予兆 三
ニールがスアレス達に遠征先の噂を語っていた同時刻、場所は違えど同じ議題が上げられてようとしていた。
薄暗い螺旋状の石階段を上った先、正面には最上階の大広間、中心には豪勢な装飾が施された机が設置されている。机を取り囲むように並べられた椅子には21人もの人が腰掛けていた。
ここはモラルタ帝国の首都――――ダンカンに聳える巨城グラッデンである。
「今回招集された理由について伺いたいのですが。
これから秋になるということは年貢の納め時、一番忙しい時期にグリーンウェル皇帝閣下直々にではなく評議会からの招集とは、余程のことでありましょうな?」
全員が席に着くのを確認した後、開口一番に丸眼鏡をかけた紳士風の男性が問いかける。
言葉の端々には「忙しい時期に招集するのだから余程のことでなければタダでは置かない」と言ったような棘が見えた。
モラルタ帝国に於いて軍の大将、宰相など様々な役職の頭首は評議会に属することが義務付けられており、合計で21人の評議員が在任している。国家規模の事業――――戦争や治水工事などを興すときは皇帝か評議会を開催し半数以上の可決を取らなければいけない。大規模な戦争などは兵士や兵糧、武器など数多の準備が必要になり開催は数年に一度実行するかどうかである。なので評議会の招集など滅多に行われない。それが今回緊急という形で招集されたのだ、紳士然とした男が警戒するのも無理はないだろう。
「ウルキデス王国の国王の余命が幾許もないらしい」
宰相の一言で全員が息を呑むのが見て取れた。
スアレスのようにこれだけで理解できないような者は評議会にはいない。多種多様な表情を浮かべていたが全体的に野心的、好戦的な目付きをしている者が多かった。
「なるほど⋯⋯それならば今回の招集にも納得ができるというもの」
「しかしナバーロ国は小国と言っても容易に落とせる国でないのは歴史を見れば明らかなこと。大軍を興すにも時間が必要です、準備に時間が取られればウルキデス王国も体制は整ってしまうでしょう」
この中では一番若い、まだ青年とも呼べる人物が口を挟んだ。
「う、うむ⋯⋯。それもそうだがこのような絶好の機会、滅多にないことなのは事実。逃したら次に訪れる機会はいつになる? 10年後か? もしかしたら100年後にすらないかもしれん」
「では一体どうすれば準備が間に合うと言うのですか?」
議論は戦争すべきなのか、しないべきなのか、するなら予算や戦略は――――と白熱し、渾沌としていった。
しばらくその様子を静観していた宰相が突如笑いだし、笑い声に遮られるように議論は途絶えた。
「クフフフフ、我々評議会はいわばこの帝国の頭脳! それが集まってこうも水掛け論をしているだけとは笑止! ワタシは悲しくてありませんよ」
宰相――ローガン・ギブンスは道化師のような身振り手振りで評議員を批判する。
「そもそも。モラルタ帝国における教義は大陸の統一。眼前に餌が吊るされたのなら全力でもぎ取りに行くのは当然の結果。何を悩むことがあるのでしょうかァ? ねェ、グリスバルトさん?」
ローガンは椅子から立ち上がり、机をなぞりながら歩き始める。歩みは緩慢としていて、だがどこか規則的な歩行に見るものを不安な気持ちにさせた。その間も語ることは止めず、そして最初に否定的な意見を出した青年の背後まで歩みは進んだ。
そのまま一周すると思われたが、ふいに立ち止まると背後から問いかけた。
「え――――確かに宰相閣下の仰っていることは真っ当だと思いますが現実的な問題として金銭面や戦力の課題を解決しないと攻めることもままならないのではないかと」
グリスバルトは唐突の問いかけに驚きはしたが、若さゆえに畏れることはなく堂々と発言した。
「では金銭も戦力も確保することができれば反対することはないと言うことですねェ?」
「無論です。僕にもモラルタの血は流れている」
「素晴らしい!そう! ワタシたちは高潔なモラルタ人でなくてはならない!」
ローガンは手を広げ、グリスバルトを賛美した。
「アナタがたがウルキデス国王の容態に勘づき今回の招集の真意を見抜いて提案することを期待していたのですが、まァ良いでしょう」
ローガンが席に戻って行く際にグリスバルトの耳元で「今夜ワタシの執務室にいらっしゃい。クフフフ」と言われたがローガンに男色のケがあると噂されているのを思い出し丁重に断った。
グリスバルトは冷や汗が止まらなかった。
「此度の戦の件ですが宰相閣下から一週間前に情報をもらい精査させて頂きました。ナバーロ国を確実に落とすに最低30万人は欲しいところです」
会議が始まってから一言も話していなかった大柄で寡黙な男性――――モラルタ帝国総大将ディロン・ザガースキーが口を開く。
「さ、30万だと!?」
「この国の軍人の総数を貴方が知らないわけがないでしょうに!?」
ディロンとローガン以外の評議員はディロンの発言やな色めき立つが、これは無理もない。
モラルタ帝国は‴帝国‴の名を冠する通り複数の国を攻め滅ぼし吸収した先に誕生した国である。その為、国土は広大で国境を沿って国を守備する警備兵は総数30万と言われている。それ以外に自国を攻められた場合、又攻める場合に必要な兵として10万の兵が各地に駐在しているが全てを含めても40万である。
ディロンが要求した30万と言う兵数は数字上不可能な数ではないが殆どが出兵してしまうと今度は国境の守備が甘くなり、他国の侵略を許してしまう。ナバーロ国を攻めている間持ち堪える最低限の兵数を計算しても3分の1、つまり10万、それに皇帝お抱えの軍10万を動かしたとしても20万、まだ後10万もの数が足りないのであった。
「警備兵からは半数の15万を出兵させて頂く。駐在兵10万、皇帝閣下直属の近衛兵5千――――計25万5千。無論、皇帝閣下から近衛兵をお借りすることの許可はもらっている」
「だ、だがしかし半数も出してしまってはこちらの防備がいささか手薄では?」
「30万はまだ足りていないようだが?」
「そもそも30万と言う数字は何を元にしているんだ?」
評議員は口々に糾弾するがディロンの相貌は崩れなかった。
――――大したものだ宰相閣下は。
ディロンは飛び交う糾弾の声をどこふく風と聞き流しながら二日前にローガンがから持ちかけられた提案を思い出していた。
ローガンの提案と言っても大した内容ではない。最初から作戦の立案書を見せていたら難色を示したり、否定に入る者はいただろう。逆に敢えて一見荒唐無稽に見える作戦を小刻みに公開する。そうすると勝手に作戦立案の穴と勘違いした評議員が糾弾する。これがローガンの狙いなのである。
わざと追及させディロンに全員の意識を向けさせた後、ディロンから評議員の要求、攻略のための要項全てを飲んだ立案書取り出すのだ。自分たちが追及した要求が全て明瞭になっている手前、否定に入れば、それは小心者と見なされてしまうがゆえに誰も何も言えなくなるのだ。
ローガンはここまで全て計算し、そして実行してみせた。恐ろしくキレる人物であることはこれだけでも間違いはなかった。
ディロンは小さく嘆息して鞄に入れていた資料を取り出した。
「静粛に。まずはこれ見て欲しい――――」
部屋の外で待機していた部下を中に入れ、資料を全員に配らせながら横目でローガンを見やった。自分の思惑通りに事が運んで嬉しいのか元から猫目だった眦が更に横に伸びていた。
――そして会議は一時間後にあっさりと詳細まで決まった
※※※
大広間から部下を連れて降りようとしていたディロンに背後から声がかかった。
「お疲れ様です、ディロン様。うまくいってワタシも嬉しいです」
「こちらこそ。宰相閣下の助言なければすんなりとはいかなかったでしょう」
「いェいェ、ワタシは少し手助けをしただけにしか過ぎません。それを利用し、結果を得たのはディロン様、アナタのお力によるものですよ」
ディロンからしてみれば自分は部下の作った立案書とローガンの提案に乗っただけでこれと言って何かをしたわけでもないので手放しに褒められるとむず痒い。
「して、宰相閣下は本題は何であろうか。歓談と言う訳でも無いであろう?」
「えェ、一つお願いがありまして。先遣隊にワタシの部下を一人加えて欲しいのです」
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