第6話

新人技師がいつ来るか分からないまま、尾山の元には軍から出された要求書が届いた。

「…………。舐めてるだろコレ……。」

要求書に目を通した尾山はまず自分の目を疑った。

世界最高速度、世界最長航続距離、世界最高高度……。それを国内の非力なエンジンでやるのだ。

「無茶だぜ……。」

尾山は首を横に振って、突っ伏した。

舞った要求書を難しい顔をしてソラが読み始めた。

その時である。


ドアが開いた。


いつもなら払い飛ばしてでも隠すのだが尾山は要求書のせいで突っ伏しており対応ができない。

しかも、最も隠れづらい大机の天板の上ど真ん中である。

「「「!!!!!」」」

一人は起き上がったその勢いで後ろに倒れ、一体は慌てて要求書で身を隠そうとし、一人は大きく後ずさった。


「……どうやら私はとんでもないものを見てしまったようですね。」

ドアを開けた張本人はそう感想を漏らした。ずれた眼鏡を直すと、早速大机の上でジタバタしているソラを捕まえると

「おい、どこへ行くつもりだ!」

尾山は名も知らぬ男の肩を掴んだ。

「私はあんまり生物学には興味ないのですが、世紀的な発見になりそうなので研究所にでも連れていこうかと。」

男はにこやかに笑って去ろうとする。

「た、たすけて。」

ソラは顔を真っ青にして叫ぶ。

「しかもしゃべるのですか。これは人類史に名を残せましょう。」

「…………お前が国から派遣されるとかいう技師なのか?」

苦し紛れの時間稼ぎにそんな質問をしてみる。

「いかにも。私は堀武雄と言います。九六艦戦を作ったという尾山技師に関心がございましてやって来たのですが、もっと面白いものを見つけてしまいました。」

「ほう。九六艦戦に興味あるのか。」

「ええ。まあ、鋲一つ取っても革新的な機体ですし。」

尾山はひらめいた。

「あの鋲の発想はそいつだぞ。」

ソラの方を指差した。

「そいつがいなかったら九六艦戦は出来なかっただろう。」

「…………。」

「連れてってもいいが、新しい奴は作れないかもなあ?」

尾山がそう言うと、堀は諦めてソラを机にそっと置いた。

蜘蛛の子を散らすようにソラは尾山にしがみつく。


「で、要求書はこんな感じだ。」

改めて要求書を開くと

「最高速度500kmですか……。」

「まあ、それはいいんだがな、九六以上の運動性とこの航続距離を求めるとなると……狂ってるとしか言いようがないな。」

二人は文句を言いながらも着々と設計図を書き始める。

「あ~、ダメだ。そっちは?」

椅子を傾けて上を向く。

「やっぱり、駄目ですね……。」

二人とも思案に暮れ始めた。


二人が黙りこんでいるので、ソラはこっそり出て来てコーヒーを煎れ始めた。

「どうぞ。」

ソラは堀に向かって、コーヒーカップを押し出す。

「ああ、これはどうも。」

堀がにこやかに受け取るとソラもニコリと笑った。


一ヶ月が経ち、設計室には山の様に紙が積もっていた。

「やっぱり、性能をしぼった方がいいんじゃないんですか?」

堀は紙たちを睨み付けて言う。

「それはダメだ。そんな事は許せねえ。」

「何言ってるんですか。このままじゃいつまで経っても完成しませんよ!」

「そんな事は分かっている!」

二人の間に険悪な雰囲気が流れる。

「……では、こうしましょう。全然決まらないのは主軸が無いからでしょう。ここはその軸を決めたらどうでしょう?」

「なるほどな。じゃあ格闘性能にしよう。」

「いや、待ってください。そもそもそこまでたどり着けなかったら意味無いですよ。なので航続力と速力でしょう。」

「それじゃ、戦いになったら勝てないだろ!」

「格闘性能だけだったら戦いになりません!」

二人はお互いに、にらみ合って喧嘩を始めてしまった。


その様子を見ていたソラは設計室の棚を漁り始めた。

「いつになったら折れるんだこのクソ眼鏡!」

「何度言えば分かるんですかこの石頭!」

ソラはとあるものを持って二人の目の前の机に飛び降りる。

「!!」

それは、ついこの前に設計室にやって来た

「超々ジュラルミン……。」

「何ですか? このネジ……。軽いような?」

二人が不思議がっていると、ソラは答えた。

「たぶん、ギリギリまで軽くすればいいと思う。」


「「それだ!!」」

二人は声を揃えた。


それ以降、あっという間に設計図が書き上げられていった。

「九六とおんなじで、沈頭鋲とねじり下げだな……。」

「ネジとかボルトも出来るだけ軽くしましょう。」

「あしは折りたためるようにして。」

限界まで空気抵抗を減らし、機銃も新しくして。


「出来た!」

二週間程で誰からともなくそんな声がした。

尾山は興奮した様子で右山に設計図を届けに行った。

「あっ、尾山さん。…………ついに完成したんですね?」

「そうだ。」

「社長は出来ないかもって言ってましたけど、尾山さんならきっと作ってくれるって信じてましたよ!」

右山は嬉しそうに笑って工場の方に消えていった。


出来上がったのは十二試艦戦、後の零式艦上戦闘機である。


「しかし、あんな過酷な要求をよく満たせたなあ……。」

社長はガレージに置いてある零戦を見上げた。

「やっぱり堀君のおかげなのか?」

社長は堀の方を振り返る。

「いえ、私たちも行き詰まりましたが、小さな妖精さんが天啓をくれたんですよ。」

「小さな妖精?」

「…………。まあ、例えみたいなものです。」

横の尾山が肩を小突いて睨み付けてくるので、堀は言葉を濁さずを得なかった。

軍側も零戦の凄さを認めたので、テストパイロットも愛菱から出さなくても良いことになった。


多少の事故に見舞われたものの、当時としては信じられない程の高性能を叩き出し、色々な所から称賛の声が届いた。

「大成功だな。」

「ええ。ソラさんの助言の後の手際はさすがでしたよ。」

「お前こそ。」

互いに拳を交わして、酒を持ってきたその時である。

机の上のネジを転がしていたソラの体が、また、光った。

「うおっ!」

尾山はあまりにも眩しいので目を覆った。

「え? な、なんですか? これは……。」

「たぶん……『成長』だ。」

尾山の言うとおりソラの体が縦横に伸びていく。

前の時よりも強い光を放ち、ぐんぐん大きくなっていく。

すると、身長が一五五センチメートルほどになった所で『成長』は止まった。


「私はソラよ!」


これまでの抑揚のない声とはうって変わって、元気な声を響かせた。

「お、お前……その姿まるで……。」

「そう。前とおんなじで、今度は二人分の夢をもらって本当の姿になれたわ。」

すっと伸びる体躯に、長い雲色の髪を一つに束ねていた。何よりも抜けるような空色の瞳が印象的だった。

その少女は、髪を払って言った。

「まあ、これからもよろしくね。」

少女は晴れるように笑った。

「あ、ああよろしく……。」

「私、生物学にも興味が湧いてきました……。」

二人とも現実についていけず、おかしな反応をした。

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