自分だけの部屋
#9
「結局、お爺さまと同じなのよね、あの人って」と、彼女は言った。
―――かつて。
わたしが結婚していた頃、夫の妹だった人だ。要するに、義妹ということになるのだろう。しかし離婚してしまった今では、なんと呼べばいいのだろう? 友だち、というには関係が希薄すぎたし、知り合いというには、縁が奇妙すぎた。
「涼子さんと離婚したのもすごく意外だったけど、あの娘と結婚して、なおかつ赤ちゃんまでって…」
そんなあけすけな物言いも、彼女なら気にならない。
「そんな風に言わないで。わたしとはね、きっと縁がなかっただけなのよ」
「そんなに簡単に言って済ませていいの?」
そう問う、まだ若い彼女に、わたしは微笑を返した。ほかにどんな返事ができる?
そう。
結局すべては縁なのだ。
わたしたちは仲の良い夫婦だったと思う。結局別れるその日まで寝室は一緒だったし、多くを話し合い、多くを認め合った。言葉にできない互いの気持ちも見通せていたし、何よりも、互いを結ぶ信頼という名の絆があった。
だけど、いつかも思ったとおり、わたしたちには何か、致命的に欠けているものがあった。深い森の中で道を失ったとき、灼熱の砂漠の中で迷子になったとき、人が頼りにするもの。生憎わたしたちには、その持ち合わせがなかった。
平たく言えば、縁がなかったのだ。人生という苦難に満ちた旅路を連れ添う
何が辛かったのかというと、それを認めることが一番、辛く、厳しいことだった。
彼を失うことは、物理的には、恵まれ過ぎていた生活を手放すことにもなった。あの池の見える部屋も。躾の良い大型犬のようなイギリスのクルマも。北欧のオーディオセットと、クリスマス諸島やムルロア環礁の気象情報も。けれど、そんな世俗的な価値よりも、十年という月日を通して培ってきた時間が何一つとして残らなかった、という事実が与える打撃に比べれば、池も、クルマも、クリスマス諸島もさほどの重みを持たなかった。
大学の卒業と同時に結婚し家庭に入ったわたしが、ある日この大都会で一人ぼっちになったときに、世間に対して提供できる資本は、ほぼ何もなかった。その意味での不安感は常にある。でも、もっと重苦しいのは空虚感だった。あるいは子どもがいれば。あるいは仕事を持っていれば。彼と、その結婚生活に投じた時間を失ったときの空虚感は、すこしは癒されたのかもしれない。
何もかも、譲渡できるものはわたしに渡す、と彼は言った。払える額なら慰謝料も払うし、なにより、わたし自身の生活を彼はひどく心配した。確かにある程度のお金は、当座の暮らしを立てるために必要だった。けれど、どんなにお金があったところで、このそこはかとない不安感と何物にも替えがたい空虚感がぬぐえるわけではない。
結局わたしは、いや、わたしたちは、麻布台のあのお部屋を、売却した。
承知はしていたが、それはものすごい金額になった。そもそもは彼の叔父から格安で譲ってもらった物件だったので、叔父に相談もしたのだけが、気前のいい叔父はその売却金を一切受け取ろうとしなかった。我々の再出発の「軍資金にしなさい」、というのがただひとつの叔父からのメッセージだった。
彼との話し合いの結果、その代金の大半をわたしが受け取ることになった。その代わり、慰謝料などは受け取らないことになった。もちろん離婚訴訟など、起こすこともしない。
「弁護士先生を入れて、念書とか、書きましょうか?」
そのことを決めた日、夕食の席でわたしは言った。冗談だった。彼は好物のキンキの煮物から、ひときわ大きな身を取り分けて、わたしの皿に置いた。彼の目は笑っていた。「そんな風にしたい?」
わたしも笑って、彼の好意を受けた。どうしてだろう。こうして離婚を決めてからのほうが、互いに裏腹なく話せる。
そしてわたしは、中目黒の小さなマンションのお部屋を借りた。駅からとても近いのに、そのお部屋は格安だった。世間知らずで主婦上がりのわたしでも、なにか勘ぐりたくなるほどの安さだ。不動産屋のおじさんは、「ここだけの話だからね」といって、その実情を教えてくれた。
お水が、水道水が飲めないのだという。
「大昔に引かれた水道管がダメんなってね」と、おじさんは灯油ストーブあてた両手を揉みながら、わたしに言った。
「なんか水道に混ざるんだって。有害物質っての? 身体に悪い奴が。んでお役所から連絡あったのよ。近々工事の予定はあンだけど、やっとなっとずいぶん大がかりになるみたいだから、あちこちの調整でてこずってるんだってさ」というのが、その『ここだけ話』の全容だった。なるほど。
と、いうわけで水道水を飲料水として利用できないマンションでの、わたしの新しい暮らしが始まった。今まではどこに行くにも彼のクルマだったけれど、久しぶりに電車に乗って移動するようになった。最寄の駅まで行き、帰りには駅に直結したスーパーマーケットで販売されているお水を買って帰ることが習慣になった。
世間に対して提供できる資本がほぼない、と思っていたわたしだけれども、彼のMBA取得のために五年間住んだ米国ボストンで培われた英語力(ボストン時代、学生として大学に通う彼の傍らで、わたしはいくつかのバイトをしていた)を使って、職を得ることができた。青山にある某国際機関の東京出張所の事務職だ。といっても、四〇歳で初めて実社会に出るわたしができることなど、たかが知れている。要するに、お茶を汲んで、コピーをとって、電話の受け答えをするだけだ。
でも、それでも固定収入を得て、毎日用事に追われる日々が始まったことはわたしにとってとても良い刺激になった。時折、自分自身の世間知らずぶりに泣きたくなることはたくさんあったけれど。理解あるオーストリア人の上司と親切な同僚たちに支えられて、わたしは無事に新しい生活にアダプトしていった。
今日はひさしぶりに、かつての義妹と会って、夕食をとっている。
三〇代半ば、独身の彼女と、離婚以来はじめての再会だ。
マスコミ関係の仕事をしている彼女は、年齢を感じさせない若々しさとエネルギーに充ちている。変わらず素敵ね、とわたしのことを褒めてくれる彼女だけど、どうみても溌剌とした彼女のほうが魅力的だろう。
ほどよくお酒を飲み、堅苦しい雰囲気もこなれてきたときに、彼女が別れた彼の話をし始めた。
彼自身は、中規模商社の三代目として将来を嘱望された身だったので、家庭の外でできた年若い恋人に子どもを生ませた、ということは社内では、いわばスキャンダルとしてずいぶん騒がれたようだった。しかし、私と離婚し、その恋人が正妻の座に収まることでその波風も静まり、いまは無事に社長修行を再開したようだ。
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