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その多くが謎に包まれる作家、
小説でも書いてみたらいいのではないかと思うような文章を書く記者で、明かすところをきっちり明かし、隠すべきところは巧みに隠す。そして嘘はつかないし、隠していたところが明るみに出ると、実はこっそり書いていたことに後で気付く。
それは報道の仕事に携わる人間の書く文章とは思えなかったが、その一連を小説のように読んでみると、これがなかなか面白かったりする。
真鍋雅は、銀次郎のそう言ったところに興味を持った。そして、自分が隠している年齢や性別などと言ったものも、見事に隠してくれるだろうと考えたのだ。
インタビューを受けるのは初めてのことだったが、銀次郎はそれを理解した上で気配りができるような男だった。そして、真鍋雅の小説を、仔細まで読んでいることがはっきりとわかった。ただ、この男が取材を申し込んできたのは、ファンだからとかそう言うものではないだろう。
取材は、あっという間に終了した。
「これで、終了とします。本日はありがとうございました」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
銀次郎は、礼儀正しく一礼した。
「これからする話は、取材とは一切関係ない話ですが、よろしいですか」
「ええ」
「真鍋雅先生」
彼の言葉は、妙にゆっくりとはっきりとしたものだった。
「本名を、真鍋
「何のおつもりかしら?」
銀次郎の言葉を、途中で遮る。「どこでわたしの情報を特定したの」
「誤解しないでください。俺は、あなたに悪意があるわけじゃない。ただ、どうしてもあなたに話したかった」
銀次郎の態度は、やはりそれなりに礼儀を知っている、今時の若者は、とか言われるのを嫌う若者のそれだった。
「俺は、あなたの来世だ」
二〇一〇年、十二月。
青海優征にとってそれは、霹靂のような出会いだった。奈緒子の前世を知った時にも衝撃を受けたが、その比ではなかった。
謎多き小説家、真鍋雅。
デビュー作となった『イデア』で新人賞を受賞し、あらゆる賞を総なめにした、ミステリー小説作家だ。グロテスクでサディスティックな作風で、端的に言って好みが分かれるはずなのに、人を惹きつけてやまない。
自身は、本人にまつわることを何ひとつとして明らかにしていない。年齢、性別、ペンネームか本名か、その他諸々。
ファンの間では様々な憶測が飛び交い、インターネットの掲示板ではあらゆる考察がなされていた。高名な作家があえて別人を名乗ったのではないか、不祥事でお茶の間から姿を消した俳優ではないか、マスコミに追われたくなくて正体を隠している学生ではないかなど、想像力は多種多様である。
実際には、還暦をいくらかすぎた老婦人であった。
髪の毛は白いものが多いが豊かでもあり、顔は皺が多いが肌には染みもなく白く美しい。穏やかな目元に、優しそうな物腰。電車の中で席を譲ろうと声をかければ、こちらが嬉しくなるような笑顔を向けてくれそうな、そんな老婦人である。
そんなことは、彼女の人生を覚えている優征がわざわざ知る必要がない情報だ。彼女は、優征の前世のひとりだったのだから、とっくに知っている。
フリージャーナリストの銀次郎として活動していた彼が、ある日書店で見たのが、平積みにされた『イデア』だったのだ。
それはまさに、霹靂以外の言葉では、表現できない衝撃だった。前世がこの世界のどこかで生きているなんて、どうして考えられたのだろう。
そして、気付いたのだ。
あの日、真鍋由美子だった自分は、確かに銀次郎とか言うジャーナリストの男の取材を受けていた。それが、彼女が生涯で一度だけ受けた取材だった。
あれは、自分だった。
「わたしの、来世ですって」
細められた視線は、穏やかでありながら世の中の厳しさを知っている、老婦人のそれだった。
「どう言うことかしら。わたしは、まだ生きているわ。歳は重ねたけれど、まだ元気なつもりよ」
「ええ、仰る通りです。だけど、あなたは俺の前世だ。正確に言えば四つ前の前世ですが、そんな細かいことはどうでもいい。だから俺は『イデア』を書店で見た時、取材を申し込まずにはいられなくなったんです」
「では、あなたは、わたしがあなたの取材を受けることを知っていたのね?」
「知っていました。ですが、俺はそれが俺だなんて、気付かなかった。だから、あの時、俺は俺のことをサイコパス野郎だとしか思わなかったんです。そうでしょ?」
「そうね。けれど、だからと言って切り捨てることもできない。あなたがわたしならば、わかるでしょう?」
「はい、わかります。そして、あなたは、こうも思うはずだ。本当だとしたら、前世と会って話したいと思う気持ちは、わからないわけではないと」
「そうね」
由美子の返事は、少し間があった。
「その通りだわ。全部、あなたの言う通り。信じられないけれど、事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものね」
「俺たちの人生は、どんな小説よりも奇怪だと、俺は思います」
「ふふ」彼女は小さく声をあげて笑った。
「まったく、その通りだわ。何回も人の人生を乗り移って、目の前にはわたしの来世だと言う男の子がいるのよ。小説にするには、これは変すぎるわ」
「俺もそう思います」
優征も、苦笑せざるを得なかった。
もし、二〇二一年が訪れたら、また会おうと約束して、真鍋由美子と別れた。
奈緒子に、伝えてみたかった。あの時の銀次郎は、自分なのだと。
だから、もしかしたら、奈緒子も天宮知彰に会えるのではないか。そう思いながら、だけどそこにどんな意味があるのか、見出せなかった。ただ、奈緒子はずっと、あの男が好きなのだろう。以前は奈緒子が好きだったけれど今はそうでもない気がする自分とは、違う。
優征には、やらなくてはならないことがあった。だからこそ、ジャーナリストの道を選んだ。
小説を書くのは、全てやりきってからでもいい。
その時が訪れるのかは、問題ではない。反例がある命題は偽になる。その反例に、自分がなれるかどうか、それだけだ。ただひとつ言えるのは、記憶が途切れるだけで、死ぬとは決まっていないことだ。
時々記憶に巡る、ひとりの少年による、少年犯罪の記事を探す。
姉らしき女を絞殺して逃げた少年の記録は見つからない。まだなのかもしれない。ただ、しばしば夢に見る記憶をゆっくりと書き起こしてみると、わかることがある。
少年は右手にあった包丁を使わずに、左手でコートのポケットにしまっていたベルトを使って姉の首を絞めた。彼は、多分左利きだ。右手の包丁は、見せかけの凶器だった可能性が高い。つまりそれは、彼の殺意は本物で、しかも突発的なものではなかったと言うことだ。
何か理由があるのではないだろうか。人を殺していいとする正当な理由なんてあるのか疑問だが、本当に追い詰められた時や欲が目の前に横たわる時など、倫理や道徳なんてあっさり押し退けられてしまうだろう。飛べないハードルは蹴り倒せばいい。蹴ると、多少の痛みは伴うだろうが。
「ひとつだけ聞いてなかったね、奈緒子ちゃん」
ふと、独り言ちる。
「君はこの世界を、どう思ってた?」
あと、十年。
生きるのにも戦うのにも、短い時間だと、優征は思った。
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