第14話 現場からは以上です
前触れもなく、それははじまった。
引き裂かれ、乱雑に積み上げられていたリーファの上衣。
ぼろぼろの布切れの山が床からわずかに浮き上がり、くるくると回転した。
同時に布地自体が断続的に発光。
切り裂かれた端から火花が吹き上がった。
激しい閃光が走り、大音響と共に建物の屋根を突き破って天へ立ち上った。
ごおぉぉぉん、と重々しい音が轟く。
高く低く、音程を変えつつ、音は不規則に連なり――静寂が訪れた。
「やられた……結界が、破られたようです」
最初に反応したのは、カガシだった。
「上衣に描かれていた遁行術の術紋は目くらまし。恐らく布地に術触媒が織り込まれていたのでしょう。触媒を通じて内側から結界術式を解析し、『鍵』の鋳型を外部へ送信したのです」
ヒャクソ婆は、眉間に深く皺を寄せた。
「カガシよ。それはつまり、我らがやろうとしていたことを、そっくりそのまま先にやられたということかね?」
「はい、ヒャクソ様。まさしくその通りです」
しばしの沈黙のあと、ヒャクソ婆は咳き込むように笑い出し、ついには呵呵大笑した。
「いやいや、異国人達もなかなかたいしたものじゃないかね! 連中は禁域の結界を、我らは連中の封印を解こうと競っておったわけだ。よもや霊術で我らが負けてしまうとは、思いもよらなんだが」
「返す言葉もございません。侮らぬ、というのは実に難しいものですね」
さすがにカガシは深い後悔の念にとらわれているようだ。
ヒャクソ婆は鷹揚にうなづく。
「だが、このままやられっぱなしというわけにもいくまいさ。捲土重来を期し、必ず連中には応報を被らせねばな。そうであろう、カガシ」
「――まことに。我が身二百二十余年の生を経て、なお学ぶことばかりですね」
ようやくカガシも苦笑いをみせた。
しかし、これはよくわからんが――もしかして、だいぶやばい状況になったのでは?
嫌なことに、俺の直感は的を射ていたらしい。
「すぐに連邦の兵が来る。禁域は放棄だ。戦士達は時間稼ぎ、他の者は脱出を」きっぱりとヒャクソ婆は言った。
「承知致しました。落ち合う場所は、みな心得ておりますから」
ヒャクソ婆はうなずき、「レンスの血筋とわっしが交わした盟約――今、ここで破棄させてもらおう。いいね、リーファ」
突然の宣告にリーファは蒼白となった。
追い討ちをかけるように、ヒャクソ婆は言い足す。
「文句はなしだよ。レンス家は異国の傀儡に堕し、パダニ族も根城を追われる身となった。相互扶助も共存共栄も、すでに意味を成さぬ。リーファ、お前はもうわっしの孫子ではない。お前に課したすべての義務、お前に与えたすべての恩恵を解く。あとは好きにするがいい」
皺深い指にさされると、リーファを拘束していた縄はひとりでに解け、はらりと落ちた。呆然としているリーファは、それに気づいてもいないようだ。
ヒャクソ婆は立ち上がり、建物の奥へ向かって歩き出す。
警備人達もあとに続く。
「ま――待って。待ってください、ヒャクソ様……」
おびえさえにじむ声。
ヒャクソ婆はただ黙して足を進める。顧みることを恐れるように。
「違うのです、わたしは、ただ……ま、待ってくださいっ!!」
駆け出そうとしたリーファは、数歩もいかずカガシに引き止められた。
「リーファ、わかっています。君は利用されただけでしょう。ただ、大主様は――」
「待って! 待って、ヒャクソ様っ!」
身を振りほどこうと暴れるリーファを、カガシはしっかり抑えている。
「婆様っ! ヒャクソ婆様ぁーっ!!」
悲鳴のような呼びかけもむなしく、ヒャクソ婆達は姿を消した。
がっくりとひざをつき、リーファは床に崩れ落ちてしまう。
彼女にはもうかける言葉もないのか、カガシは俺をうながした。
「タケル、私達もいきましょう。ここは危険です」
「あ、ああ。いや、だけど……」
本来であれば、事情も知らぬ部外者が口をはさむべきではない。
しかし、リーファをこのままにはしてはおけないだろう。
俺の方は彼女に聞きたいことがあるのだ。
なによりもヒャクソ婆から拒絶され、リーファは完全に打ちのめされている。
ここが危険だとすれば、捨て置いていいとは思えなかった。
「はー。お気楽ですね、カガシさん」
誰とも視線を合わさず、ハナはぼそりと吐き捨てた。
だるそうに手を振り、「もう遅いと思いますけど」
爆発音が轟き、建物の天井が崩落した。
どかどかと
「うおおおっ!?」と悲鳴を上げつつ、俺は逃げ惑った。
ところが、リーファは呆然と座り込んだままだ。
その頭上から大きな石材が――
俺はとっさに飛びついた。
まさに彼女がいた場所に石材が落下し、床板がひしゃげる。
「バカ、なにやっているんだっ!!」
「あ――わ、わたしは……」
俺は腕を引っ張り、無理やりリーファを引き起こした。
「いいから、立て! 外に出ないとやばいぞ! ハナ、お前もぼんやりするなっ!!」
俺が呼びかけると、やっとハナはこちらを向いた。
脱力したような顔をしている。
くそ、俺はお前だけが頼りなんだぞ。しっかりしてくれ。
どうしてそんな――見捨てられた子供みたいな顔をしているんだよ。
「おい、ハナってば!! とにかく、逃げないとやばいって!」
「タケル、ハナは私が!」
カガシはハナに駆け寄り、肩を抱きかかえて走り出す。
俺もリーファの手を引いて駆け出した。
だが、瓦礫が邪魔でそこに見えている出入り口の扉まで進めない。
連続的に爆発音が鳴り、建物全体が揺さぶられた。
外から砲撃されているらしい。
見回すと反対側の壁に小さな通用口らしきものがあった。
「あっちだ!」俺は咳き込みながら叫んだ。
床や屋根の構造材から出火し、煙が渦巻き始めているのだ。
やばい。本格的にやばいぞ、これ。
いつの間にか、俺とリーファだけになっていた。
次々に落ちてくる瓦礫を避けているうちに、分断されてしまったらしい。
積み上がった瓦礫の山の向こうからカガシの声が聞こえた。
「脱出してください、タケル! 落ち合う場所は――」
轟音と共に横手の壁がいきなり突き崩された。
もうもうたる煙の中に、なにか――なんだ、あのでかぶつは?
見た目は、まがまがしい鎧人形というのが一番近い。
いや、でも巨大すぎる。
上背は五メートルに近い。
額にあたる部分からは長いツノが二本、生えていた。
このサイズだと着る、ではなく乗る形になるんじゃないか。
ロボット?
まるでアニメとかによく出てくる、ロボットのようだ。
「オーガスレイブ……!?」とリーファ。
標的は俺達ではなかった。
床を踏み抜き、柱を崩しながらオーガスレイブは目前を通過していく。
カガシ達を追っているらしい。
だが、それ以上見届けることはできなかった。
いよいよ建物は崩壊しつつあった。
あの二人なら切り抜けられる。
そう信じるしかなかった。俺は、無力なのだ。
「とにかく、出よう!!」
リーファの手を引き、通用口の扉へと走った。
どうにか外に駆け出し、ほんの少し進んだところで、俺達はぴたりと足を止めた。
止めざるを得なかったのだ。
「ひどい……こ、こんなことって……」リーファがつぶやく。
すべてが燃えていた。
もうもうたる黒煙が立ち上り、巨大な影法師――オーガスレイブが地響きを立てて動き回っていた。
時折、砲撃音が轟き、長い発砲炎が伸びる。
オーガスレイブは手持ち式の大砲を持っているらしい。
禁域の明かりは落ちてしまったのか、辺りを照らしているのは燃える建造物だけだ。
ぞろぞろと隊列を作り、崩れた塔と建物の間を大勢の兵隊達が駆けていた。
銃を構え、さかんに発砲している。
なにを撃ってるのかは、想像に難くない。
爆弾さえカガシは「そうしたものは使わない」と言っていた。
もしかして神尊は自分達の能力頼みで、武器らしい武器がないんじゃないのか?
いずれにしても、熾烈な攻撃が行われているようだ。
攻めてきている連中は禁域内の全滅を期しているらしい。
戦争。
やはりこれは本物の戦争なのだ。
ニュースサイトの動画を見ているのとはわけが違う。
まさに今、ここで大勢が武器を振りかざし、殺し合いをしてる。
その現場に俺はいるのだ。
こんな中で、俺にやれることなんてあるのだろうか?
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