予兆 七


 さて、スアレスとコラレスは元の場所に戻り女性にひったくり犯から取り返した花嫁衣裳を渡した。大変感謝されお礼を、とお金を渡そうとしたが軍人の在り方として受けとることはせず渋る彼女を宥めながら後にした。

 今度は間違えないように地図で場所を都度確認しながら道を歩き、とうとう城が目の前に現れる。


「止まれ。用件と所属名を述べろ」


 門に近づくと門前で槍を上に構え、背中に針金が入っているかのように真っ直ぐ突っ立っていた屈強な男性が口を開いた。自分と同じ軍服を着ているからか敵対心は見えず、義務的に尋ねているように見える。

 スアレスは胸元のポケットからニールとシェーンの署名が入った封筒と通行証を取り出した。


「オラビア所属スアレス・アルカディア兵長であります。オラビア総督シェーン・テスタ総督から伝令でこの手紙をファヴェール・ルブラン中将に渡すように仰せつかりました」


「並びに僕はオラビア所属コラレス・アルカディア上等兵です」


 男性は渡された封筒を開けることはせず外に押印された印を注視した。


「確かにこれは代々オラビア総督だけが持つ印鑑。しばし待たれよ、部下の者にルブラン中将様の執務室まで案内させよう」


 そう言って男性は門の横に付随している小さな警備室から門の中へ入っていく。

 しばらく待っていると男性がまだ若い二人を連れて、再び現れた。


「この者たちに案内させる。門は祭事、王族以外の使用でしか開くことが許されていないので、悪いがこちらから通ってもらう」


 男性は視線で自分が今通ってきた方を示す。スアレスたちも門をくぐろうなどと畏れ多いことは考えていないので素直になれ頷いた。


「わぁ⋯⋯!」


 城内は人の手によって完璧に管理された庭園や、見たこともない華やかな木々が植えられていて風光明媚な空間が存在していた。上を見れば城と城を繋ぐ連絡通路を忙しなく歩く文官たちの姿が見える。文官一人一人を見ても艶やかではないがどこか気品が漂う服装をしていた。

 初めて入った城内にスアレスはたちどころに目を奪われ遠慮なくあちこちに目線を向けていた。

 コラレスはそんな兄の態度を不躾だと感じ、自分は気にならいと言わんばかりに視線は目の前を歩く衛兵に向けていたが時折、我慢できずに横目で盗み見、城内の絢爛さに目を奪われていた。


「失礼します、オラビアのシェーン・テスタ総督から伝令の者がルブラン中将様宛に来ています。通してよろしいでしょうか」


 庭園を抜け、階段を3階ほど上がり、右に曲がったところで衛兵は止まり、扉を規則正しくたたいた。


「あぁ!? シェーンからだぁ? まぁいい入ってこい!」


 扉の向こう側からはダミ声だがよく通った声が響いてきた。


「私達はここで失礼します」


 そう言って衛兵は元の業務へと戻っていった。

 恐る恐るスアレスは扉を開けた。


「自分はスアレス・アルカディアであり――――」


 部屋の中に広がっていた光景にスアレスは途中で絶句してしまう。

 なんと室内では白い髭を蓄えた壮年の男性が腕立て伏せをしていた。それも流れる汗の多さから恐らく長い時間続けていたことが見て取れる。

 老人が長時間腕立て伏せをやっていて心肺機能に悪影響を及ばさないのかスアレスは心配になったが口に出すほど間抜けな真似はしなかった。


「おう、どうした坊主。ビビったか」


 腕立て伏せをやめた壮年の男性――――ファヴェール・ルブランは絶句しているスアレスを見て唇の端を吊り上げてニヤニヤと笑った。

 コラレスは扉の前で立ち止まっていて中々中に入らないスアレスに業を煮やした。


「兄貴、そこで止まっていられては困ります。中へ入ってもら――――」


 先ほどは老人が腕立て伏せをしている光景に驚かされたスアレスだったが、今度はスアレスとコラレス二人とも息を呑んでしまう。


 目の前に立っているファヴェールの存在感に圧倒されていたからだ。

 スアレスの身長は至って平均的だがコラレスはスアレスより二回りも大きく同年代の男性より一歩抜きん出た体格をしていた。だがそのコラレスよりも更に大きく筋骨隆々なファヴェールの体格は立っていると言うより聳え立っていると表現した方が正しいかもしれない。

 衰えを感じさせない体つきに頬から顎にかけて刻まれた刀傷。見る人を怯えさせるには充分だった。


「ガッハッハッ!! お前らもやはり俺の姿を見たら怯えるか。仕方ねえかどいつもこいつも情けねえな。最近で初見で驚きもしなかった野郎はニールの小僧以来か?」


 ファヴェールは記憶の海から思い出そうとうーん、と首を傾げている。

 馴染みがある名前が聞こえてきたきたところでようやくスアレスが意識をファヴェールに戻した。


「あの⋯⋯ニールって兄上、いやニール・アルカディア大尉のことですか?」


「んあ? 坊主、ニールを知ってんのか⋯⋯ってそういやお前らオラビアから来たんだっけか」


 頭を使うのがめんどくさいと言いながらファヴェールは頭をボリボリかいた。


「はい、ニールは俺の兄上です。兄上とはどこで知り合ったんですか?」


「あいつがこっちにいた二年間、シェーンからおもしれぇやつが来るから面倒見てくれって言われてな。まぁなんだ弟子としてしごいてやったが過去にも今にもあんな生意気な弟子はいねぇな」


 再びファヴェールが獣の咆哮に似通った声で笑い出す。スアレスとしてはここまで抱いていたニールへの品行方正で完璧超人な理想像がここ数日で大きく崩れていった。


「それで? お前らは手紙をシェーンから渡されたんじゃねえのか?」


 汗を拭き取り、軍服に身を包んだシェーンが椅子にドカッと座りながら寄越せと言わんばかりに片手を出した。


「そ、そうでした。これです」


 渡された手紙を最初訝しげに見ていたファヴェールだったが封筒にシェーンの押印だけでなくニールの押印も押されていることから徐々に顔つきが真面目なものに変わっていく。そして中身を読み進めていくと真面目から険しいに顔つきに変貌し、読み終わった後は能面になっていた。


「⋯⋯⋯⋯おい、ここに書かれていることは事実か?」


 ファヴェールは一度気持ちを整理するため、机の引き出しから葉巻を取り出して口に咥えている。


「確たる証拠があるわけではないですが、遠征でウルキデス軍を攻めているとき、日が明けると突如攻勢していたウルキデス軍が撤退を始めました。不審に思ったニール大尉が幾人か捕まえて拷問したところ、国王の容態が急変したことを吐いたという流れです。捕虜がデマを流した可能性もありますが唐突の撤退や、拷問した上で吐いた情報なのでその可能性は低いと、ニール大佐と僕は睨んでいます」


 スアレスの後ろから横に並んで説明を始めたのはコラレスである。

 コラレスはスアレスより身体能力も、階級も下でありながら幼少期から好んで勉強し、独学で習得した算術や、戦術は軍内では稀であり重宝されていた。それにより今回の遠征隊にも名を連れたのである。

 そのことにスアレスが駄々をこねたのは言うまでもない。


「手紙には何が書かれていたのでしょうか?」


 一歩身を乗り出して尋ねるコラレス。

 一戦術家を目指すコラレスにとって今後の展望を自分で予測するのはいつもながらであり、そして自分より戦術の奥深さを知っているニールがどう対策するのか非常に気になっていた。


「今後やってくるであろう先遣隊約1万~2万の軍勢にオラビアだけじゃ物足りないから応援を寄越してくれって書いてあるな。それに学徒動員、オラビア要塞化に伴う市民の避難誘導、さらに避難先の確保と⋯⋯よくもスラスラとここまで思いつくもんだな」


「それで応援の方はどれくらい出せるんでしょうか」


「無理だな」


 考えることなく即答したファヴェールにコラレスは食ってかかる。


「無理って――失礼ですがファヴェール中将は今回の戦の規模を理解なさっているのでしょうか!? 後手に回れば回るほどナバーロは破滅に近づくのは明白です!」


「そんなこたぁ理解してるよ」


「なら――」


 バンッとファヴェールが右手で強く机を叩いた。振動で机の上に置かれていた水が入ったグラスは倒れ、豪奢なカーペットに染みを作った。いきなりの行動に予測していなかったスアレスとコラレスは首を竦ませる。


「理解してるってつってんだよ! これが国家の危機ってことをお前らより重大にな!」


 ファヴェールの顔は無念に染められている。拳は机の上で強く握りしめられていて、食いこんだ爪が皮膚を食い破り血が滲み出ていた。その様子からファヴェールが望んで答えを出したようには見えなかった。


「ならどうして⋯⋯」


「お前らニハーバッラを見てどう感じた?」


 質問の意図が見えず、首を傾げながらスアレスが見てきたそのままの感想を口に出した。


「すごい綺麗で、歩いてる人も綺麗な服着てて、オラビアと何もかも違って、流石首都だなぁって思いました」


「そうだ、ここは綺麗すぎるんだよ。地形上背後からの奇襲はねぇ。前方だってオラビアとその右隣にある都市ハーンブルが外敵を防いで300年以上このニハーバッラに魔の手が迫ったことはなかった。だから誰しも安心しきってるんだ。国境沿いでちょいとばかし大きな戦争が起きても市民は他人事にしか捉えない。

 そのせいで内政の大臣たちの派閥が大きくなってきて近年では軍備縮小の声も小さくねえ。だからモラルタが実際に大軍でナバーロに向かって軍を動き出さねえ限りこの国は軍は動かしたりなんざしねえんだ」


 憧れていた自国の首都の惨状に二人とも声を出せないでいた。


「し、しかしこのままだとむざむざ敵の言いようにされてしまいます⋯⋯!」


「そうだな、だからニールたちもそれを見越して、国から応援を寄越してくれとは直接書いてない」


「え?」


 話の風向きが一気に変わりコラレスも思わず声を出した。


「俺のお抱えの軍と、アイーダのお抱えの軍をとしてオラビアとハーンブルに派遣して欲しいってな」


 そう言ってファヴェールは真横の壁――その先の部屋を見やる。


 隣の部屋全体が揺らぐ大きな音が聞こえてきたのはファヴェールにつられてスアレスとコラレスが壁を見つめたのと同時だった。

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