29-2:外廷部
大広間と同様の黒の玉座に座るマモンは、鳥のような
「さて、本日、七十二柱の皆様にお集まりいただいたのは、兼ねてより私が進めてまいりました計画を、この場でご報告したいと思ったからです」
横柄な態度とは裏腹に、相変わらず鼻につく
玉座の真正面に座る七十二柱序列一位のバアルが、しわがれた声で合いの手を入れた。
「ほぉ……一体どんな計画ですかな?」
マモンは満面の笑みで
「人間界を焦土と化す計画ですよ」
「なっ……」
アスタロトが思わず声を上げてマモンを見た。しまったと思ったが、手遅れだった。
バアルからアスタロトへ視線を移したマモンがニヤリと笑う。
「驚くのも無理はありません。
「……」
あぜんとするアスタロトを置き去りにし、マモンは騒めく大広間を見回した。
「
マモンの言葉で場内の騒めきは静まり、壇上の玉座に座る彼へと視線が集まる。
バアルの右隣に座る序列二位のアガレスが、顔の前で手を組みながら尋ねた。
「して、どのように
壇上のマモンは、濃紺のフードを被ったアガレスを見下ろす。
「
バアルから一人飛ばして左側にいる序列五位、強壮なライオンの姿のマルバスが、眉をひそめながら口を開いた。
「しかし、ただ火種を与えただけで、それが人間界全土へと広まりましょうか?」
マモンが即答する。
「無策では無理でしょうね。ですので、そうならないよう、私が準備を進めてまいりました」
「準備……ですか」
マルバスが、探るような目つきでマモンを見た。
アスタロトは、目の前が闇で覆われていく感覚に陥る。
七十二柱とマモンとのやり取りは続いているが、彼女の耳には届かなかった。
腹の奥底からは沸々と怒りが湧き上がる。
マモンが
それを「
玉座の斜め下にいるアスタロトは、とぐろを巻く灰色の大蛇にもたれ、マモンの右隣にいるベルゼブブをひそかに見る。
だがベルゼブブは、能面のような表情で真っすぐ前を見据えているだけだった。
* * *
七つの罪源『貪欲』のマモン。彼の言葉は、ヒトだけでなく悪魔の心をも強欲にさせる。
悪魔たちにとって、ヒトの魂はそれほどまでに甘美なものだった。
異様な熱気に包まれた大広間を、ベルゼブブはアガリアレプトを従えて静かに退出する。
それを見たアスタロトも、そろりと大広間から抜け出した。
大広間と同様に黒の大理石が敷き詰められた一直線の廊下を、アスタロトは足早に歩く。
少し先のほうで執務室へと入っていくベルゼブブの影を見つけ、アスタロトもその部屋へと向かった。
バンッ!!
乱暴に扉を開けたアスタロトは、開口一番、こちらに背を向けているベルゼブブを怒鳴りつけた。
「あれは一体どういうこと!?」
書斎机のそばにいたアガリアレプトは、驚いたように体をビクつかせて扉のほうを見る。
だがベルゼブブは、アスタロトの来訪を予知していたかのように、顔色ひとつ変えずに振り向いた。
「私も今日初めて聞いたのだ」
「どうだか……」
アスタロトは吐き捨てるように言う。
その言葉を聞いたアガリアレプトが、眉を上げて反論した。
「本当です! ベルゼブブ様のおそばにずっとおりましたが、マモン様からあのようなお話は一切伺っておりません!」
横やりを入れられたアスタロトは、険のある目つきでアガリアレプトを見る。
「主がサタンの居城へ幽閉されている今、
「!!」
アガリアレプトは思ってもみなかった言葉にあぜんとする。だが、すぐにアスタロトを
「私は、常に主のことを思っています!! だからこそっ」
そこまで言うと、ベルゼブブがアガリアレプトとアスタロトの間に割り込んだ。
「アスタロト、そなたが憤るのはよく分かる。だが今は、
「……」
ベルゼブブの言葉を聞いたアスタロトの脳裏に、漆黒の髪と
「この事態をいつまで傍観しているつもり? このままだと、わらわはいずれ、あの
ベルゼブブは頭を大きく左右に振った。
「ならぬ。あの方は、わが君の血を引いておられるお方なのだ」
「……」
それがなにより気に食わないのだ、とアスタロトは心の中で舌打ちをする。
苦々しくベルゼブブを睨むアスタロトを尻目に、彼は話を続けた。
「わが君の御身のことは、私に任せろ。それよりもアスタロト、七十二柱だ。そなたの
矛先が急に自分に向き、アスタロトは気まずくなる。
「わらわが……内政に興味があるとでも思っているの?」
「わが君が不在の今、それでは困るのだ。広間での七十二柱を見て分からぬのか? 皆が一様にマモン様を出し抜こうと、目の色が変わったありさまを」
「……」
アスタロトは大広間での七十二柱を思い出そうとする。だが、マモンに対する怒りのほうが強く、七十二柱の様子にまで気を配ってはいなかった。
「わが君がお戻りになられた際、お手を煩わせるようなことがあってはならない。そこでベルフェゴール様に、そなたの補佐役としておそばに付いていただくことにした」
「ベルフェゴール……」
アスタロトはあからさまに嫌な顔をした。
七つの罪源の一つ『怠惰』を
マモンと同じくルシファーの血を受け継いでおり、大の女嫌い。女型のアスタロトも、当然毛嫌いしている。
「ベルフェゴール様は、わが君直下の軍の作戦立案を担われておられ、また、今の
隙あらば玉座を狙うマモンとは違い、ベルフェゴールは権力よりも探求心が強く、悪魔としては変わり者だった。
その変わり者がベルゼブブの願いを聞き入れたということは、事態がそれほどまでに切迫しているということなのか、それとも単にベルゼブブの口がうまいのか……。
アスタロトが思考の海に落ちかけていると、それを遮るようにベルゼブブが話を続けた。
「ベルフェゴール様の力をお借りして、七十二柱の掌握に努めよ。アスタロト、くれぐれも七十二柱から目を離すな。特に、アガレスには気をつけよ」
アスタロトは
七十二柱序列二位、公爵アガレス。元力天使で、大地を揺らす魔力を持っている。
一見、誠実そうな風貌をしているが、アガレスの言葉には常にうそが含まれているため信用ならない。
ベルゼブブの配下にある序列一位のバアルとは違い、アガレスは独自に七十二柱の一部を掌握し、虎視眈々と玉座を狙っていた。
濃紺のフードを被る老紳士のアガレスを思い浮かべながら、アスタロトはうなるように言う。
「わかった。おまえの言う通りにしよう。だがベルゼブブ、くれぐれも、ルシファー様を……わが君を頼むぞ。あの方に何かあれば、わらわはこの身とともに、
そう言うと、アスタロトは自分の口を手で覆う。彼女がふさいだ指の隙間から、紫色の猛毒が漏れ始めた。
それを見たアガリアレプトがぎょっとして思わず後退る。
アスタロトの猛毒に触れたが最後、上級悪魔といえども
ベルゼブブは冷ややかな表情で静かに言う。
「そなたの好きにするがよい。わが君のいない世界は、私にとって何の価値もないのだから」
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