落陽
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暗闇の中で眼を閉じていると、現実と幻想の境界がわからなくなることがある。
わたしはその感覚から自分を引き戻すように、眼を開ける。眼を閉じていた時間は、三秒ほどだろう。
別に疲れているとは感じなかった。ただ、慣れていない環境に身を置くとき、わたしはそうやって一度視界を閉ざす癖があった。それで落ち着くわけではないけども。
地下に向かう階段を降りて扉を開くと、薄暗い空間に、八十年代頃の洋楽が流れていた。
予約してあると聞いていた名前を告げると、小さなテーブル席に案内された。相手はまだ来ていないようだ。
わたしは少し迷ってから、ジン・トニックを注文した。カウンターの向こうでバーテンダーの男性が、カクテルを作った。軽やかな音がしばらく響いた。
出されたジン・トニックに、口をつける。先に飲み始めてしまうことがマナーとして正しいかはわからなかったが、しばらくこの空気をひとりで楽しんでみたかった。
グラスが三分の一ほど開いた頃に、目の前に男性が現れた。
年齢は知らないが、わたしよりも少し歳上だろう。ワイシャツにダークグレーのスラックス、眼鏡をかけた背の高い細身の男性である。夏だから、ジャケットは羽織っていなかった。
「待たせたな」
彼はわたしの向かいの椅子に腰を下ろして、バーテンダーにマルガリータを注文する。
「珍しいですね、
「確かに待たせたが、遅刻はしていないだろう。二分前だ」
「わたしが遅刻だと言えば、遅刻です」
「無茶苦茶だ」
「桐嶋さんは、わたしにはよくそう言ってました」
「うるさい」
眼鏡のブリッジを押し込む桐嶋さんの不機嫌そうな表情は、無茶苦茶なことを言った事実を認めていると言っているようなものだ。桐嶋さんは基本的には優しい人なのだけれど、時間に対しては厳しいを通り越して理不尽な人だ。
「そう言えば、君はもう二十歳になったんだったな」
彼は、話題を変えるように目の前にあるわたしのジン・トニックのグラスを見て呟いた。
「そうですね、二ヶ月前に二十歳に……桐嶋さん、まさか何も考えないで未成年かもしれない女の子をバーに呼んだわけじゃないですよね?」
「馬鹿め。そんなわけがあるか」
桐嶋さんは、言葉とは裏腹にどこか楽しそうに切り返した。
時々、この人は
「酷い。さすがに今の流れで、馬鹿だと言われる筋合いはないです」
「少しくらい、感慨深い気持ちにさせろ。少しは大人になったとか、言ってやろうかと思ったのに」
桐嶋さんが、軽く顔を背けて眼鏡のブリッジを押し上げながら呟いた。そう言えばいいのに。この人が素直じゃないのは、変わらない。世に言うツンデレ、ではないと思うけれど。
桐嶋さんが軽食を注文した。何も食べないでお酒だけ飲むのは身体に悪い。
「それで、わざわざここまでわたしを呼び出した理由は?」
桐嶋さんが、マルガリータを一口だけ飲んだ。
「
わたしは頷いた。
吉岡美月は、高校生の頃のクラスメートだった。一緒にいた期間は短かったが、わたしは彼女のことを忘れたことがない。
「彼女が、死んだ」
思わず、顔を上げていた。
「えっ?」
何故、桐嶋さんが、わたしよりもクラスメートの訃報の早く知り得る立場にあったのか。そもそもわたしと桐嶋さんは、どんな関係なのか。
その説明のために、わたしは三年前に記憶を戻さねばならないだろう。
話は遡ること三年前――二〇一五年。
高校二年生になって少し経った五月、ちょうどゴールデンウィークが終わった頃のことだった。
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