第5話
「……」
お婆さんの言葉を反芻する。
過去の話、廃線、誰もいない――
――じゃあ、あの列車の人達は?あの駅員は?
俺はハッとして、スマホで駅長室の天井付近を照らした。
お婆さんの登場ですっかり忘れてた、俺が見つけたあれは――
「……ねぇお婆さん、あの写真はかつての駅長さん達?」
スマホのライトに照らされて、額縁に入れられた顔写真がぼんやりと浮かび上がる。
一番右側には、あの改札口にいた駅員の顔写真。
俺が見つけたのは、あの駅員の古びた顔写真だった。
「そうだよ。そして右端のあれはウチの旦那さ」
お婆さんが駅員の写真を指さした。
「呆れるほどの電車バカでねぇ、毎日電車の話しかしなかったよ。」
懐かしむように写真を見つめるお婆さん。
その表情はとても優しい。
「昔はここも栄えてたけど、時代の流れに抗えなくて廃線。旦那は最後の駅長だったのさ」
「……今、旦那さんは?」
俺の質問にお婆さんは首を振った。
「とっくの昔に死んだよ。この電車のラストランで事故が起きてね。あたしには最後まで、何も言わないままお陀仏さ」
「そう、なんですね……」
かける言葉が見つからなくて、辛うじてそれだけ返す。
――ニコニコした駅員の笑顔の裏に、そんな悲しい過去があったなんて。
押し黙ってしまった俺に、お婆さんは軽く手を振った。
「あたしはそんなに気にしてないから。ま、あの人は最後まで一枚余った切符を気にしてたから、成仏できてないかもね」
冗談めかして言うお婆さんに、俺は心の中でツッコむ。
――冗談になってないです。本当に成仏してなかったです。
恐らく俺が拾ったのは、最後の切符だったのだろう。
そして満員になったところで、電車がラストランを始めたんだ。
この列車の歴史に、きっちりとピリオドを打つために。
村に帰ってくるという使命を背負って。
「そういえば、今この村にはどれだけの人が住んでいるんですか?」
「あたし一人だよ。他はみんな死んだか出て行った」
――やっぱり。あの人、それを分かって……。
お婆さんの返事に頷いた俺は、鞄から駅員に託された小さな包みを取り出した。
「終着駅で最初に会った人に渡してほしいって言われたんです。だから、これを」
「なんだいそりゃ。また変な人に捕まったもんだねぇ」
お婆さんは呆れながら包みを受け取り、中身を広げる。
そこに入っていたのは、梅の刺繍が入れられた小さなハンカチだった。
「これは……」
「見覚えがあるんですか?」
俺の問いにお婆さんは頷いた。
「旦那が死んだ日-ラストランの日に、あたしが貸したお気に入りのハンカチだよ。一緒に旦那と燃やしたはずなのに……」
いたわるようにハンカチを撫でると「それで」と質問をしてきた。
「これは誰から預かったんだい?」
「知らない人です。知らない駅員さん。でも――」
俯いて、言葉を切る。
信じてもらえないかもしれない、でも信じてほしい、知って欲しい。
だから、見たことをそのまま伝えるんだ。
「あなたの旦那さんによく似た面差しの人」
思い切って言い、俺は顔をあげる。
そこで見たのは目を見開いて呆然とするお婆さんと、その後ろから彼女を抱き締めるあの駅員だった。
駅員は何も言わない。
ただ黙ってお婆さんを抱き締める。
「何故かねぇ、懐かしいにおいがするよ」
ハンカチをギュッと握って、お婆さんが瞳を潤ませる。
彼女には、きっと視えていないんだろう。
最愛の夫が、たった今自分を抱き締めているとも知らずに――
駅員は彼女の正面に立ち、ぽつりと口を開いた。
『ただいま、梅子さん』
そして少し背をかがめると、お婆さんの頭を撫でる。
しかし彼女の瞳は、何十年ぶりに帰ってきた夫の姿を写さない。
涙を流して虚空を見つめるだけだ。
『……』
駅員はほんの少し泣き笑いのような表情を浮かべると、もう一度お婆さんを抱き締めた。
見ていて、とても辛い。
俺は心臓のあたりをギュッと掴まれるような感覚を覚える。
――そこにいるのに。目の前に、いるのに。
年若い夫が年老いた妻を抱き締めるその光景は、時間の長さを語るには十分すぎた。
しばらくして、駅員はそっとお婆さんを離すと名残惜しそうに彼女を見つめ、そして俺のほうに向き直った。
あの悲しい笑顔はもうない。
寂しそうな色は残しつつも、その瞳はすっきりと透き通っている。
「あの……!!」
思わず声をかける。
だが、駅員は人差し指を唇に当てると微笑んだ。
そして帽子を外すと静かに礼をする。
『ご乗車ありがとうございました』
そんな風に言ったように聞こえた。
顔をあげると、ラストランを終えた駅長は景色に溶けるように消えていった。
同時に「ありゃ」とお婆さんが声をあげる。
「一瞬だけだったねぇ。懐かしいにおいがしたと思ったんだけど。そう、あれは菊造さんの……」
「いたんですよ」
「え?」
「きっといたんですよ。旦那さん――菊造さんが。大仕事を終えて、あなたに会うために」
俺が視たんだ、と言ってもきっと信じてもらえないだろう。
でも感じてほしかったんだ。
何十年も後悔して、謝ろうときっかけを探し続けた彼の気持ちを。
「あたしに構いもしない電車馬鹿だったあの人がねぇ。……うん?」
お婆さんは、何かに気づいたのか包みの中を探り始める。
彼女が包みから取り出したのは、笹で包まれた小包だった。
「これ、花森屋の玉羊羹じゃないかい」
「和菓子屋ですか?」
「そうだよ。特にここの玉羊羹はあたしの大好物さ。でも……」
お婆さんは首をかしげる。
「40年前に店は潰れた。もうこの世にないはずの品なんだけどねぇ」
小包を観察するかのように、目の前に掲げるお婆さん。
眉間にしわを寄せながら何か思案していた彼女は、フッとため息をつくと、独り言のように話し始めた。
「あの人は最後まで電車馬鹿で、あたしなんかに構いやしなかったさ。でも、もし死んで最後に会いに来てくれたんだとしたら。あんたの言うことが本当だとしたら」
お婆さんが言葉を切る。
顔をあげると、そこにはしわくちゃの笑顔があった。
「ずっとここで待ってたかいがあるってもんだよ。……そうだったら嬉しいねぇ」
初めて見たその笑顔は、陽だまりのように優しく、どこまでもあたたかかった。
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