第5話

ソラに噛まれまくること五日。


「ほんっっと、凶暴になりすぎだろお前。」

「だいたいコーイチのせい。」

「…………。」

大きくなってから通算十八度目の噛みつきの後、尾山はそんな事を愚痴った。

ちなみに、理由は「昼御飯を少ししか分けなかったから。」である。

「だいたい、食いすぎなんだよお前……。」

「そんなことない。」


コンコン


言い合う二人を切り裂く音が一つ。

ソラは急いで、机の下に隠れる。

やはりドアを開いて現れたのは、右山だった。

しかし、その表情には見覚えは無かった。

「尾山さん! 尾山さん! ついに出来ましたよ……!」

顔だけではなく、全身から感じる達成感の三文字はこれまで感じたことの無い表情だった。

「……そうか。」

しかし、尾山は素直に喜びを表さず、前と同じ答え方をしてみた。

「そうか、じゃないですよ! さ、早く見に来てください。社長も待ってますよ。」

「はいはい。」


尾山は右山に手を引きずられて、「新時代の飛行機」が待つ滑走路に連れてかれた。

一方、ソラは面白い飛行機が見れそうだという事で、物陰に隠れながら、尾山たちを追った。


尾山を待っていたのは、太陽の光を眩く反射している「新時代の飛行機」と少し腹の出た社長と、作業服に身を包んだ従業員たちだった。

「尾山君、ついに完成したようだね。新時代の飛行機が。」

「ええ。でも、まだ喜ぶのは早いですよ。」

「そう、君の言うとおりだ。どんな飛行機もちゃんと飛ばなきゃガラクタと同じじゃな。つまり、こいつが飛ぶかの試験をして欲しいのだ。」

「それで? テストパイロットは誰がやるんですか? ここには誰もいないようですが……。」

「君じゃ。」

尾山の質問に、社長は尾山をビシッと指差した。

尾山は自分の後ろに誰かいるのかと思い、いや、信じて振り返ってみるが、誰もいない。

「心配せんでも、やるのは尾山君、君じゃよ。」

「俺ですか?」

「ああ、すまんな。こんな危険極まりない役を押しつけてしまって。」

「はあ……。」

「そんな不安そうな顔しないでくれ。ワシはここの工場の腕を信じている。」

社長は後ろの工場の方を向いて笑った。

「それに、いざとなったらこの不肖、右山幸太天国までついていきますから!」

それに応じる様に右山は手を振った。

「わかりました……。そこまで言うのならやってやりましょう。……後、右山は殉死なんてしなくていい。」

「え、そうですか?」

「ああ、お前なんかに天国まで来られたら、疲れるだけだからな。」

「……、せっかく尾山さんの優しさに触れたと思ったのに。」

右山は肩を落とす。

「はははっ、まあ、準備してきてくれ。」

そう言って、社長は強く尾山の背中を叩いた。


さて、物陰でその話を聞いていたソラは、従業員たちの目を盗んで、操縦席に潜りこんでいた。


そして、愛用のゴーグルと三千メートルまで上がるために防寒着を着用した尾山はエンジンの暖気運転の完了を待っていた。


ちゃんと設計通りになっているかキョロキョロとコクピットを見回していると

「ソラ? こんな所で何してるんだ?」

入れた覚えの無いものが侵入していた。

「楽しそう。」

一言答えたので、尾山は外につまみ出そうとする。

「待って。バレちゃう。」

ソラの言う通り、辺りには人がたくさんいる。外に出すのは自爆行為だろう。

「計算通りってことかよ……。」

尾山は頭を抱えた。

ふと前を見ると、エンジンの温度のメーターが稼働可能領域を指していた。

「おーい! 離陸に入るぞ!」

外を見たがるソラを押し留め、コクピットから顔を出して知らせる。

するとすぐに旗が上がる。

「離陸良し」のサインである。


「よし。」

尾山はゴーグルと飛行帽をいつも以上にきつくしめた。

真新しい操縦捍に手を当てる。ブレーキレバーを引く。走り始める。


「いい感じ?」

ソラが覗きこむ様に聞く。

「ああいい感じだ。」

時速百キロを示した瞬間、尾山はフラップを下げて、操縦捍を引いた。

「おおお!」

ソラは驚きに溢れた顔でコクピットから顔を出して色んな方向を眺める。すると、

「羽が切れてる。」

心配そうな表情を向けた。

「あれはフラップつってな、飛びやすくしてるんだ。」

国内では初めての機構である。尾山は得意気だった。

「とびやすく……。」

ソラは興奮した様子で反芻した。


「はやい……。」

ソラは雲色の髪をバタバタはためかせながら目を細めた。

「だろ? これが単葉機の凄さって奴だ!」

抵抗の少ない単葉機はその分速い。しかもリベットが全く出っ張ってないのでなおさらである。

「さあさあ、もっと速くするぜ!」

尾山はニヤリと笑う。

エンジン音はどんどん高くなり、やがて

「四五一キロだ!」

尾山は子供のようにはしゃいだ。

ふと外に目をやると、物凄い勢いで雲が過ぎ去っていった。

操縦捍を引く。

「あわわわ……。」

急上昇にソラはついていけないらしい。

そして尾山は雲から飛び出ると、途端に縦横無尽に動き始めた。

しばらく暴走すると、

「ふはは、この羽はな、ねじり下げつってな……てあれ?」

「ぶくぶくぶく……。」

あまりにも、きりもみだの、宙返りだのと繰り返したため、ソラは泡を吹いて気絶していた。

「…………。」


その後、ゆっくりと高度を下げ、ふわりと着陸する。

尾山はソラを懐に隠し、コクピットから下りると盛大な拍手に迎えられた。

「大成功だったね、尾山君!」

社長は興奮して鼻息が荒かった。

「ええ、ありがとうございます。」

尾山は深々とお辞儀をする。

「それで、何キロ出たんですか?」

右山も嬉しそうな顔を尾山に近づけて尋ねた。

「ヨンゴーイチだ。」

「ヨンゴーイチ!? スゴいですね! さすがですよ!」

「ははっ、まあな。」

そのあとも尾山は、「さすが」とか「万歳」とか口々に言われた。


そのままの流れで大宴会が開かれ、酒に酔って帰ってくると、上着がもぞもぞと動いた。

「!?!?」

尾山は思わず後ろに倒れた。

当然ソラである。それも髪を逆立てた。

「はあ!? ……まま待て、おおお落ち着け?」

手で制そうとしたが無理だった。

ガブッ、ガブッ、ガブガブガブ!

「んぎゃああああぁぁぁぁーーーー!」


その後試作機は東京に送られ、見事コンペを勝ち抜いた。

愛菱にも注文が飛ぶようにやって来るようになり、工場も三回り程大きくなった。

尾山は、舞い込んでくる修理の依頼を解決しながら休息を取っていた。

「はあーー。修理多いなあ。」

天井を眺める。

「たいへん?」

「いや? むしろ修理の度に誉めてくれるからな、嬉しいよ。……ありがとな。」

尾山はそっとソラの小さな頭を撫でる。

すると突然、壊れんばかりの勢いでドアが開いた。ソラは慌てて隠れる。

「尾山君! 次の仕事だよ!」

入ってきたのは社長だった。

「はあ……。今度の相手はどこですか?」

尾山はコンペの相手を訊いた。社長は首を振る。

「国がね、わが社愛菱だけに依頼してきたんだ。君の腕を見込んで!」

「!!」

「まああの九六艦戦はよく出来てたからね! フハハハ!」

九六艦戦とは、この前の試作機の制式版である。

社長はもはや跳び跳ねそうである。尾山も拳をグッと握って突き上げた。


二人はしばらく喜びあった後、

「そう言うわけで、国からの要求とか予算とかはまたあとで言うよ。」

社長は背を向けるともう一つ付け加えた。

「あと、国からもう一人の技師がやってくるってさ。」

そう言い残して帽子をかぶり直すと帰っていった。


「新しい技師だと?」

尾山はひょっこりと顔を出したソラの方を向いて首を傾げた。

「……めんどくさい?」

ソラの言うとおり面倒の一言である。

設計を二人でやると言うことはその分紆余曲折が増える。

しかも、尾山の場合は隠さなきゃいけないものがある。

ソラである。

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