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 二〇一八年、七月。

 陽射しが暑い日に、わたしは生まれて初めて貸衣装の喪服に袖を通していた。

 桐嶋さんから、美月のお葬式の日程を聞いていた。わたしはそれに参列して、声をかけられるままに彼女の実家まで訪れていた。

「来てくれてありがとう」

 わたしを迎えてくれたのは、美月の母親だと言う女性だった。

「娘も、喜ぶわ」

 美月にはあまり似ていない気がしたが、わたしの知っている美月は、派手な格好を好む明るい女の子だった。だから、目の前の娘を失った喪服の黒髪の女性は似ていないように見えてもおかしくも何ともなかった。

「いえ。突然の訪問だったにも関わらず、受け入れてくださって、ありがとうございます」

「咲ちゃん、だったわね」

「はい」

「娘から、よく聞いた名前だわ」

「わたしのことを?」

 美月の母親は頷いた。

「こうして来てくれたあなたを見ると、わかるような気がするわ」

 そうかもしれない、とは思ったが、言わなかった。クラスメートは人気者だった彼女をあっという間に忘れて、わたしは友達だった彼女をずっと覚えていた。

 美月の母親は、わたしの前に冷えた緑茶を出していた。

 高校時代に、わたしは美月に余り物でアクセサリーを作ることを約束していたが、結局それを果たすことはできなかった。二年生の時に文化祭で余った布材を使ってわたしが作ったのは、彼女の金髪によく似合う、真っ赤なシュシュだった。事情を聞いた美月の母親の厚意で、わたしはそのシュシュを彼女の棺に入れさせてもらった。

 数年越しの約束は、灰になって果たされた。残酷なほどわたしは泣けなくて、あの世で使ってくれるかなんて感傷に浸ることもできなかった。もっと何かやりようはなかったのかと、自分の無力さと愚かさに苛まれるだけだった。

 棺で眠る美月は、高校生の時とあまり変わらなかった。

 金髪のままで、服装やメイクは納棺師さんの手によって在りし日の彼女そのものの姿になっていた。ただ、顔にはメイクでも隠しきれないような、大きな痣があった。

「高校生の時のあの子は、反抗期だったけれど、一番楽しそうだったのよ」

 まさに反抗期真っ盛りの頃の姿で送った理由を、美月の母親はそう語った。美月の派手なものを好むファッションセンスは、ずっと変わらなかったようだ。そう言えばわたしには反抗期はない。わたしのやりたいようにさせてくれる父に、反抗する理由もないからだろう。

「わたしのこと、美月はどう思ってたのでしょう」

「許されるならまた謝りたいって」

「謝る?」

「怖い思いをさせたから、って」

 わたしの首筋を噛んだことだと、すぐに気付いた。彼女の瞳には狂気のようなものを感じたが、当時の記憶ははっきりと残っていたのかもしれない。それか、誰かから聞かされたか。

「あとは、千円奢るとかなんとか。こっちはよくわからないけれど」

「ああ、そう言えば美月に、千円貸したまま返してもらってなかった気がします。それかな」

 きっとそれだろうと、美月の母が肩を竦めた。すっかり忘れていた。アルバイトをしていない高校生にとっての千円は、確かにそれなりのお金だけれど、律儀なものだ。

「差し支えなければ、美月がどんなだったか、知りたいです」

「いいわよ」

 ハルナ病β型の症状を聞かされた美月は、自分の喉の渇きの原因が突き止められて安堵したらしい。

 わたしが無事だと知った時は自分のことのように喜んだらしく、首筋を噛んで血を吸ってしまったことは謝りたいと言っていた。それが、友達というものなのだと彼女は言い切ったらしい。

 治療して、わたしに謝って貸していた千円を返すことに彼女は前向きで、その前向きさから様々な治験に積極的に参加していった。

 美月が主に参加していた治験は、薬物で衝動を抑える実験だった。血液中のどの成分を身体が欲しがっているか、様々な成分を閉じ込めた薬を飲んでは、血液の代替品を探り当てる実験である。

 その治験は成功し、美月は薬によって衝動を抑えることができるようになって、多くの人を救うことになった。そうして、通信制の高校に進学した。

 その頃の彼女は、明るい女の子に戻っていた。時間が経って黒く伸びた髪も染め直して、自室で使えない分だけ制限のある鏡の前でメイクをするようになった。外で化粧道具を買う彼女を見て、実家暮らしを条件に施設から出ることも検討されていたらしい。

 高校を卒業して施設を出たら、わたしに会うと、美月は言っていたらしい。

 美月の母親が詳しく知っているのは、ここまでだった。

 急に未知の症状を発症したことで隔離されたと聞かされ、数日後には帰らぬ人になったと聞かされたと言う。ω型の症状を考えれば無理もないが、その間は氷室さんから状況を聞くだけで会うことはできなかったらしい。詳しい話を聞きたくても、彼女は自分にもわからないの一点張りだったという。

「ありがとうございます」

 わたしは、心の中にある重たく冷え切った氷の塊のようなものを誤魔化して、それだけを言った。

 美月との関係は、まるで一輪の花のようだった。儚くて綺麗で、それなのに呆気なく散っていった。互いに来ると信じていた次の春は、永遠に訪れなかったのだ。

 だから、決して枯れないのかもしれない。

 帰りに、わたしはスマートフォンを手に取り、連絡すべき人に連絡した。

 もう一輪の花を、凍りつかせる覚悟で。

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