予兆 弐
弁当を受け取るもスアレスは往生際悪く、どうにか回避できないかと考えていた。しかし、それに気づかないミセリではない。
「どうせならここで食べようじゃないか。空もこんなに晴れていることだし気分も良いだろう」
「あら、それは良い提案ですね。ほらスアレスも早く」
「あ、ああ⋯⋯」
リーザも同調し草原に腰を落とした。逃げ場が無くなったスアレスは青白い顔で自分も座りながら弁当籠から中身を取り出す。
蓋を開けた途端、腐った卵のような異臭が漂ってくる。リーザは作っている最中に鼻をつんざくようなこの異臭に気づかなかったのだろうか、スアレスの疑問は尽きなかった。
スアレスが覚悟を決め、リーザが目を離した瞬間に右手で鼻をつまみながら左手でおかずをかっこうもとする時――――カランカランと遠くで鐘が鳴る音が聞こえてきた。
都市オラビアで鐘が鳴る時は2つ。一つは敵襲の知らせ。仮に敵襲だった場合はオラビアを囲む城壁に備え付けられた全ての鐘がけたたましく鳴るはずなので今回には当てはまらない。では後者はと言うと――――
「兄上だっ!」
鐘がなるもう一つの可能性、それは『遠征隊』が帰ってきたときの合図である。
国境の境い目であるオラビアでは耐えずモラルタ帝国やウルキデス王国から侵攻を受けていた。本格的な侵略とは違い、牽制などの意味を含めた攻撃だったが無視するわけにも行かなく、オラビアでは悩みの種が尽きることはなかった。
しかし、一方的に受け身を取っていると、敵勢力の国境軍は徐々に勢力を増長させ大軍として攻め入られることになる。それを防ぐために10年前に結成されたのが半年に一度オラビア側から軍を率いて敵勢力の拠点を破壊し戦力を削る『遠征隊』なのだ。
言うまでもないことだが戦争は守るよりも攻める方がはるかに難しい。つまり攻めである遠征隊は平時の守りよりも難易度が跳ね上がり、作戦を遂行するには熟練の兵士たちのみが選ばれることになる。
そんな猛者が集う遠征隊を率いるのは25歳と言う若さでありながら国から大佐を拝借した戦の天才、スアレスの兄――――ニール・アルカディアだった。
ニールが初めて戦争に参戦したのはスアレスと同じ17歳の時、ニールは初めての戦争に臆することなく、さらには小隊を率いて背後からの奇襲でなんと敵将の首級を挙げる。
その後もニールの活躍は止まることなくここまで23戦中全勝負け無しと敗北を知らず、誰が呼び始めたかは不明だが敵側からは畏怖と蔑称を込められた‴黄泉の怪鳥‴と恐れられるようになり、反対にオラビアでは英雄と崇められ‴オラビアの太陽‴とまで持て囃された。
ナバーロ国の首都で居座る大臣たちにはズバ抜けた早さで昇級するニールのことを疎ましく思うものも少なからずいたが、彼の人柄の良さ、何よりもその圧倒的な戦果に不平不満は言えないでいた。
スアレスは兄の帰還に気づくやいなや弁当を起き、訓練場を抜け、城門まで走り抜けていく。
「もう少し落ち着いて行動はできないのかしら」
悪態をつくリーザもそわそわしていて既に食べる気分では無い。片付けをしながら迎えに行く準備をしていた。
結局全員で城門前に集まって遠征隊の帰還を待ちわびていた。暫く歓談していると見えてきたのは城下町からコンロン城内へと歩みを進める一団。左右には今回の遠征の英雄譚を聞きたがっている子供たちや成功を讃える大人
たちがが群がっている。
遠征隊がコンロン城内へと入っていくと流石に城内まで侵入できない観衆は残念そうに城門の外から見つめていた。先頭を率いていたニールがわざわざ最後尾まで馬を走らせて挨拶をすると観衆のボルテージは一段と高くなっていく。それを見て満足そうに笑顔を浮かべたニールは門番に目線で門を占めるよう促す、門番もそれに察知して門を下ろした。これで歓声は門によって遮られだいぶマシになっただっただろう。
「お疲れ様です兄上!」
厚い素材の軍服で長い行軍をキツかったのか第1ボタンを開け、一息ついたニールにスアレスが誰よりも先に話しかけた。先ほどミセリに見せていた態度や口調とはうって変わって羨望の眼差しを向けている。
「あぁ⋯⋯スアレスか、ただいま。俺がいなかった間、この街は無事だったか?」
「もちろん! 2回だけ小規模の軍隊、と言うよりは小隊が攻めてきましたがどちらも問題なく処理しています」
「そりゃあ、良かった。一応報告書はもらえるか?」
「了解です、そう言うと思ってたのでコラレスが報告書を纏めてくれています、後で持っていきます。ところで兄上は昼ごはんはもう食べました?」
ニールはスアレスにとって兄であったが、尊敬の対象でもあっため敬語が混ざったあやふやな口調になってしまっていた。
「いや、まだだ」
「俺たちもこれからお昼にする予定だったのでよければ一緒にどうですか?」
ニールは顎に手を載せて今後の予定などの時間の調整を計算する。
「んー、そうだな。昼飯を食べるくらいの時間なら大丈夫そうだ」
ニールが「ちょっと待ってくれ」と一度断りを入れてから部下たちに指示を出し始める。
「待たせたな、そういやどこで食べるんだ?」
10分ほど、複数人の部下に指示を与えた後、片手で「申し訳ない」と仕草をしながら半笑いでスアレスたちに混ざってきた。普通半笑いで謝罪をしたら不快に取られても可笑しくはないがそう取られないのはニールの人柄や、顔立ちが多分に関係していることだろう。
「そうですね――――」
「それなら先ほどと同じ場所の訓練場の端の草原はどうでしょうか。ここから近いですし、今日は天気も良いので」
スアレスが脳内で幾つか候補を上げていると、横からリーザが提案を出した。途中で言葉を遮られたスアレスはリーザを半目で見詰めるが、リーザの意識は全てニールに注がれており気づくことはなかった。
「そうだな、そこにしよう」
※※※※※※
「ニールさん、今日は私がお昼ご飯を作ったんです。特に卵焼きは自分でも懇親の出来でした、どうでしょうか?」
訓練場に着いて早々、何気ない自然な動作でニールの横に座ったリーザが弁当籠から彼女曰く卵焼きらしい、ドロドロした半固形物をニールに差し出してくる。
リーザやミセリのエステバン家とスアレスやニールのカークランド家は親戚でありミセリがスアレスの稽古に付き合うなど古くから長い付き合いがある。その為、リーザの料理の腕前は親戚一同全員が与り知るところではあるが、過去にリーザの父親が遠回しに下手なことを忠告したが、遠回しすぎて意図に気づかなかったリーザは試食に付き合ってるくれると勘違いをし、リーザの父親は大変な目にあったらしい。それからと言うものリーザの料理には一種の禁忌になっていて誰もその話題に触れることはしなかった。
「これは卵焼きなんだよな⋯⋯?」
「はい!ちょっと、失敗しちゃいましたけど⋯⋯」
(((ちょっと⋯⋯?)))
リーザ以外の全員が疑問に思ったが言わない、言えない。触らぬ神に祟りはないからだ。
「甘めの卵焼きを作ろうと砂糖多めにしすぎちゃったのが原因かなぁ」
どう見ても砂糖の量が原因ではないとニールは思った。
「んぐっ、んんっっ⋯⋯! 」
精神を無にしてニールは卵焼きを口に入れた。
噛まない、飲み込むようにして卵焼きを処理する。しかし、半固形状になった卵焼きの表面がネバネバと口内に張りついて中々喉を通っていかない。顔が青ざめてきたニールの危険を素早く察知したスアレスが水が入った容器を渡す。水で押し込むことでようやく胃の中に入れることができた。肩で息をしているニールは少しやつれたようにも見える。
「どうでした⋯⋯?」
頬を少し朱に染めながらリーザが感想を求める。
「独特な味だったな。嫌いではない味付けだ」
ニールは自分の失言に気づいたのも束の間、それを好意的に捉えたリーザからどんどんおかずを差し出され性格も災いしたせいで結局、おかずを完食させられることになった。
本来ならおかずを食べるべきであったスアレスはその事を口に出すことはせず、やつれていくニールを見やり心の中で懺悔した。
(ごめんなさい兄上⋯⋯こればかりは許して欲しい)
※※※
食後の休憩(主にニールのお腹の調子)で座りながら和気あいあいと会話をしていると、ふと思い出したようにニールが真面目な顔をした。
「フランスア興国で内乱が起こりそうなのは知ってるか?」
「それって、次期教皇の継承問題ですよね」
「それで合ってる。現教皇の息子であるバニスター派と大貴族のトーレス派で次期教皇で揉めていて、討論やお互いの派閥を闇討ちとかならまだ可愛い方だったんだけどな⋯⋯」
「あの」とリーザがおずおずと手を上げて口を挟んだ。
「フランスア興国って宗教国家ですよね。各国に宗教を布教して洗礼やお布施、興国の首都を聖堂を作り、聖都にすることで毎年そこを参拝することで興国にお金が入っていく仕組みになってる。
そういう仕組み上、他国を攻めるためと布教もままならない為、軍事力を持ってはならず、自国のみを守る軍、それも全権は教皇が持っているとか」
「それで間違ってないが、何かおかしなところがあるか?」
「はい、ニールさんの言い間違えでなければ、先ほど内乱が起こりそうと言っていました。
それって内乱が起きること自体おかしくないですか? だって興国は個人、また派閥単位で軍を持つことは禁止されているはずなんですから」
そこまで聞いてスアレスはようやく理解できたのか「あっ!」と大きな声を出した。
ニールはにやっと含んだ笑みを浮かべそれが肯定であることを促している。
「スアレスはまだまだだなー、これはお前に気づいて欲しかったのに。しかも気づいたのは戦争にあまり関わりがないリーザだぞ?」
スアレスは悔しそうに下唇を噛んだ。
「リーザの言う通り。興国では個人で軍を持つことを法で禁じられている。
しかし、だ。
そもそも法と言うのは圧倒的な武力、権力を背景に守られるものだ。王が自分も法の対象内に入れる法律を制定することはあるが、一般人が王に法律を説くことはないだろう?
ここまで興国において教皇以外が軍を持たなかったのはそれだけ教皇の存在が大きく強かったからだ。だが、晩年年老いた教皇は耄碌し、発言もちぐはぐで教皇の発言力は大分下がってきた。もうこの時点で次期教皇を探すべきだったがそこに目をつけたトーレスとバニスターだ。こいつらは耄碌した教皇を上手く使い傀儡政権を始める。何時までも現教皇にやらせとく訳にもいかないし、トーレスもバニスターも独裁をしたいがお互いの存在が邪魔になる。
教皇の後ろ盾を得た二人を咎められる神官もおらず、二人は傀儡政権を続けつつも教皇の配下の軍人を賄賂などで派閥に組み込んだり、傭兵を雇ったり戦略を蓄え、それがようやく整って内戦が勃発すると言うことだな」
「なるほど、そんなことが⋯⋯」
「スアレス理解できたか?」
「えっ、はい! 多分大丈夫だと思います⋯⋯」
スアレスの声は尻すぼみに小さくなっていった。
「まぁ、ここまでの内容はただの時事で世間話に使えれば良かったんだが、遠征先でとある話を聞いてな、大きく事情が変わってきた」
全員がごくっと唾を飲む音がどこからか聞こえて、ニールの話に耳を傾けているのがわかった。
「ウルキデス王国の国王が病に倒れ、病状がかなり深刻らしい」
その言葉を聞いた反応は三者三様だった
ぽかーんとするスアレス。
真意を読み取ろうと考えるリーザ。
元々彫りが深い顔を更に険しくさせるミセリ。
「おい、それってつまり⋯⋯⋯⋯」
「流石にミセリさんはわかりますか」
「この国の一大事ってことじゃねえか!!」
「え、ちょっ、どういうことですか!?」
スアレスが身を乗り出してミセリに尋ねる。ここでニールに尋ねなかったのはスアレスの最後のプライドかもしれない。
「つまりだ、ウルキデス王国の国王がこのまま深刻化したら死ぬ、崩御ってことだよな? そしたらどうなる?」
「新しい国王が出てくる⋯⋯で合ってる?」
こんな当たり前の答えでいいのかと、スアレスは自信無さげに答えた。
「そうだ、新しい国王を擁立しなきゃなんねぇ。そしたら役職も体制も大きく変わるかもしれないし、あそこの国は見栄を気にするから式典なども行われるだろう、そうなるとこの国にどう影響が出るかわかるか?」
「え、っと⋯⋯式典にこの国からも偉い人が参列しなくちゃいけない?」
ミセリは頭を抱えた。
「合っちゃいるんが、そうじゃねえんだよ。つまり、ウルキデス王国は新しい国王の問題で動き出せない、フランスア興国は内戦の真っ最中なんで当たり前に他のことには余裕がない、じゃあ残ってるモラルタ帝国は何を考える?」
スアレスはしばらく思考を続けた後、答えに至ったのか顔が徐々に青ざめていく。
「どこも邪魔をする国がいない⋯⋯この国を攻めてくるってこと?」
「ああ、そうだ。しかもオラビアが一番の激戦区になるはずだ」
ニールの厳しい顔が事の重大さを物語っていた
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