃあそれを……」
『でも、足りないものがあるの。得られるかどうかはタケルとたぬき次第よ』
アカツキは方法を手短に説明してくれた。
『えええええっ!? そ、それは……』
はっきり嫌だとは言わないものの、拒絶反応を示すハナ。
まあ、そりゃそうだよな。この内容では無理もない。
間断なく襲ってくる触手を回避しつつ、俺は助け舟を出した。
「アカツキ、悪い。せっかく考えてもらったけど、ハナがきつい思いをしそうだ。やっぱり止めにしよう」
『そう、わかったわ』
『すみません、タケル様。ア、アカツキも……』
さすがのハナもばつが悪そうにしている。
淡々と応じるアカツキ。
『いいのよ、気にしなくて。最初からたぬきをあてにする方がおろかだったのよ』
『い、いえ、わたくしはたぬきじゃ』
アカツキは人の悪そうな微笑を浮かべ、ハナを見据えた。
『仕方がないわ、たぬきだもの。しょせん、たぬきはたぬき。失望したけど、仕方ない。たぬきなんだから』
『むかーっ! たぬきがたぬきでなにが悪いんですかっ!? 可愛いじゃないですか、たぬき!!』
いや、認めるなよ。
いいのかよ、たぬきで。
『ふん、よろしいでしょう。やりますとも! ハナに二言はないのです!!』
ハナの奴、引っこみがつかなくなったらしい。
確かに不安もあるが、アカツキは成算のない提案はしないだろう。
いずれにしても他の手を考える時間はない。
「本当にいいんだな、ハナ?」
『はい、タケル様。タケル様と一緒であれば、やれます!』
「わかった。とにかく、やってみよう。ダメなら逃げればいいさ」
方針は決まった。
あとはタイミングの見極めだ。
『タケル様、上っ!』
こちらの死角、ほぼ真上から数本の触手が雪崩れ落ちてきた。
機体を転がしてかわす――これはよくない。
さらに左右からの挟み撃ちがくる。
慌てず引きつけて、跳躍して避ける――今のもダメだ。
業を煮やしたか、今度は全周から一斉に触手が襲来した――まさに論外だ。
迫る触手はすべて同調した動きをしており、全部を防ぐのは到底無理だった。
こんな場合にどう対処すべきかは、もう教えてもらっている。
すなわち、攻撃だ。
「ハナ、抜くぞ! いけるなっ!?」
『はい、おまかせを!』
抜刀して真正面の触手へ突撃。一瞬、ハナの怖気が伝わってきた。
俺は両手でしっかりと柄を握る。
心配するな、お前を一人で戦わせたりはしない。
ほとんど手ごたえがないほどの鋭い斬れ味。
ヒルコの触手はすっぱりと切り落とされ、断面から黒く濁って消滅した。
絶叫が響く。
触手の本体につながっている側も数メートルほど濁って消滅。
だが、残りの部分は無事だ。
「まとめて一気に消えてくれたら楽なんだけど、さすがに無理だよな」
『タケル様、次っ!』
ハナは呼びかけと同時に、次の動作を示唆した。
霊獄機は自分の身体のように反応し、刃をひらめかせた。
よし、いける。
俺達の一体感はいささかも損なわれていない。
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