第2話

結果から言おう。

その希望は大きく外れた。


「うーん、、今は六時十分……か…………って、うわぁっ!!」

尾山は枕元にいた曲者に驚き、大きく後ろに吹っ飛んだ。


「……ん?」

妖精はすやすや寝ている。今ならつまみ出す事も可能ではないか?と尾山は考えた。


「そーっとな、そーっと」

妖精を起こさないように静かにつまみ、持ち上げる。

「うーん……。ガレージの外にやっても帰ってきちゃうだろうなぁ」

尾山は顎の下に手をやって考えてみた。

そして、ガレージで眠る、例の四枚羽根の飛行機に目を留め、

「あっ、そうだ。アイツに乗せて空から落とせばいいな……。夕べ、床に叩きつけたのにどっっこも怪我してなかったしな。低いところから落とせば大丈夫だろ」


そうと決めると、妖精を操縦席にそっと置き、早速尾山は飛行機を滑走路に引きずっていく。


離陸地点にセットし、エンジンをつける。

いつでも乗れるように操縦桿に引っかけてあるゴーグルをつけると心がギュッと引き締まる。

エンジンと共に身体中が空に駆け上がる準備が整っていくのが解る。


「プロペラ、起動」

その声と共にプロペラが回り始める。

もうすぐ来る。尾山が大好きな最高の瞬間が。


ゆっくり飛行機が動き始める。当然、フルスロットル。


地面を擦る音が小さくなって、機首が空を見る。


飛ぶ!!


そう思った瞬間に摩擦音は消える。

操縦桿を握って、しっかり高度を取る。

本当はスクラップを飛ばすのなんてご法度だが、事故さえ起こさなければ誰も気に留めない。


なので、よほど天候が荒れてない限り高度五百メートルぐらいとっておけば問題ない。


しかも五百メートルもあればこの近辺を周遊する分には山にもぶつからない。


高度の目測として眼下に広がる名古屋の町並みを眺める。

「ん~~。今日も平和だなぁ~。」

そう言って満足げな尾山だが、にやけ顔からも分かる通り、飛行機をブン回すのが大好きなのだ。その好きさは、ゆうに三食の飯を越している。


エンジンと風の音が響くが、別に相当苦情が来なければ捕まりはしない。

「さて、この平和な名古屋の町にそんじょそこらじゃお目にかかれない爆撃を見せてやりしょうかねぇ。」

ニヤニヤしながら、傍らの妖精をつまみ上げる。


そして、ゆっくり床の無い操縦席の外に持っていく。

「アハハハハハハ!! じゃあな、達者……っ!!」

最後ぐらい見てやろうと妖精の方に目を向けると、その目はしっかり開いていた。


「ッ!!」

尾山はまた噛まれるんじゃないか、と思い目をつぶった。


「……ハッ!! お、俺は何をしてるんだ……。」

しかし、目をつぶった瞬間に自分のやろうとしていた事はただの殺戮じゃないかと。いくら仕事が上手くいかないから、いくら目の前の妖精が死ななかったとしてもそんなことをしていいのか。


「ごめ……」

ごめんな、そう言おうとして言い淀んだ。

その相手はその小さな瞳を一回り、いや二回り大きく輝かせていた。

目下に広がる名古屋の町並みを凝視しながら。


そして一旦操縦席の中に戻すと、妖精は外を指差していた。

「ん? なんだお前も空が好きなのか?」

そう問うと、妖精はこれ以上ないぐらい首をコクコクと縦に降った。


「そうか、そうか。空が好きかぁ。下の景色も見せてやりたいけど、危ないんだよなぁ……、あっそうだ」

尾山は指を鳴らし、備え付けの紐で妖精を結びつけ、もう片方を自分の指にきつく結んだ。


そして、妖精をするすると操縦席の外に少しだけ出してやる。

「どうだ? 楽しいか?」

妖精が首を縦に振るのが紐から伝わってきた。


尾山はすっかり上機嫌になり、岐阜城上空でターンした後は歌っていた。


そして、行きと同じ距離進むと、

「降りるぞっ!」

その掛け声と共に、機首を目の前に見える滑走路に向けた。


「着陸、三、二、一……」

そして、地面との摩擦音が聞こえ始める。


やがてその音が消え去ると、尾山は妖精を肩に乗せて、飛行機から降りた。


もう一度妖精の方を見てみると、興奮冷めやらぬ様子だった。

「確かに、飛行機の操縦席で見つけたんだから、空が好きなのは当然かもな。」


そんな事をつぶやきながら、さらにこの妖精に興味を湧かせた尾山は、

「ところで、お前名前とかあるのか?」

と聞いてみた。


妖精は首を横に振る。

「じゃあ、名無しってことか?」

今度は首を縦に振る。

「俺が名前をつけてもいいか?」

首を傾げたあと、縦に振った。

「じゃあ、『ソラ』って言うのはどうだ?」

妖精は口をパクパクしていた。多分、復唱しているのだろう。声は出していないが。

「ちなみに、漢字で書くと『天』な。」


妖精は口をパクパクしたり、時々首を傾げたりしたあと、花が咲くような笑顔で応えてくれた。



「さて、仕事再開といきますか。」

尾山が自分に発破をかけるように言うと、ソラは自身を指差していた。

「ん? それは……何かできることは無いかってこと?」

コクコクとうなずくソラに

「うーん……ないなぁ……。」

と返すとソラはガックリ肩を落とした。

「そ、そんなにがっかりすんなよ。……じゃあ、そこらへんで遊んでてもいいぞ。でも、この部屋から出るなよ。」

そうフォローを入れてみるが、ソラの肩は上がらなかった。

だが、そこに置かれていた鉛筆で遊び始めたソラの笑顔を見て、尾山は作業に入り始めた。


「ここをこう……いやこっちの方がいいか……。」

ソラの鉛筆が転がる音と尾山の鉛筆が丸くなっていく音の中、ノックが響いた。

「!!!!」

尾山はとっさに鉛筆入れをソラに被せた。


ソラが見つかる訳にはいかない尾山はなるべくこの部屋には自分しかいないように振る舞うことにした。

「何だ。右山。」

やって来たのはこの設計室の横にある工場で働く右山だった。

「いや、先ほど社長が来て『まだ設計図は出来ていないのか』って言ってましたよ、って伝えに来ただけですが。」

「……そうか。」

「コンペまであと二ヶ月切っているんですが。試作機作るのもそれなりに時間が必要なので、早くして頂きたいのですが……。」

「……そうか。」

コンペというのは二ヶ月後の十二月二日に行われる

大島飛行機と次期戦闘機に関して我が社愛菱とどちらが優れているかを決めるものだ。

実際に戦闘機を持っていかなくてはならないので、早く設計図を仕上げなくてはならなかった。

また、このコンペは愛菱にとって大きな賭けである。

小規模な愛菱があの大手の大島飛行機から次期戦闘機開発社の座を奪えれば、国からたくさんの資本金と大量の注文が出る。

だが問題もあって、最近まで時計製造をしていた愛菱にとって戦闘機製作というのは全く未知の領域だった。

加えて、指定された条件には「時速370㎞以上であること」というのがあるのだが、これは四枚羽根の複葉機では達成しえないのはガレージに置いてあるヤツによって証明済みであった。

つまり、この条件をパスするには二枚羽根の単葉機にする必要がある。

しかし、我が国はまだ一度も単葉機の戦闘機というものは作ったことがないので、凄まじい茨の道になってしまっている。

だが、昨今の不況により、借金を負っている愛菱はここで成功の風を吹き込まなければ、つぶれてしまうだろう。


「そうか、そうかじゃないですよ! 尾山さんのやつが出来ないと、尾山さんも僕も路頭に迷ってオダブツですよっ!」

「……そうか。」

尾山は右山の言うことがよくわかっていた。しかし、「そうか」としか答えられないのには理由があった。


いくら急かされても、いい設計図が出てこないのだ。

スピードが足りなかったり、空中でひっくり返ってしまったり、そもそも離陸できなかったり……とイマイチなものしか出来なかった。

なので、尾山は「そうか」としか言えないのだった。


そんな事を言い合っているうちに鉛筆入れが突然動いた。

もちろん動かしているのはソラなのだが、右山はそんな事は夢にも思わない。

「えっ、今動きませんでしたか?それ。」

「そんなわけがあるか。」

突然動き始めたソラが見つからないか心臓が爆発しそうだった尾山だが、動揺して右山を近づけるわけにもいかないので、抑揚をかなり抑えた冷たい声で応えた。

「作業を続けたいから、出てってくれないか?」

「はぁ……。ともかく早く作って下さいね?」

「ああ。」

やっとドアが閉まる。五分程度しか経っていないが、尾山にとっては数時間程のように感じられた。


冷や汗を流しながら、しばらくドアを睨み付けた後、

「ごめんな。突然被せちまって。でも、見つかる訳にはいかないからな。見つかっちまったら、軍とかの奇特な奴らに解剖されてあちこち調べられるぜ?」

尾山が脅すように言うと、ソラは縮み上がるように震えた。

「ははっ。冗談だよ。でも、隠した時に暴れないでくれよ? 本当に見つかっちまうから。」

念を押すように言うと、ソラは震えながら首を縦に振った。


日が暮れ、外も完全に真っ暗になっていた。

「……。今日も出来上がりそうにないな。」

尾山は哀しそうな顔をした。


「いただきます」

尾山は右山が差し入れとして置いといてくれた弁当を広げる。


中身は白黒のおにぎりが三つというシンプルな物だった。

いや、それだけではない。

「んー? 何だこの紙……。」

そう、おにぎりの端に小さく折られた紙が入っていた。

広げるとそこには「いつも頑張っている尾山さんへ。これ食べて元気だして下さい。」

と書かれていた。

「ふっ、右山が女だったらもっと嬉しいけどな」


すると、いつの間にか隣に座っていたソラが袖を引っ張る。

「何だ?」

振り向くと、ソラはお腹をつき出すようにして

「? どうしたんだ?」

そして、

グ~~~~~~

というここまで来るともはや清々しい空腹の鐘を打った。

それを聞いた尾山は思わず、椅子から落っこちてしまった。

「ええーーーー…………。」

しかし、あえてソラに何も分けずにおにぎりを一気に半分頬張った所、

ガブリ

噛まれた。

「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」

そして、

ベチャッ

噛まれた手に掴まれていたおにぎりのもう半分が、間違えて手が開き、華麗なる命綱無しのダイブを実行してしまっていた。

「あーあ…………。」


そして、もう一回噛まれては困ると判断した尾山は仕方なく、おにぎりを少しちぎって白い髪を逆立てているソラの前に差し出してみる。

「ソラって、米とか食うのか?」

そんな疑問に反して、ソラは差し出した瞬間に食いついた。

「そ、そんなに腹減ってたのか?」

あっという間に腹に納めてしまったソラは、思いっきり手を蹴り、飛び上がった。

宙を舞って着地したのは、おにぎりの目の前。

そう思ったのも束の間、ソラはおにぎりにかぶりついた。


「すっげ。」

おにぎりを半分食べて膨らんだお腹をポンポンと叩き、満足そうな顔を浮かべるソラを前にして尾山はただそう言う事しか出来なかった。



そして、弁当の包みを片付け、ダイブを敢行した誇り高きおにぎりの勇姿を弔った尾山は昨日と同じ五右衛門風呂に浸かっていた。ソラを浮かべて。

何故浮かべているのかというと、ついてきてしまったからだ。

しかも、風呂に入ることを知っているかのように暑苦しい飛行服を脱いだからだ。

ちなみに長い髪なので女だと思われるが証拠はどこにも見当たらなかった。

なので、尾山はソラをつまんで、湯に浮かべてあげたのだ。

当然、足はつかない。


「ん? おいおい、のぼせんなよ……。」

ソラは顔を真っ赤にして、きれいな青い目もうつろになっていた。

仕方ないので、尾山は風呂から上がり、桶に冷や水を張り、溺れないよう浮かべた。


三分ほどすると、桃源郷から帰ってきたらしく、飛び上がって、そして溺れないよう支えていた尾山の腕を噛んだ。

「ぎゃあああああぁぁぁぁ、何すんだこんチクショォォ!」

幸い、前とは違って思いっきり噛まれた訳ではないので歯形もほとんどついてなかったが。


「明日こそ、完成させてやる……!」

布団の中で、尾山は自分に言い聞かせるように言った。

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