第13話 がまんしないとダメですか?

「確かにぬしらは負けたろうさ。だがそれは人間同士の戦だろう? 我らには関わりのない話さね」


「それで済まぬことはご承知のはず。ヤマタイ全土は、今やド・ディオン連邦と同盟国のなすがまま。連邦の本国でなにが起きたのか、ご存知でしょう。北方大陸の神尊はことごとく制圧され、わずかな居留地に押しこめられてしまったのですよ!」


 リーファの口調には必死さが滲んでいた。

 俺の方は会話の内容よりも彼女の顔ばかりが気になってしまう。

 ただ、さすがにこの雰囲気の中で割り込みはできない。


 だけど、何故だ? 


 どうして死んだ母とそっくりな娘が、よりによって異世界なんかにいるのだ。

 ただの偶然、他人の空似で片付けるには、あまりに似すぎている。


 ヒャクソ婆はぎょろりと眼を剥いた。


「それで? 連中相手に伏して命乞いをしろとでも言うのかね」

「交渉をするのです。接触を断ってしまっては、まとまる話もまとまりません。わたし――いいえ、我がレンス家が仲介致します。占領軍の現地代官として、公式なルートで総督と会見できるよう、取り計らいます」


 カガシが口をはさむ。


「君の言うことも理屈としてはわかりますが、合意に至るのは無理でしょう。連邦の要求はわかっています。結界を解き、禁域を明け渡せ……でしょう?」

「そうです。彼らはこの禁域を含むパダ二窟全体を管理下に置きたがっています。ですが、それ以外の神領地はこれまで通りにすると――」

「これまで通りだと?」


 ヒャクソ婆はゆらりと立ち上がった。

 激烈な怒りを発し、まるで空気さえ――いや、実際に空気が揺らめいている。

 カガシが気づかわしそうな視線を向ける。


 何故か、深く昏い場所からなじみの気配がにじり寄ってきた。


 伝わってくるのは、耐え難い痛みと煮え滾る恨みの念。

 悪霊?

 だが、これはあまりに生々しい。まるで今死んだばかりのようだ。


「これまで通り我が神領を気の向くままに踏み荒し、同胞を狩り殺すのか。巫女でありながら、お前はそれをよしとするのか、リーファ・レンスっ!!」


 石壁さえ震えそうな怒号。

 すくみ上がるような叱責を受け、顔を青ざめさせながらもリーファは食い下がった。


「違います、ヒャクソ様。パダニ窟さえ明け渡せば、もう霊尖角と霊核石の採取は行わないと、総督自らが約束したのです!!」


 神尊は霊尖角によって霊力を吸収し、生命力にするという話だったはずだ。

 また、霊核石は魂が宿る依り代と言っていた。

 この両方を奪われて、生きていられるとは思えない。


 どうやら霊尖角を奪うために、連邦は神尊達を殺していたらしい。


 であるならば、ヒャクソ婆の態度もうなずける。

 そんな仕打ちをされたら、一族の長としては激怒するほかないだろう。


 カガシはそっとヒャクソ婆に近寄り、何事かささやいた。

 ヒャクソ婆は腰を下ろしたが、表情はひどく硬い。

 もうリーファの方を見ようともしなかった。


「カガシ様、あなたならおわかりになるでしょう。ただでさえ、神尊は数を減らしているのです。とにかく一族が命脈をつなぐことこそ、肝要なはず。まず連邦と話し合わなければ、道も開けません」


 矛先をカガシに変えてリーファは話を続けた。

 決死の覚悟で説得を試みていることは、見ている俺にもひしひしと伝わってきた。


「リーファ。なぜ、連邦はパダニ窟にこだわるんです? 確かにここは龍脈の集結点。霊的生命体である我々にとっては、かけがえのない場所ですが、人間にとってはあまりうまみのない土地のはずです」


「理由はわかりません。ただ、パダニ窟を明け渡しても、居留地に閉じ込められるわけではないのです。あなた方は自由だ。ここには及ばなくても、またいい土地を探せばいいではありませんか」


 リーファは食い下がったが、カガシはゆっくりと首を振った。


「残念ですが、信用できません。彼らは北方大陸でいくども神尊との契約を破ってきた。我々のことは滅ぼすべき悪魔……せいぜいが多少力のある獣程度にしかみていないのです。まともな交渉が成立するとは思えません」

「カガシ様っ!!」


 立ち上がりかけたリーファだったが、両脇の警備人に引き戻された。

 カガシにつかみかからんばかりに、感情を剥き出しにしている。


「あなたがそんなことで、どうするのですかっ! このままではヒャクソ様は――」

「お気持ちはありがたく」カガシは静かに続け、「ですが、パダニ族はヒャクソ様が興した一族です。我らは常に大主様と共にある。そう、いかなる時もです」


 息を飲み、絶句するリーファ。

 俺には彼らの細かな事情はわからない。

 

 ただ、カガシやヒャクソ婆達はもうある種の覚悟を決めてしまっているようだ。

 それは間違いなかった。


「あのー、一段落しましたかね? ハナもこの人とお話していいでしょうか?」


 ハナがのんびりした声で割りこむ。

 まったく空気を読まない感じだ。


 カガシは首肯した。

 もう彼の方には大して話すことはないのだろう。

 

 気負いのない足取りでハナはリーファの前へ進み出た。

 でもどこか様子が変だ。

 あいつ、どうしたんだ?


「なーんか、色々、ごちゃごちゃ、想いとかあるみたいですけど。ハナ的には正直どうでもいいのです。そんなことよりもですね――なんで、タケル様を殺そうとしたんですか?」


 俺は虚をつかれた。

 それは確かに重大な件だ。本来、俺が一番に聞くべきことだった。

 

 ハナは危険をかえりみず、戦ってさえくれた。

 だからリーファが弓を引いた理由を聞きたがってもおかしくはない。


 ないのだが、そもそもハナは何者なんだろう?


 思えばおかしな話だ。

 変と言えば、ハナほど変な存在はいない。

 

 彼女は俺の古い知り合いのように振る舞っている。

 しかし、こちらにはまったく覚えがないのだ。

 

 どうして俺はたいした疑問も持たなかったのか。

 まるで当たり前のように彼女の存在を受け入れていたのか。


「無謀な行いを止めさせるためです。これ以上、総督の心証を悪化せたくなかった」


 言って、リーファはカガシに視線を戻し、


「異世界からの召喚はこれで二回目です。前回は四ヶ月ほど前、ここではなく、街中に出現しました。禁域の結界か連邦の封印のせいで、出現座標が狂った――そうなんでしょう、カガシ様」

「……あれは痛恨事でした。こちらの目論見がばれてしまった上に、貴重な触媒が無駄になった。おかげで術の再準備にひどく苦労しました」


 あっさりとカガシは肯定した。

 どうやら俺は二人目……いやハナが先だったのなら、三人目に召喚されたということか。


「連邦は召喚の目的はパダニ窟の封印解除だろう、と見当をつけました。だから詠唱艦の人員を割いて、警戒していたのです」

「召喚は、大がかりで時間のかかる術ですからね。数日前の起動準備の段階で察知していたわけですか」


 カガシの言葉にリーファはうなずく。


「はい。そして、二度目は彼らも許さない。だから、大事になる前にわたしが――」

「それ、タケル様に関係ないです。おばーちゃん達の都合で呼びつけられて、あなたの都合で殺されるんですか?」


 リーファに顔を向けられ、俺はぎくりとした。

 やはり、そっくりだ。


 写真の母が少し若返ったら、こういう面差しになる。それはもう確信だった。


 彼女は俺の様子をおびえととったらしい。

 切れ長の澄んだ瞳が悔恨に染まった。


「すみません――いえ、あなたにはお詫びのしようもない。ただ、殺すつもりはありませんでした。狙ったのは肩だったのですが……」

「へー、そうですか。でも、射放った後にタケル様が動いたかも知れませんよ。そしたらどこに中るかなんて、わからないじゃないですか。逆に考えたんですかね? 別に殺しちゃってもいいんだ、とか」


 かすかに笑いを含んだ声でハナは言い返す。

 リーファの目の前でしゃがむと、真正面から顔をのぞき込んだ。


「肩でも、一生治らない怪我になったかもしれない。それはいいんですか? もしくは治るなら怪我をさせてもいいんでしょうか?」

「よくはありません。わたしは償いをしなければならないでしょう。でも――」

「でも、どうしても、やる必要があった。だから、実力行使やってしまえ。かわいそうだけど仕方がない……ですかね?」


 図星だったのか、リーファは口をつぐんだ。


「ですよねー。そうだと思いました。うんうん、立派なお覚悟です」


 ハナはゆっくりと立ち上がり、数歩下がる。


「――ねぇ、タケル様。ハナはやっぱり、この人を殺したいです」


 静かに、独り言をもらすようにつぶやく。


「この人は他人よりも自分の都合が大事な人です。そのくせ、まるで本当はやりたくなかったような、まるで後悔しているようなふりをする。そんなの、殺された方には関係ない。そんなの、自分を慰めているだけじゃないですか。加害者のくせに」


 ハナは両の掌を己に向けた。

 どうにも気になることがあるのか、そのままじっと目を据える。

 

 まるでそこになにか、こびりついた汚れでもあるかのように。


「そういうの、ハナには許せません。そういうの、、たまらない」


 もちろん、責められているのはリーファだ。

 なのに、悄然と肩を落としているのは、ハナの方だった。


 巨大な絶望に圧倒され、魂さえ窒息しかけているのは、俺を護ってくれた方の少女だった。


 リーファにもそれが伝わったのだろう。

 戸惑いのあまりか、ハナに向けた視線は揺らいでいた。


「だから殺したい。この人を殺さないと気がすまない。だめでしょうか? ハナ、おかしいですか? がまんしないと、いけないでしょうか?」


 ひどく疲れ果てた声。

 まるでヒャクソ婆よりも年老いてしまったかのようだ。

 

 誰かにすがらなければ。

 

 許すと言ってもらえなければ、もうハナはこれ以上立っていることさえ、できそうにない。


「だめでしょうか、タケル様……?」


 俺は返事をしてやることができなかった。

 禁域への攻撃が開始されたのは、まさにその時だった。

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