予兆 九
編成、準備に二日。そこから騎馬で出発し四日が経とういう頃。
「だーかーらー! なんで秋刀魚の頭だけ残すんだよ。頭にだって栄養はあるんだぞ!」
「アタシが頭を食べ残そうがお前には関係ないだろ!」
スアレスとイレーナは飽きることなく常に喧嘩を繰り広げていた。
日常となったその様子にコラレスも諦めの境地に達し諌めることはしていない。放っておけば勝手に二人で疲弊して静かになるのだ。
「毎度のことながら兄貴がすいません⋯⋯」
先頭を自分と同じく並走する男装の麗人のような女性――アデリシュカ・チェスノコフに頭を下げる。肩口で切りそろえられた黒髪。細身で華奢な身体付きでありながらも凛とした佇まいから武芸を嗜んだ者なら彼女の秘めた強さに気づくだろう。
アデリシュカは女性でありながら異例の昇進を繰り返し26歳の若さで中佐、そしてアイーダの右腕と呼ばれるまで登りつめていた。
「構わないさ。それにお嬢様があれだけ元気なのも久しぶりに見るしね」
アデリシュカは目を細めながら口論しているイレーナを見つめた。
曾祖父の功績で貴族階級に祭り上げられたスタルヒン家は未だ貴族の端くれとして健在している。なのでアデリシュカは自分より階級は下ではあるが直属の上官の娘であり貴族のイレーナにお嬢様と呼んでいた。
「元気と言われれば元気ですけど⋯⋯ただ喧嘩しているだけですよ?」
「王都には喧嘩する相手もいなかったんだ。女性として言う理由だけでやっかみも多く、かつ偉大な曾祖父がいることで話しかけてくれる人なんか殆どいないんだよ」
「女性と言うならアデリシュカ中佐もやっかみが多かったように思われますがどう対処してきたのですか?」
コラレスの興味が先行し、歯にものを着せぬ言い方に一瞬表情に影が差したが彼が気づく前にいつも通りの表情に戻した。
「無視することが一番さ。ああいう輩は煽ってこちらの反応を楽しむことが目的でね、反応しなければ勝手に飽きてやめてくれるんだよ。お嬢様にもそれは都度教えているんだけどあの性格ではね⋯⋯」
「あぁ⋯⋯」
打てば打つほど響くイレーナに無視し続けることは不可能に近いと関係が浅いコラレスでも容易に察することはできた。
「それでも中佐まで登りつめたのはすごいと思います。僕なんかまだ上等兵で、いつ中佐になれるのか、中佐になることなんかできるのか⋯⋯」
「僕についての話題はこれくらいでいいだろう。今度は僕から質問してもいいかな」
軽く鬱に入りかけた様子を見て慌ててアデリシュカが話題を変える。
「僕、ですか? 聞かれて困ることはないですが、大して面白いことはありませんよ」
「面白いかどうかは僕が決めることだろう。そうだなぁ⋯⋯コラレス君とスアレス君は双子だって聞いたけど全然似てないけど、どこか共通点はあるのかい?」
「真逆と言っていいほど似通ったところはありませんよ。強いて上げるとすればお互いに兄上に憧れていて、兄上の言うことには素直に従うところですかね」
「兄上? スアレス君じゃなくてもう一人兄がいるってことかい?」
「はい。ニール・カークランドって言うんですけど、天才でもう大佐まで昇格したんですよ」
アデリシュカの返事が暫く来ないので不審に思って横を見ると、大きく目を見開いて唖然としている彼女の姿が見えた。
「君たちって、ニールの弟だったのか⋯⋯」
小さな声で何かを呟いているが横にいるコラレスにまでは届かなかった。
「あ、あの! に、ニールって今どうしてるんだ?」
様子が一変してアデリシュカが馬を近づけてくる。どことなく頬が赤くなっているようにも感じられた。
「ど、どうって言われても⋯⋯。最近だと遠征で隊長を努めていたくらいしか」
突然豹変したアデリシュカに困惑しながらも最近の出来事を述べた。
「そ、そうか。彼なら遠征隊で隊長や大佐にまで登りつめているのは当たり前なんだろうな」
「アデリシュカ中佐って兄上とお知り合いなんですか?」
「あぁ。彼がファヴェール中将の元で弟子としてしごかれていたのかは聞いているかい?」
「ええ。断片的にですけどファヴェール中将から聞きました」
「僕は当時アイーダ中佐の右腕ではなかったけどよく目をかけてもらっていてね、直々に稽古もつけてもらっていたんだ。中将の二人って部屋が隣接しているだろ? それで弟子どおしってことで一緒に稽古や対戦などさせられていたんだ」
「なるほど」
納得した、とコラレスは深く頷いた。
「もうあれから8年も経ったのかぁ」
アデリシュカは過去に思いを馳せているのか遠い目をしていた。
「ニールのことだ、もう伴侶を見つけて子供も産まれていそうだ。良かったら子供に合わせてもらえないか?」
「いえ、あの⋯⋯。兄上はまだ結婚どころか、僕が知っている範囲では女性の影もありませんよ」
「僕より1歳下だったから今年25だろう。まだ結婚していないのか!? 昔から戦術や稽古にしか興味がないような男ではあったが⋯⋯まさかここまで⋯⋯」
呆れた、と言わんばかりにアデリシュカは肩を竦める。
そのニールより歳上であるのに未婚である彼女に言えた口なのかとは口が裂けても言えなかった。
「――――あ、でも兄上のこと気になっていそうな人なら一人知っているので、兄上が落ち着くことを考え始めたらその人と結婚するかもしれませんね」
「な、なんだ。想ってくれている人はいるんじゃないか」
再び小さな声で「まだ僕にも機会はあるのかな」「片思いしている子がいるなら諦めた方が」「でもまだ婚約もしていないのだし」と呟く声が聞こえてくる。近づいた分聞こえなかったのが聞こえてくるようになったのだろう。
コラレスはさも聞こえていないという素振りで負けを向いて馬を走らせていた。
興味があることには遠慮せずに尋ねることがあるコラレスだが興味がないことには相手を慮る所作は身につけていた。
暫く会話も単発で特に続くことなく進軍していると大きなカーブを描いた谷底にぶつかる。そこで一度進軍を止め、休憩を取り、進軍を開始する。
陽が沈み始めた夕方。馬を走らせていると道が開け、前方に鍋のように円柱状で外壁が囲んでいる巨大な砦らしきものが見えてきた。
「――ほう、噂でしか聞いたことはなかったがオラビアは王都に負けず劣らずの壮大な外壁で囲われていて難攻不落の都市であると言うのは間違いでは無さそうだ」
アデリシュカがオラビアの造りに感嘆していた。
「自慢の街ですよ」
コラレスに先導される形でアデリシュカの軍は外壁に取り付けられた門を潜り中へと入っていく。
全員が中に入ったのを確認した後、今度はコンロン城に向かうためオラビアの中心部に馬を走らせていく。
市民は突然現れた軍隊に何事かと奇異の目を走らせていた。
アイーダとオラビアの総督であるシェーンの押印を持っていたコラレスたちはさほど滞ることもなく入城していく。
入城して直ぐにアデリシュカが異変に気づく。
「コンロン城には初めて来たわけだが、いつも全員忙しなく動き回っているのか?」
アデリシュカは真相を見極めようとあちこちに鋭い目線を飛ばしていた。
「いえ、そんなことはありません。僕たちに対する出迎えも最低限ですし」
「ちょっと待ってください」と一言断りを入れてからコラレスは列を離れた。動き回っている人たちの中から同僚を見つけると声をかけ数回言葉を交わした後列に戻ってくる。
その顔は城内を動き回っている人たちと似通った顔になっていた。
「どうやらモラルタ帝国が軍を動かしたようです」
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