一章 ナバーロ国攻防戦
予兆
予兆 壱
ナバーロ国はカワート大陸の南西に位置する諸国と比較すると小さめの国である。しかし群雄割拠の時代において歴史は800年と古く、細く長く続いてきたのが見てとれる。
ナバーロ国の繁栄における最大要素は3つ。
一つ目はナバーロ国の背後に控えるヤング山脈である。雨季になると大陸の南一帯は大雨に見舞われるが雨雲はヤング山脈でほぼせき止められそれ以上進めない。つまり、ナバーロ国は諸国に比べて、雨季の期間、雨量が多いのである。過去はそれによる水害に苦しめられてきたが用水路の工事などに着手すると共に、稲作を始め圧倒的雨量を背景に数十年で大陸有数の稲作大国へとのし上がった。
二つ目はその地形である。ヤング山脈は雨雲の行く手を阻むとこから想像できるようにとても巨大で、背後から侵略をも阻んでいた。
背後が厳しいならと前方に目を向けるとナバーロ国の首都までは険しい峡谷が左右に壁をつくっている。こうして左右、後方を自然の要塞によって守られているナバーロ国は正面の、峡谷の入り口にさえ軍を配備すれば盤石のものとなり事実、敵の魔の手は王都圏に迫ることはなかった。
そして三つ目はナバーロ国の位置にある。ナバーロ国から見て北に位置する隣国のモラルタ帝国、南西のフランスア公国、南東のウルキデス王国は三竦みの状態になっており、仮にモラルタ帝国がウルキデス王国を攻める時、フランスア公国から侵攻を受けてしまう。
そうなると永遠に領土は広がらず停滞を余儀なくされる。ならば最初の一手として目につくのが三国の中心に位置する小国――ナバーロ国だ。しかし三国全てに隣接しているナバーロ国は諸国へ討って出る障害でありながら、大きな盾となっていた。三国のいずれかが抜け駆けをし、討って出ても、他の二国が軍を興して援軍を送るので侵略は成功しない。そんな絶妙な均衡のもとにナバーロ国は存在していたのだ。
だが、三竦みと言えど全くもって侵攻がなかったのかと聞かれれば答えは、否である。三国どの国も隙を見せたら掠め取ろうとナバーロ国の国境――峡谷の入り口で栄える都市オラビアでは小中規模の戦争が絶えなかった。
※※※
都市オラビアの中央に坐するコンロン城では今日も訓練が行われていた。
「はぁはぁ……はぁ……っ!」
スアレスは乱れた呼吸を何とか立て直し矛を強く握る。視線の先には自分と同じく乗馬した男が矛をもって対峙しているが体つきが二回りも違う。先ほどから幾度も真正面からぶつかり合ったが悉く跳ね返されしまっていた。
(真正面からぶつかり合っても無駄、馬術で翻弄しようにも僕の馬術では遠く及ばない)
じりじりと近づいてくる相手に間合いを取りながら旋回し思考を先に進めた。
(俺が必ず打ち勝てる形はなんだ?
それは――――相手が態勢を崩したとき。
じゃあ相手はどうやったら態勢を崩す?
それは――――)
決意を固めたのかスアレスの眼光に強い光が灯る。相手もそれを感じとったのか馬の尻に小気味よく鞭を叩いて突進してきた。鞭を叩いてから無駄のない馬の動き出し、交錯する瞬間に最高速になる手わざ。どれも一朝一夕で身に付けられる技じゃない。全ての要素から騎馬が熟練の手練れであることを証明していた。
(これならどうだ――――!!)
交錯する寸前に腰に差していた剣を抜いて地面に投げ差した。相手の馬は唐突に現れた障害に条件反射で体躯を反転させるが勢いは殺せない。
「うおっ」
その影響は騎乗した男も例外ではない。馬が反転した影響で態勢を大きく崩し、胴ががら空きになっていた。
「もらった!」
「うおおおおおっっ!!」
スアレスは肩口から袈裟狩りで胴を狙う。
だが、男は崩れた態勢のまま強引に腕力で矛を持ち上げスアレスの持ち手を狙った。
どちらの攻撃が先に届いたのか。それは下唇を噛みしめて悔しさを露わにするスアレスの表情が物語っていた。
「作戦はよかったな。俺が普通の鍛え方してたら負けてたぜ! だが――」
男がワハハと快活に笑いながら下乗して近づいてくる。
「勝つためにはひたすら脳を駆使して考えろとは言ったが、剣はねえだろ! 剣は! あのまま突っ込んでたら馬の脚はポッキリ逝ってたぞ!? 模擬戦で馬を殺してどうすんだ!?」
言うやいなや、矛を持っていない逆の手をスアレスの脳天に突き落とす。
「~~~っつ!!」
スアレスは痛みに耐えきれず、殴られた箇所を抑えながら殴った本人――――ミセリを睨みつけた。
「何も殴る必要性はないじゃないか! なんの為に言語が存在してると思ってんだ! 毛髪と一緒に脳みそまで零れ落ちたか!? 」
「歯ァ、食いしばれよ糞ガキ……!」
ミセリはピキピキとこめかみに青筋を浮かべた。
スアレスは自分の失言に気づいた瞬間、体を反転し逃走を企てる。
「やべぇ!」
しかし所詮は大人と子供。身体能力に大きな差があり、逃げていられたのはほんの一瞬で直ぐに捕まったスアレスはミセリに馬乗りにされ逃げ場は閉ざされた。
「いいのか……? これは暴力行為だぞ? これが発覚したら軍法会議にかけられるぞ?」
「なぁに、心配はない。これは愛の鞭だ。そうだろう?」
「んなわけある――――」
「言えないなら言えるまで教育的指導をしてやろう」
「だーれーかー! たーすーけーてー!」
スアレスは羽交い締めにされた状況から何とか逃げ出そうとじたばたと暴れながら助けを求める。
絶対絶命を悟ったスアレスは少しでも痛みに耐えようと歯をくいしばるが拳が落ちることはなかった。
「何をしているんですか貴方たちは……」
呆れた声が頭上から響き、それによって拳骨は途中で止まることになった。
スアレスとミセリの喧嘩を止めたのは一人の女性だった。
外見は二十歳ほどだろうか、スアレスよりは歳上に感じられる。長く伸ばした金髪を腰よりやや高めで結んでいる。理知的な瞳に、すらっとした姿勢から育ちの良さが窺える。表情からは未だ幼さが抜け切っておらず垢抜けたとは一概には言えないが、十人に聞いたら全員が可愛いと答えるほどには可憐な女性だった。
目元はどことなくミセリに似ており、ミセリと女性が肉親関係なのは見て取れた。
だが、そんな女性の表情に前述した可憐さは存在しておらず、底冷えするような笑顔を浮かべていた。
「いや、これはだな……ちゃんとして理由がありまして……」
先程までの態度とは一変し、ミセリはしどろもどろになりながら弁明を始める。
「父さんの話では埒があきません、スアレス何をしていたんですか?」
「リーザさん、聞いてくださいよ! ミセリさんったらいきなり暴力奮ってくるんですよ! 何でもかんでも暴力に訴えるなんて良くないですよね!」
「ぁあ……?」
再び喧嘩越しな二人を見て、リーザは大きく嘆息する。
「父さんが家にお弁当を忘れていったので、ついでにとスアレスの分も持ってきたのですが、これだけ元気が有り余っているなら必要はないようですね」
リーザは踵を返して訓練場から去ろうとする。
「いや、リーザすまんかった! ほら、見てくれ! スアレスとは仲直りした!」
そう言ってミセリはスアレスの肩に手を回す。スアレスもそれをどけようとはせず、自身もミセリの肩に手を回し肩を抱き合う。
「リーザさん、もう大丈夫だ! あ~、なんか腹減ってきたな~」
「仲直りされたようで良かったです。今回は自信作だったので」
仲直りした様子を見て笑顔になったリーザとは対称にスアレスとミセリの二人は背中に冷や汗が伝った。
「自身作……? もしかして今日の昼ごはんはアゲイラ叔母さんが作ったじゃないんですか?」
「えぇ、ほんとはお母さんが作るはずだったんですけど、職場の機織り機に問題が発生したとかで急遽わたしが作ることになりました」
リーザが丁寧に説明をしてくれているが、二人ともアゲイラが何故弁当を作っていないかの原因なんて聞いてはいなかった。何があろうがなかろうがそこに存在しているのはリーザが作った弁当と言う事実からは逃れられないからだ。
「一から作りたかったのですがお米を炊いている時間が無かったのでお隣さんからお米を頂いたことだけが少し悲しいですね……」
リーザは自ら全部作りたかったのか悔しそうな表情を浮かべた。だが二人にリーザの表情など気にする余裕はない。なぜならリーザの発言に見落とせない重要な一言が含まれていたからだ。
お隣さんから頂いた。
つまり――――
(白米なら無事生還できる。ミセリさんにおかずを食べさせれば……!)
(助かる方法はスアレスにおかずを食べさせるしかねぇ!)
「リーザさん、俺今日朝ごはん食べすぎてあんまお腹空いてなくてさ、ご飯だけでもいいかな」
スアレスは先手必勝と言わんばかりにミセリに押し付け、安堵を浮かべるが違和感に気づく。ミセリは未だ余裕綽々とした表情で何か企んでいることが見て取れた。
「おおっ!スアレス、それなら白米よりもおかずの方が体には優しいぞ、消化も優しいと言うしな」
スアレスはようやく自身の冒した大きな過ちに気づいた。
(この勝負、先手必勝じゃなく後出し戦法が取れる後手が圧倒的有利……!!)
「そうだったんですね、スアレスさんにおかずだけとなると父さんはお米だけになってしまいますが――――」
「俺は問題ないぞ! むしろ白米好きだからおかずはスアレスに譲ってやろう」
スアレスがこの世の憎悪を押し固めたような表情でミセリを睨みつける。
「はい、どうぞ」とリーザがスアレスに向かっておかずだけを渡してくる。スアレスはリーザから弁当を受け取るため、ミセリを横切る際に小さな声で「コロス」と呟いたがミセリは聞こえてないふりをした。
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