予兆 八
突如隣の部屋から響いてきた騒音にスアレスたちはぎょっとする。ファヴェールはいつもの事だ、と言わんばかりに豪快に笑い飛ばしながら自らの足で部屋を出て隣の部屋を目指した。
「失礼するぞ~」
そう言いながら相手から許可を貰う前に扉を開けた。
「失礼だと思ってんなら一度、許可をもらってから開けたらどうさね」
扉の先にいたのは炎髪灼眼の女性――――アイーダ・スタルヒン。ファヴェール程とまではいかないが女性の身長や体格に比べると胸囲に至るまで全てが規格外の大きさである。瞳からは獰猛さが滲み出ていながらも開放された胸元やドレスローブを身に纏ったモデル顔負けの体型は初心なスアレスたちの視線を釘付けにするにはさほど時間はかからなかった。
「ガハハ! そうだな覚えていたら次は心掛けよう」
アイーダは全く改める気のないファヴェールに憮然としながらも彼が自分を尋ねてきた真意を探る。
「んで、今日はどうしたんだい。朝から情事に耽りたいわけでもないんだろう?」
普通に尋ねてもよかったが初心なスアレスたちに目敏く気づいたアイーダは敢えて反応を楽しむために腕で自分の胸を持ち上げるような煽情的な姿勢を作りながら発言した。その効果は抜群でスアレスたちは頬が赤く染めたと思うとアイーダを直視しないよう顔を背けた。
「あ~~⋯⋯お前たち。悪いことは言わんアイーダはやめとけよ。もう四十を過ぎたババアだ」
ファヴェールの言葉が信じられずスアレスたちはえ?え?と、ファヴェールとアイーダを見比べていた。
アイーダの獰猛だった瞳が更に吊り上がり怒髪天と化す。
「その頬の傷のせいで口元が緩みすぎてるんじゃないかい? どれアタシが治してやろう。更に広げて口を縫ってやるさ」
「おぉ怖い。見たか小僧ども、これが女の本性と言うものだ」
ファヴェールはわざと自らの身体を抱き、怖がっているかのように見せる。
すっかりファヴェールの思うように踊らされていることに気づいたアイーダはバリバリと頭をかきながら話題を転換した。
「さっさとここにきた要件を話しな!」
「そうだったそうだった」
うっかりしていた、と後頭部をペシっと叩きながら手紙を渡した。
怪訝な顔して手紙を開いたアイーダだったが読み進めるにつれて手紙を持つ手がわなわなと震えていく。
「⋯⋯おいお前らここに書いてあることは事実なのか」
鬼のような形相に思わずたじろいでしまったスアレスたちを、手で制しファヴェールが代わりに口を開いた。
「ニールの小僧がどうやら遠征先で見聞きしたらい」
「くそったれが!」
怒りに任せて近くにあった椅子を蹴りあげた。
冷静さは失っていなかったのか蹴りあげた椅子はスアレスたちのいない部屋の半分を仕切られたカーテンに向かって飛んでいきカーテンを巻き込みながら地面に落ちる。カーテンの向こう側には女性がいた。スアレスたちと同年代のまだ若い女性だ。
アイーダと同じく赤い髪に紅い瞳をしていて血縁関係なのは見て取れた。髪の毛は無造作に伸ばした毛髪を黒いリボンでポニーテールのように纏めており――――。
「「あーーーーっ!!」」
どちらが先に指差して声を上げたか。
イレーナとスアレスは唖然とした表情で指を差したまま固まっていた。
「おや、あんたたち知り合いだったんかい」
アイーダは口に手を当てて驚きを表していた。
「ママ! こいつだ! こいつがアタシに文句言ってきてムカついたやつだ!」
「あぁ、アンタがひったくり犯を殺して文句言ってきた小僧っていう」
「こいつアタシに刃向かった罪で首にして――痛ッ!」
言い終わる前にアイーダから脳天に拳骨を落とされあまりの痛さに頭を抱えてうずくまった。
「どう見てもアンタの過失さね。どこの世界にひったくり程度で殺される阿鼻叫喚の世界が存在してるって言うのさ」
「だからぁこのまま放って置いたら殺人を犯すかもしれないだろぉ……!」
イレーナは涙目になりながら、反論する。しかしこれ以上拳骨を落とされたくないのか、脳天は両手で守っていた。
「はい、うるさい。上官に口答えしない」
イレーナの防御もむなしく頭を守る手も巻き込んで拳骨が振り下ろされた。
女性に似つかわしくない悲鳴を上げながら床をのたうち回る。
「ぷっ、あんな偉そうに語っておいて怒られてやんの」
スアレスはイレーナに近づき手で口元を隠して馬鹿にする。
「あぁ? やんのかこら! 田舎軍人なんかにゃ負けねえぞ!」
元から沸点が低いイレーナは単純な煽りにも過敏に反応してしまう。
「田舎⋯⋯? おい訂正しろ馬鹿!」
「馬鹿と言った方が馬鹿なんですー! ばーかばーか!」
「うぎぎ⋯⋯!」
今にも掴みかかりそうな両者を背後からスアレスにはファヴェールがイレーナにはアイーダが全力で拳骨を落とした。
崩れ落ちる兄を見てコラレスは深く溜息を着いた。
「同じように育てられてこうも双子やニールとも性格が変わってくるもんだなぁ」
興味深い、とファヴェールは逆に感心した。
「おや、そいつニールの弟なんかい? 言われてみればどことなく面影があるような気がするねぇ」
下で倒れてる二人には目向きもせずファヴェールとアイーダは談笑する。
「すいません。イレーナさんはスタルヒン中将の娘なのでしょうか」
気になったことには黙っていられない性分のコラレスが二人の会話に割って入る。コラレスの性格からして軍人にさん付けなどは有り得ないのだが兄から聞き及んだことしかしらない、階級は知らないので例外的にはさん付けで呼んでいた。
会話を遮ったコラレスに不快を示すことなくアイーダが答える。
「そうさね、この娘はアタシの一人娘さ。自慢のとはちょいと言いづらいがねぇ⋯⋯」
アイーダは母親のみ持つ慈愛の表情を倒れているイレーナに向けた。
そこで何か思いついたのかパンと手を叩く。
「おいファヴェール、ここに来たってことは合同軍事演習については賛成だってことでいいんだな?」
「おう。二日ありゃ軍は動かせるな」
「随分手際がいいことで。それなんだけど手紙の指示とは逆にアンタの軍はハーンブルでアタシの軍がオラビアでもいいかい?」
「俺は構わねえが、一体どうして」
ニヤリとアイーダを笑った。
「アタシの副官を司令官として演習中の副官には特例でイレーナになってもらうさ」
意図を理解したファヴェールもニヤリと笑う。
「それならば仕方ない。俺の軍はハーンブルに行ってもらおう」
微睡みの中でファヴェールとアイーダの会話を聞いていたスアレスとイレーナは唐突の辞令にお互い身を起こして睨みあった。
「「はぁ!?」」
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