前哨戦 弐


「――おほん。本題に入りたいのじゃが問題はないかな?」


仕切り直し、とシェーンはわざとらしく咳をする。

この部屋には送れてやって来たニールの副官の強面の男性とイレーナが合流し机を五人が囲む形になった。


「すいません。本題と言うのは何を指しているのでしょうか」


アデリシュカが手を挙げて質問した。

何しろアデリシュカ達の軍は今日到着したのだ。情報も何も知らない中で本題と言われても理解が追いつかない。


「そうじゃった。アデリシュカ君たちは今日到着したんじゃったな。それなら知らなくて無理はない」


シェーンは目線でニールに指示を出す。しっかり指示を把握したニールは机に置いた資料をパラパラと捲りながら解説を始めた。


「モラルタが動き出したのが発覚して城内が慌ただしかったと思うが実は出陣が発覚したのは今日じゃない」


「今日じゃないなら何時だって言うん――言うのですか」


いつもと同じ口調で突っ込みを入れようとしたイレーナだったが相手が初対面の、かつ階級が上の大佐であることを思い出し途中で敬語に変えた。


「君はイレーナ・スタルヒン少尉だな。初めまして、俺はニール・カークランド大佐だ。スアレスとコラレスの兄と言い変えた方がわかりやすいか?」


イレーナは犬猿の仲のスアレスの兄だからか渋々と言った形で差し出された手を握り返した。


「いえシュカから噂はかねがね聞いていましたので」


挨拶を終えたニールは再び話し始めた。


「さっきの答えだが二日前には判明していた。だが判明して直ぐに発表していれば余計な混乱も与えていたし、何よりこちらの情報収集力の程度がバレてしまう。敢えて遅く発覚したように見せかけてこちらに忍び込ませている間者に情報を与えないのが目的だ」


「その間にニールに敵戦力の分析をしてもらっていたんじゃよ」


ニールが纏め終わった資料を幾つかの束にして配り始めた。


「これが分析した資料なんだが3つしか刷ってないからスタルヒン少尉とシュカは二人で見てくれ」


みんなが配られた資料を読んでいる中、一人だけ目を瞑り腕を組んで憮然としているニールの副官にアデリシュカは疑問を感じる。


「あれ、ニールの副官さん⋯⋯でいいんだよね。君は資料を見なくて大丈夫なのかい?」


「マジードとお呼びください。資料と今後の展望についてはアルカディア大佐から既に聞き及んでいますので」


多言を良しとしないのか言い切ると再び同じ体勢に戻った。


「彼は無口な性格で人付き合いも苦手なんだ。これでも俺の副官を務めるほどには優秀だ。言い方でカチンと来るときもあるからしれないが許してやってくれ」


元々疑問に感じた程度で不快とは思っていなかったアデリシュカは素直に頷いた。


「話が逸れてしまったが、やはり向こうは大軍の前にオラビアとハーンブルに向けて先遣隊を出してきた。総勢3万ほどだが二手にわかれるから実質俺らが相手にするのは1万5千だな」


「僕が連れてきた軍は2千だ」


「2千も寄越してくれたのか。それなら作戦もより取りやすくなる」


ニールは王都から派遣された軍、2千を組み込んだ軍での対抗手段をその場で考え始めた。俯いて頭を抱えた、少し奇妙な体勢をとる。

思考から無駄な要素は削ぎ落とし神経を研ぎ澄ます。

今のニールに誰が話かけても返事が返ってくることはないだろう。


最低限の被害で最大限の成果を得る。その為には何が必要で何が要らないのか。

永遠にも刹那にも感じられた意識の中でようやくニールの世界が色取りを戻した。


「――――よし。大体の方針は決まった」


ニールの頬からは思考の凄まじさを物語るように大粒の汗が伝っていた。


「まずこちら側の軍勢は5千、援軍も合わせて7千と言いたいところだが万が一の奇襲も考えてオラビアの警備に千は置きたい。だからこちらの手駒は6千と言ったところだな」


「それなら一人あたり二人倒せば勝てるな!」


息巻いたイレーナを見てニールは朗らかに笑う。


「その通りだ。まぁそう事が上手くいかないのが戦争の常だが」


「先遣隊の大将を務めるのはこのカーセム・アル・ムダファーラと言う輩か?」


シェーンが手元の資料を指さしながら尋ねてくる。


「はい。基本は北側攻略や警護に就いている人物らしく、俺は一度も相見えたことはないですね。間者からの情報によると戦術に忠実な戦法を用いる人物で、堅実さを買われて今回の先遣隊に選ばれたのだと思います」


「ほぅ。お前はこの輩をどう評価する?」


言外にシェーンからお前はこいつに勝てるのか、と問われているとニールは理解した。


「蛇の道は蛇。基本戦術を用いる者通しがぶつかり合うとき采配が上がるのはより深く基本を理解している者です。それで俺が負けるわけがない」


きっぱりと言い放つ。アイーダ以外はニールの力量については周知の上なので口出しすることもなかった。


これを見て欲しい、とニールが机の下から大きな用紙を取り出して広げた。用紙に目を移すとオラビア周辺が描かれた地図であった。

マジードは片目を開けて進行を確認すると再び目を閉じる。


「まずこれから始まる戦争の開始地点だが――」


指でオラビアからなぞり始め、山間部を抜け大きく空いた平地で指が止まる。指が止まったということはここで開戦するという意味なのだがニール以外は一様に首を傾げていた。


それもそのはず。


相手が二手に分かれ、王都から増援が来たといってもその差は倍以上に離れている。なのに平地で真正面からぶつかり合うとは馬鹿としか思えない所業だ。

ニールは自分に向けられた訝しげな視線を笑い飛ばして説明を続けた。


「平地で開戦する理由は戦力を相手に見せることにある。見せた後は撤退して背後に位置する森で奇襲攻撃を行う」


戦力を見せてしまえば相手が有利になるのは必然のことで、イレーナに関しては呆れたと言わんばかりに聞く気が失せて窓から外を眺めていた。

アデリシュカは意図があるに違いない、と無言で続きを促している。


「ここまで何を言っているんだ、とち狂ったか、と思ったかもしれないが全てに意味がある。まず戦争においてお互いに兵を並べていざ尋常に、と始まるのが一般的な開戦だが、実際戦はもっと前から始まっている」


これには全員が同じ理解を示した。

戦争において一番最初に行われるのは情報戦である。相手がどれくらいの兵数なのか、兵站はどれくらいか、物資の量はどれほどなのか、などといった情報をより多く収集した方が戦争を有利に進めることができる。

軍に一度でも携わったことがある者は情報の重要性を身に染みて知っていた。


「向こうもこちらの軍に間者を忍び込ませているだろうから戦力は把握しているだろう。今日到着したシュカの軍については知らないと思うがそれが知られるのも時間の問題だ。それを踏まえた上で今回の平地に配置する軍は4千とする。そしたら相手はどう考えると思う?」


一同が解答を考える。

最初に口を開いたのはアデリシュカだった。



「モラルタ側が増援は周知の事実として、どう動くか、ということでいいんだよね」


もちろん、と頷いた。


「それなら僕は警戒を強めるかな。向こうが緒戦で激しい抗戦もせず森に撤退したら間違いなくそれは森に2千を隠した奇襲だと疑うね。2千は大軍とは言えないが流れを変えるには充分な一手になる」


「その通りだ。敵は奇襲を警戒して追撃する可能性は低いだろう。しかしモラルタには時間がない、俺らを破ることはができなければどんどん自分たちを追い込むになっていく。だから絶対にどこかで博打を打ってくる、そこが狙い目だ」


徐々に明らかになっていくニールの戦略。事前に聞かされていたマジード以外はただただ驚嘆するしかなかった。

基本の戦術を元に緻密な計算の上で大胆な戦略ができあがる。

初めは聞く気が失せていたイレーナもいつの間にか惹き込まれていった。

こんな馬鹿げた戦略が通用するのか。

だがニールの力強い声音を聞いているとどこか自信が湧いてくるのも事実だった。


「――――と、ここまで俺の作戦の全容だ。細かいところまで話せばキリがなくなるからそれはおいおい伝えていく。何か質問や意見はあるか」


誰もこの高度な作戦に横槍を入れることなどできなかった。


「ニールよ、この戦には後がない。負ければ他の軍が尻を拭ってくれることもない。お前の負けがこの戦全体の負けに繋がる。その重みを背負う覚悟は出来あるか?」


何時もの柔和な表情からはかけ離れた厳しい――歴戦の戦を潜り抜けた者だけが持つ異様な雰囲気を纏いながら問いただす。

ニールはその視線を逸らすことなく受け止めた。

場に張り詰めた空気が漂う。

まだ戦争の経験も若く、重い空気に耐えられなくなったイレーナが思わず声を上げようとしたところで、シェーンが表情を何時もの柔和な笑みに戻した。


「この様子なら今回も安泰そうじゃな。ニール、戦争の全権はお前に預けた。緒戦から相手の出鼻を挫いてこい!」


「はっ!」


その敬礼はお手本のような素晴らしい敬礼だった。

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